2017年9月30日

最終回

これが最後の更新
 
 2011年(平成23年)4月、宍粟市に移住(Iターン)をしてから、6年半…。いろいろありました。そして、2013年(平成25年)1月、市議会議員選に出ると決心し、「宍粟・草の根運動の会」を立ち上げた時からこれまで、このブログを通じて、その “いろいろ” を綴ってきました。

 この6年半を振り返ると…市の空き家バンクの物件を借りた際、なぜかそこの不要物の撤去やリフォームの費用を借りる側の私が一部負担させられたり、波賀学校給食センターの統廃合問題の検証委員会では、別の協議の場を設け、そこで結論が出るまでは出さないと約束していたはずの給食センター廃止条例がこっそり上程されていたり(いきなり議会に上程されたにもかかわらず、あっさり可決しました…)、私が理事をしているNPO法人から、補助金を申請した際には、地元自治会や地元の団体の許可や協力(根回し?)のない事業は、申請を受け付けられないとどこにも明文化されていない理由で申請を受け付けてもらえなかったり(何度も書き換えさせられ、一旦受理されたにもかかわらず「受け付けられないので返却したい」と言ってきました…)、一体どのような役職の方なのかわかりませんが、地元のしきたり?の事でいきなり怒鳴られたりと、納得できないけれど、移住者なんてそういうものだと割り切らなければ、身が持ちませんでした。

 まだまだ理解できないことはあります。今は都会にお住いの方に「私の大切な故郷を引っ掻き回すな」とネットで恫喝されたり(恫喝しておいて、こちらが反応したらブロックをかけるという気の弱い方でしたが…)、強制的に集められた会では(なかなか会に出られなかった点は認めますが)最終的にその会には所属していなかったことにされたり、市民が企画してやっていたと思っていた行事が、いつの間にかある行政マンの手柄となっていたり、元行政関係者が「私の力で多額の補助金を引っ張ってきた」と自慢し、なぜかそこに感謝することを強要させられたり、逆に身近で行われてる市の事業(農地付きの空き家を改修し、就農希望者に安い家賃で貸し出し、さらに就農のための補助金を支給する事業)を引っ張ってきたと自慢していたのに、全く機能していない(税金の無駄遣い)にはだんまり…。清掃活動(天役?)をしている目の前で、タバコをポイ捨てされたり、知らない間に新しい組織ができ、なぜかそこからいろいろ指示されたり、何なんだこの街は…と思うことが多すぎました。そして女性や子どもの地位が低いこと、今では誰も知らないような時代からの序列が連綿と続いていることも違和感がありました。
 そして、この街で求められているのは、権力に従順な駒であったり、物言わぬ納税者であったり、地元の行事や行政を無償で支えるボランティアであったり、地元のしきたりや慣習に疑問を抱かないような感受性の持ち主であったりとその嗜好性が見えてきました。

 まぁ、これでは人口が減って当たり前、特に若い世代が転出しても仕方がない、地元への愛着(シビックプライド)が薄れていったとしてもそこに気付くことすらできないだろう…でも、本当にそれで良いのですか?一部の権力(概ね公金で力を蓄えた人々や組織)に支配され、奴隷のような扱いを受けていても黙っているのですか?今起こっていることをなぜ知ろうとしないのですか?気づいているのに見て見ぬ振りですか?なぜ声を上げないのですか?などなど…そんな気持ちで、見えない強大な敵に戦いを挑みましたが、その結果を見れば市民の多くが「今のままで構わない」、そもそも「そのような指摘は当たらない」、「全く問題ない」という認識だったということです。ということで決着はついたわけですが、私はいまだに「今のままで良いはずがない」と思っています…。

“これまでこのブログをご覧いただいた方々へ”
 長い間、本当にありがとうございました。あと数ヶ月間、このブログを閲覧可能な状態にしておこうと思いますが、近いうちに閉鎖させていただきます。そして、違う形、違う場で、最近はあまり聞かなくなりましたが、地方創生という流れの中で、実際に “地方で起こっていたこと” を記録に残しておくなり、発表するなりして行こうと思っています。ある方から「そんなことしたらそこには住めなくなるかもしれないけれど、大切なことだと思うよ」とアドバイスいただきました。同感です…。

開設期間:2013年1月17日〜2017年9月30日
記事の数:345件
総閲覧数:71,116件(9月30日現在)

※追伸 公職選挙法違反(事前運動、戸別訪問など)や地方公務員法違反(政治的行為の制限)をしている人たちがたくさんいます。公務員が政治団体の役員に名を連ねていたり、公務員の立場で立候補表明をし選挙運動をしている人がいたり、選挙の論功行賞でしょうか?特定の政治家の選挙に関わっていた人が選挙後に行政の要職についたり、行政と関係の深い企業や団体に再就職したりと、好き放題されています。寄付行為や利害関係者との会食、公職者またはその親族が市の仕事を請け負う、選挙での応援と引き換えに特定地域、団体に補助金を交付するなんてことは、日常茶飯事です。これらのことも「今のままで構わない」、「そのような指摘は当たらない」、「全く問題ない」という認識のようですが、本当にそれで良いのでしょうか?

追記(2017年10月22日)
 今日は、衆議院議員選挙の投票日です。未だに投票は義務と思っている方(議員や公務員ですら…)がいらっしゃるようですが、“権利” です。確実にこの “権利” を行使してください。投票に行かない人が増えていくということは、自分たちの国、自分たちの街を自らダメにして行っていると認識してください。
特にこの街は酷いことになっていますよ。まともに議案審査できない議員が議会に送られてしまったようです。税金がどんどん一部の権力者に集中して行っています。また、介護保険料、上下水道料金上がりますよきっと…。庶民、弱い立場の人に負担を押し付け、子ども達にツケを回して、大きな顔をしている人たちがこの街を支配しているようです。そこから解き放たれましょう!そのためにもまずは投票です。

2017年5月17日

敗因分析【議論】

この2週間…
 宍粟市の今日は、少し肌寒い感じの曇り空です。(宍粟市は、結構広いので私の住む波賀町では…の方が正確かもしれません。)今日から修学旅行に出かけている中学生も多いのではないでしょうか?

 前回、選挙の翌日に更新したブログですが、落選後にアクセス数が伸び、もう直ぐ70,000アクセスに達します。実際に、どんな感じでブログを開いていただいたのかはわかりませんが、もしかしたら「引越します」という言葉を聞きたかったのかもしれません…。残念ながら、まだ宍粟市におります。

 選挙が終わって、2週間以上が経過しました。就職活動も思うようにいかず、現在、“無職” です。いくつかオファーはもらっていますが、この際、新たな道を探るのも良いかなと思っています。家族もおりますので、そう悠長なことも言っていられないのですが…。そして今回の “敗因分析” が、どんな道に進もうが、糧になると思っています。また、次世代の参考になればとも思いますので、ここに公開します。

なぜ選ばれなかったのか?
 みなさんご存知かとは思いますが、今回の宍粟市長選で私は、19,020:4,928で、“大敗” しました。しかし、負けたことで、選挙期間中は見えていなかった「私を応援してくれていた人たち」も見えてきました。それは市長選挙に出なかったら、出会えなかった人たちばかりです。そして、確実に4,928人の人たちは、私を選んでいただいたのだと思います。

 私は、地盤(組織)、看板(知名度)、鞄(資金)という、“3バン” がなくても、理念と政策(公約)で、勝つことを目標にしていました。今回の結果から考えると、この “3バン” の内、地盤(組織)と鞄(資金)は、必要ないことが再確認できました。名簿が集まらなくても、選挙に手を貸してもらわなくても、大丈夫です。誰が誰に投票したなんて、本人以外はわかりませんから、投票してくれれば良いだけです。そもそも、既存の組織を使って動員をかけ(暗黙の強制も含めて)、道端に立たせたり、戸別訪問をさせたり、集会に参加させたりすることは、政治家がすることではないと思っています。(自ら進んでやっておられることを否定するものではありません。)

 そして、今回の選挙では、公選法で規定される選挙資金の上限は5,790,500円(@81円×選挙人名簿登録者33,216人+310万円)でしたが、私の場合はその10分の1程度で済みました。供託金の100万円は、有効得票総数23,948票の10%=2,394.8票以上の得票がありましたので、没収されませんでした。

 しかし、看板(知名度)は、やっぱり必要なのだと思いました。そして、この看板(知名度)は、他の2つとは少し性格が違い、やり方次第ではいくらでも広げられる、手に入れられるものだと思います。そこを怠っていた、または方法が間違っていたのだと思います。根拠のない噂話を広げられようが、自治会組織を選挙運動(落選運動)に使われようが、市民の選択肢になってさえいれば、状況は違っていたと思います。これだけ差が開いたのは、政策がどうだとか、人柄がどうだとか、出身地がどこだとか、宍粟市にきて何年だとか、そんなことは全く関係なく、“知名度” がなかったということだと思います。「知らない人には投票できない…」当然です。

 これは、周囲に立候補について相談を持ちかけた時に、散々言われたことです。もう1期、議員をして知名度をあげたほうが良いというアドバイスもいただきました。しかし、4年後では財政の面、人口減少の具合から、確実に手遅れになると判断していましたし、もし4年後を見据えて今回、市議選に出ていたとしたら、それは単に市長になりたいだけ(保身?)ということになってしまい、私の政治理念に反することだったのです。

 ということで、話を聞いてもらう、考えを知ってもらう、人間性にも触れてもらう…そういうことができていなかったということです。投票していただいた方々には、大変申し訳ないのですが、挑戦したことに後悔はしていません。「是非、次も挑戦して…」とたくさんの方に言っていただきましたが、今は、考えられません。

 ただ、理念だけはしっかり残していきたい(次世代につなげていきたい)と思います。これは、政治家としての勝手な判断です…。そこで “政治塾” のようなものを主宰できないかな?と考えています。どうでしょうか?それこそ大きなお世話でしょうか?まずは『宍粟・草の根運動の会』をベースに、“政治” を身近なものとして考える場を作っていきたいなと思います。そんな場があったら、参加してもらえますか?

最後にルールのこと
 公職選挙法では、家ごとに訪問して選挙の投票を依頼することや、演説会や候補者の氏名の宣伝をすること(戸別訪問)が禁止されています。選挙運動期間中だけでなく、すべての政治活動においてです。「前からみんなやっている」とか「挨拶に来ないのは、お高くとまっているからだ」とか、いろいろ言われましたが、私の場合は近所に「選挙事務所をここに構えるので、お騒がせします」という挨拶はしましたが、戸別訪問による選挙運動は一切していません。また、選挙区内での寄付行為も禁止されています。何が正しくて、何が間違っているのかを、多くの方に理解してもらいたいとも思いました。

2017年5月1日

これまでありがとうございました。

敗戦の弁
 4月23日から始まった、宍粟市長選挙ですが、30日に結果が出ました。
当日有権者数:32,780人、投票者数:24,226人、投票率:73.90%

 鈴木 浩之        4,928票
 福元 晶三      19,020票

 “大敗” です。4,926人(4,928票から、私とかみさんの分を引いています…)の皆さん、本当にありがとうございました。私のチカラ不足をお詫びします。

 また、選挙権を持たない子ども達にもお詫びしなければいけませんね。でも大丈夫、大人はみんなのことを第一に考えていてくれるはずです。

 今まで、子ども達や若者、女性、高齢者、障がい者、病気の方、そして過疎地域に暮らす人など弱い立場の方々の “声なき声” を届けるために活動してきました。

 その “声なき声” が届いていない(議員ではそれを届けられない)ことが、今回の挑戦のきっかけでした。

 そして、若者に帰ってきてほしい、宍粟市で頑張ってほしい、活躍してほしい、そんな場所を宍粟市に作りたいと訴えてきましたが…。

 私が選挙戦でこだわり続けた “街頭演説” の一節をここに紹介しておきます。
「政治というものは、常に弱い立場の人達に寄り添ってなければならない。しかし、今の政治は、強い者に媚びへつらい、強い者からの要求に屈し、そのツケを子どもや若者、弱い立場の人、小さな地域に押し付けている。そんなものは政治でもなんでもない。特に宍粟市の未来にとって必要ない。
 諦めかけてはいませんか?本当は、子どもさんやお孫さん、若者に宍粟に帰ってきてほしい、ここで一緒に暮らしたい、ここで一緒に子育てしたいと願っているはずです。しかし、そんなささやかな願いさえ、素直に口にできない、そんな町になりかけてはいませんか?本当にそれでいいのでしょうか?ぜひ、胸を張って “帰っておいで” と言える町を一緒に作っていきましょう!」

 まぁ、自分としてはよく頑張ったと思っています。そして、若い子達には、諦めないでほしいと思います。地域で子ども達を育て、弱い立場の人たちを一緒に支えていきましょう。

 未来への意思表示(選択)の機会だけは、提供できたように思います。家族には、挑戦する親父の背中を見せられたと思います。

 負けはしましたが、これが民主主義、市民があちらを選択したということです。そして、市民の意思が見え、政治家としてはスッキリしました。

最後に…
 しかし、選挙前に「あいつは、落ちたら宍粟市を出ていく…」というお話しを相当、広げていただいたみたいです。つまり、宍粟市に愛着がないとか、私利私欲のために宍粟市を引っ掻き回している、踏み台にしているだけだと言いたいのでしょう。
 
 この4年間は、議員を生業にしてきましたので、その仕事はなくなりました。私の両親は、静岡で暮らしていますので、両親からみれば、子ども、孫は静岡から遠く離れた宍粟市に暮らしていることになります。きっと「帰ってきてほしい、孫たちと一緒にいたい」と思っているのではないでしょうか?でも、そんな思いは口にしないで、私の生き方をずっと応援してくれています。

 「これを機に帰ってあげたら?」とか「両親を静岡に放っておいて、ひどいやつだ」と言われるならば、理解できます。こんな話を広げている一部の人たちって、仕事はないだろうけれど「宍粟市に住んで、黙って納税だけしていろ」とでも言いたいのでしょうか?私の両親が病気になったりしても、「そんなものは放っておけ」と言っているのでしょうか?

 これだけ若者が流出している宍粟市、仕事がないからだって、みなさん言われます。そして、宍粟市では、お子さんやお孫さんが、市外にいらっしゃる高齢者世帯もたくさんあります。「進学で、宍粟市を離れて帰ってこない子が多いから、宍粟の子は学力はそこそこで良い」って、言われてしまったら、親としてはとても心配になります。

 私がこの選挙戦で掲げた政策は、若者の仕事であったり、暮らしであったり、子育てであったり、教育であったり…。若者が宍粟市に帰ってこられるような状況と若者が活躍できる町を一緒に作って行きませんか?と訴えてきたわけです。

 私のチカラ不足でその訴えは届きませんでしたが、「あいつは、落ちたら宍粟市を出ていく…」というお話しは、その真意を理解できないままに、宍粟市民になって7回目の春を迎え、桜は散りました。

このブログについて
 2013年1月、市議会議員選に出ると決心し、「宍粟・草の根運動の会」を立ち上げた時から、これまで、記事の数343件、閲覧数67,555件(5月1日13時現在)でした。ブログをご覧いただいた方々、本当に長い間、ありがとうございました。
 私も食っていかなければならないですし、家族も養っていかなければなりません。仕事探しを始めますので、このブログはとりあえず “無期限休止” とさせていただきます。(個人的なSNSは、引き続きやっていきます。)

宍粟・草の根運動の会 代表 鈴木 浩之

2017年4月18日

幼児教育・保育【政策目標】

夢公園の大樹…こんな風
新聞発表
  宍粟市は、昨日の暴風雨から一転、清々しい春の陽を迎え入れました。今日、議員協議会(全議員出席の報告会、各委員会からの報告を受け、情報共有する会議)がありました。この会議への出席をもって、実質的な私の議員任期は終わりました。4年間、ありがとうございました。

  そして、今日は喜ばしいニュースが新聞に載りました。それは、「宍粟市で公立の認定こども園設置が決まった」というものです。平成21年に策定された「幼保一元化計画」(10年間ですべての公立幼稚園・保育所を廃止し、7つの中学校区に認定こども園を設置し、その運営を民間保育所に任せるというもの)ですが、公立の幼児教育・保育の施設がなくなるということ、また民営化されるということについて、地域住民の不安や葛藤があり、平成28年度末時点で、1園しか開園できていませんでした。

  これまでの4年間、議員としてずーっと「公立を希望している地域については、公立も検討すべき」という意見を、一般質問などいろいろな場面で、主張してきました。地域住民の皆さんの願いが、やっと叶ったということです。これまでずーっと「民営化」の立場を堅持してきた行政側が、軟化したということです。その地域に民間の保育所がないという特殊性はあるにせよ、私も少しだけ、声を届けることに貢献できたのではないでしょうか…関係ないかな?

  一方で、行政が「とにかく民営化しか道はない、これからどんどんと減っていく子どもたちのこと考えて民営化に賛成してくれ」というスタンスで計画を推進してきた地域、公立を求めていたのに結局は、民間の認定こども園が設置された地域に、どうやって説明するのでしょうか?「公立はできない」と明言して、幼保一元化計画を推進してきた行政(市長)は、しっかりと説明(謝罪)しなければならないと思います。

  そして、今回の公募(二次募集)は、4月28日までと期限を決めて、運営法人を募集していたのにも関わらず、問い合わせがないということで、その締め切りを20日早めて7日とし、昨日17日には「公立でします」と発表されています。皆さんお気づきかと思いますが、宍粟市は、23日告示、30日投開票で選挙がありますので、結果的に子ども達は、いわゆる “政争の具” にされてしまっているのです。まあそれでも、住民の声が届いたという結果については、大歓迎です。

この先の幼保一元化計画
  私は、この幼保一元化計画を住民の意向を聴くところから仕切り直したいと思っていました。「公立を希望している地域については、公立も検討すべき」という意見は、4年間主張し続けて、このタイミングでやっと通りはしましたが、民間保育所と公立幼稚園・保育所が共存している地域では、このままいくとこれまで同様「とにかくこの地域では民営化しか道はない、これからどんどんと減っていく子どもたちのこと考えて早く民営化に賛成してくれ」というスタンスで協議を進めるでしょう。

  今回、公立認定こども園が決まった地域は、より良いものになるように地域の意見をしっかり聞き、子ども園に反映させていきたいと思います。ここまで決まっているのですから、創造的、建設的な議論ができると思います。設置までの間も子ども達はどんどん成長していきますので、1日も早く地域が望んだ幼児教育・保育環境が整うようにしていきたいです。木造で、いろんなところで無垢材に触れられるような暖かい園舎、地域に開かれた子ども園が良いですね。

  もう一方で、これから協議が始まる地域では、その地域が公立の幼児教育・保育施設を望んでいるのか?それとも、民間を望んでいるのか?しっかりと意向を聴いて、現在の幼保一元化計画は見直したいと思います。特に、認定こども園ができるまで…と放置されてきた、園舎の耐震改修、幼稚園での3歳児教育、一時預かりや延長保育の地域間格差是正については、幼保一元化計画とは別に進めていきます。今、この瞬間も子ども達はどんどんと成長していますから…。もし一緒になれないならば、これまでのように共存していくのが良いと思います。“幼稚園教諭” という雇用も確保できるわけですし…。また行政が言う「子ども達の健やかな育ちのための適正規模の集団」なんて、何の根拠もないものですから、本当に子ども達にとって、どんな教育・保育環境が良いのか?いろいろな知見を集めて議論していきます。  

2017年4月17日

補助金の見直し【政策目標】


春の嵐…
  宍粟市にも、春の嵐です。警報まではいきませんが、すごい風と雨です。花粉もすごいようです。今の時期は檜の花粉でしょうか?マスクをしている方や鼻をグスグスしている方によく出会います。この時期、ちょっとだけ目がかゆくなったりはしますが、私は、花粉症ではないようです。

  前回から始めた “シリーズ政策目標” ですが、それほど閲覧数が伸びませんでした…。ただ、60,000ページビューから、1ヶ月も経たないうちに+3,000ですので、1日約100件の閲覧があるということで良しとしましょう…。

  昨年5月から始めた “街頭演説” ですが、日曜日(16日)に、102回目を終えました。これが議員任期中、最後の街頭演説となりました。どれだけ声が届いているでしょうか?途中から、SNS(facebook)での、ライブ配信も行ってきました。どれだけの方が見ていただいているのでしょうか?

  最近、会報11号を発行しました。続いて12号も近々、発行します。この12号が議員任期中、最後の会報になります。会報は、新聞折込を中心に配布していますので、市内に約13,000部が配られています。どれだけの方に読んでいただいているか?それは把握できませんが「読んだよ」とちょくちょく声をかけていただけるようになりました。そこには、次の4年に向けた “政策目標” を書かせていたきましたが、そこに書き切れなかったところを中心に、このブログで補足していきます。


補助金とは?
  現在の宍粟市の補助金ですが、制度としては200件以上…。これはどんどん増えていると思っていただいて差し支えないでしょう。“補助金” と聞いて、皆さんはどのような印象を持たれるのでしょうか?私は、大雑把に言うと「今後、〇〇のような事業を推進していきたいので、それに取り組んでいこうとされている、またすでに取り組んでいる団体の皆さん、補助金を使って一緒に事業を推進していきませんか?」というものだと考えています。しかし、制度の中身を見てみるとそうでもないようです。

  補助対象=ある特定の団体、という補助金はたくさんあります。その団体がしている事業は公益性がある、市民全体に利益があるという前提のもと、税金から補助金を出し、団体の運営を支えながら事業を行っているのというのが、表向きの姿です。

補助金の見直し
  例えば、Aという団体に、団体そのものの運営に対する補助金や、ある事業をするための事業費補助など、多額の補助金が充てられているとします。しかも、補助率は、10/10だとすると、ある団体は何も生み出さなくても(無料で人を集めて事業をしても、またそこに何人が参加しようが)、かかった費用は全て税金で賄われることになります。このAという団体が、公益性、市民全体の利益のために何か努力をすると思いますか?私の感覚では、人件費だけを確保したうえで、余った予算を消化するようになってくる=市民全体の利益にはならないと思うのです。どちらかといったら、税金の無駄使いだと思います。住民への行政サービスのカット、また市民に負担増を強いている裏では、こんな制度がたくさん残っているのです。

  こんな例もあります。ある施設を指定管理者として運営しているBという団体、そのBという団体は指定管理以外に自前で事業もして、相当な利益がある。そこに運営補助金が出ている。対象経費は「団体Bの運営に要する経費で市長が必要と認めた経費」で、これも補助率10/10である。しかも、指定管理料としても税金が投入されている。このBという団体が、公益性、市民全体の利益のために何か努力をすると思いますか?案の定、指定管理している施設は、その設置目的に合致したような事業はされておらず、当然、成果も出ていません。

  私は、 “補助金” 全てが無駄であるとは思っていません。その補助金があることで、色々な事業ができて、それが公益性、市民全体の利益に繋がっていくのなら、その補助金は必要だと思います。ただ、もし団体がずーっと補助金に頼っていると、団体AやBのようになって行ってしまうと思います。そこに公益性はありません。“税金” が “補助金” と名前を変えて、一部の人たちの利益になっていくだけです。

これまでの4年
  議員として、これまでの4年で「反対」をしてきたことは、前述のような「それって税金の使い方としてどうなの?」というものが、ほとんどでした。しかし(皆さんは、ご存知かどうかわかりませんが…)“補助金” って、ほとんどの場合、要綱など市長が定める法規で運用されており、議会はその制定にほとんど関与できません。いろいろ意見は言えたとしても、聞く、聞かないは、最終的に市長の判断ですので、予算=議案になった段階で否決するか、修正するかの道しかないというのが現実です。

  私は200件以上ある、この “補助金” という制度が、本当に市民全体の利益に繋がっているかどうかを、市民の目でチェックしていただきたいのです。そしてそこからの意見を背景に、補助金の精査をしたいのです。ある地域では、「補助金があるから、毎年事業をしなければならない」という声を聞きました。こういう感覚になってしまっているとしたら “補助金” は単なる “負担” になってしまって、逆効果です。

  現実味がない話かもしれませんが、補助金制度を精査すれば、相当な財源が眠っていると思います。制度があり、予算化もされているけれど、使われていない “補助金” は相当あります。収入=税金である自治体という団体は、お金がない場合、行政サービスのカット(経費削減)、市民負担増(収入確保)に動きますが、実際のところ、この “補助金” という世界は、ある意味、聖域化(既得権益化?)されていて、無駄がないのか厳しくチェック、場合によっては廃止するといったことは行われていません。行政サービスのカット、市民負担増の前に、まずは、補助金を総点検することが、市民にとって有益だと思います。

2017年4月15日

共助ネットワークの構築【政策目標】

宍粟市“夢公園”の桜
昨日(14日)の宍粟市は、とても暖かく、場所によっては暑いくらいの陽気でした。一転して、今日(15日)は、雨模様です…。

  市の南部では、桜が散り始めています。一方で、市の北部では、やっと蕾が膨らみ、もうすぐ開花というところもあります。やっぱり、宍粟市って広いなぁと感じました。
  
  そして、市内をあちこち走ってみると、見事な桜並木がいろんなところにあることに気づきます。桜の本数で考えたら、この広い宍粟市では、相当数になるのではないでしょうか?これって、都会では絶対にない風景です。もっとPRしていきたいですね。

  今回から、次の4年に向けての “政策目標” に関することを書くことにします。皆さんの判断材料の一つになればと思います。

熊本地震
  4月14日は、“熊本地震から1年” ということで、各地で追悼式があったり、報道では、特集が組まれたりしています。震災関連死を含め、亡くなられた方は225人、未だに仮設住宅で暮らす方は、4万人以上だということです。改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。また1日も早い復興を願っています。

  報道の中では、災害ボランティアの存在も取り上げられていました。震災直後は、1日に約4,000人のボランティアが熊本に集まっていたようですが、今はほとんどボランティアが来ていないそうです。私も息子と昨年の4月30日、5月1日と熊本に行って、ボランティアをさせていただいたことを思い返していました。確かにずーっと熊本が気にはなっていたのですが、あれから熊本には行けていません。

  今日、書類を探していて、偶然、熊本地震のあと市長と教育長に宛てた「被災した児童生徒の受け入れについての申入れ」という書類が出てきました。そういえば、趣旨に賛同いただいた議員(私を含めて8名)に名を連ねていただいて、次のような文書を昨年の4月20日に提出したことを思い出しました。
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 先日から続く、九州における連続地震によって、被災者・避難者の皆さんは、厳しい条件での避難生活を余儀なくされており、連続する地震は収束せず、精神的にも大きな不安の中で生活することを強いられています。

 小中学校が避難所として利用されており、休校している学校の数は450を超えるとの報道もあり、再開のめどは立っていないようです。

 このような状態が長く続けば、子どもたちの健康面への影響だけでなく、学習面での遅れ、またそれを取り戻すための過度な負担が予測されます。

 私たちは、これまで地震だけでなく様々な自然災害に直面してきました。21年の豪雨災害では、全国から温かい支援の手が宍粟市に差し伸べられたことも記憶に新しいところです。

 宍粟市は、これまで少子化、学校規模適正化により空き校舎、空き教室があります。それらを利用して、被災し休校になっている学校の児童生徒を中心に、先生や家族を受け入れ、教育活動を継続するための支援を行うべきです。

 被災した全ての児童生徒を受け入れることはできませんが、宍粟市として、関西広域連合が支援を決めた、「益城町」の児童生徒を受け入れる意思を表明し、関西広域連合、兵庫県及び兵庫県教育委員会を通じて、熊本県、熊本県教育委員会、益城町との調整が必要です。また、市民に対し、協力の要請が必要です。

 ぜひ、被災した児童生徒の教育支援、またそれに向けた協議に速やかに入っていただくよう申し入れいたします。
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  宍粟市と益城町は、700kmほど離れていますので、今思えばとても非現実的な提案をしたなぁと思います。実際に益城町からの受け入れはありませんでしたし…。ただ、宍粟市に、「そういう意思がある」ということを、表明しておくことの意味はあったと思います。しっかりとこの声が兵庫県、また益城町に届いていたでしょうか?

共助ネットワーク 
  熊本でのボランティアで経験したこと、感じたことは、その後の議員活動に生かしてきました。熊本では、ボランティアセンターで高校生、大学生くらいの若者が、一生懸命に活動していました。その子達と一緒に瓦礫撤去などに関わりました。高齢者だけのお家の片付けに関わりましたが、ちょっとおしゃべりするだけでも、とても喜んでくれました。災害云々は関係なく、普段から寂しいのだと思います。
 
  宍粟市でも、いざという時に応援してくれるような、広い意味での “共助ネットワーク”を、市内外の若者と築いていく必要を感じました。今冬の大雪の時にもそれを感じました。大雪の時は、一人で動いても何の役にも立てないことを実感しました。

  少子高齢化、過疎化が進む地域では、こうした “共助ネットワーク” を張りめぐらせることが、安心につながります。災害時だけではなく、普段から、若者が対流する仕組みが築ければ、福祉、教育、産業、観光などにも有益でしょう。