2016年11月14日

“街頭演説” 第4ラウンド終了【報告】

宍粟市の今日は “雨” です。この土日も、各地でいろいろなイベントがありました。どこも盛況だったようで良かったです。11月19日(土)〜23日(祝日)は、山崎町の最上山(さいじょうさん)では、もみじ祭りが行われています。今年は、良い感じに彩られているようです。私も行ってみようと思います。

“街頭演説”
 5月より始めた(一時、国政選挙があり中断しました…) “街頭演説” ですが、第4ラウンドを終了しました。回数でいけばもう直ぐ50回…。秋はいろいろ行事が立て込んでいて、なかなか時間が作れませんでしたが、市内11カ所で “街頭演説” を無事終えましたので、ここで原稿をアップしておきます。
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 今の宍粟市、合併から12年目に入っています。実は、多くの自治体が合併から10年以上が経過し、当時、合併したしなかったにかかわらず、大きな差が生じました。この差はどこから生まれるのか?国の指示、指導のもと全国同じように町づくりが行われてきたのであれば、これほどの差が出てこないと思います。合併は、国の政策として進められてきた経緯がありますので、実のところ国の指示、指導に従って合併した町が人口減や財政難に苦しんでいるような気がします。つまり、国の指導とは別に、地域にあった政策、地域住民との合意が取れた政策が進められてきたところが一人勝ちをしているような感じです。いろいろな調査を見てみると「合併してよかった」という声は、ほとんど聞こえてきません。逆に「合併しなければよかった」という声はたくさん聞かれます。これは宍粟市でも同じです。合併当時言われてきた、合併したらこんな素晴らしい町になりますというバラ色の未来…、それが今、目の前にあるでしょうか?地方創生では、どこの町も企業誘致、観光振興、特産品開発…どれも地方創生が言われる前から地道に取り組んで、試行錯誤し、努力をしてきた町の成功事例でしかありません。合併から10年を経過し、地方創生が言われるようになった今、全国の自治体で生じてきている差は、この10年の積み重ねの差です。
 
 宍粟市はどうでしょうか?合併してそれなりに良かったこともあるでしょう。合併しなかったら廃止されていたこと、ものが合併したことによって継続されているという事例もあるはずです。しかし、逆に合併前より後退している、また無くなってしまった「こと」や「もの」が目立ちます。合併前より後退している、また無くなってしまった「こと」や「もの」…これは教育、福祉、子育ての部分であるというのが私の見立てです。合併してこの部分を充実させる方向で町づくりが行われていれば、明るい未来が見えていれば、ここまで少子化や人口減に悩むことはなかったと思います。そして将来を悲観することもなかったでしょう。

 今、色々な分野で注目されている町、この10年間のまちづくりにおいて、将来を見据えて教育、福祉、子育ての部分に人もお金も使ってきた自治体が、地方創生の先進事例として注目されているにすぎません。この頃では、秋田県が子どもの学力NO.1で注目されていますが、かつては、子どもの学力という面では下位に位置した地域です。そこから、教育に相当の投資をして今の位置があります。それはすでに地域への誇りになっています。そして将来への希望になっています。この点で言えば、宍粟市の教育は、地域に縛り付けるために学力はそこそこで良いと言い切っているような町です。子供たちが地域への誇り、将来への希望なんて持てるはずがありません。
 
 宍粟市は、この地方創生という言葉が国から示された時、どのように反応したと思いますか?「やっと国が地方のために重い腰をあげた」、「いよいよ本気でまちづくりに取り組まなければならない」と言ったのです。やっぱり、この10年間は国からの仕送りが減る、県が面倒を見てくれないから何もできないということで、何もしてこなかったということです。市町村合併とは、そもそも地方自治体が自分たちで考え、自分たちで決め、自分たちで実行する、もちろん自分たちで責任をとることを期待されていました。国が面倒を見るような国が上、市町村が下という関係ではなく、地方が自立するための規模適正化という側面がありました。しかし、宍粟市、は国の指示に従って合併したんだから、面倒みてくれという姿勢でこの10年間を過ごしてきたことになります。もう一つ中心地への集中的な財政投資が、中心部への人口の集中、権限の集中を引き起こし、周辺部になってしまった北部地域の過疎を加速させていることは明白です。この中心部、周辺部、北部という言葉も町の中でも相対的な位置関係でしかありません。

 挙げ句の果てに「良くしてやろうって言っているのに何が文句あるの」という姿勢が行政、議会に見え隠れするのは、上から目線で嫌な感じがします。この「良くしてやろう」っていう言葉を信じろという方が無理があります。この10年間、そう言って進められてきたことで良くなった実感が持てないのではないでしょうか?合併自体がそうであったように…。
 
 私がこれまでの議員生活、というか宍粟市民になって感じたことといった方が正確かもしれませんが、これだけ強者に優しく、弱者に厳しい町では元気が無くなって当然だということです。私が宍粟市民になってからの6年で弱者、また小さい地域の切り捨てはどんどん進んでいます。正直、千種、波賀という過疎地域は、過疎債という借金ができます。例えば1億円借りても、7,000万円は後から地方交付税という形で戻ってくるという、何の保証もない国との口約束で行われている過疎対策です。また、この戻ってきた7,000万円は、波賀、千種で使われているという保証もありません。極端に聞こえるかもしれませんが、宍粟市にとって過疎地域は借金の担保のようなものです。人口減が緩やかになったり、人口増になったりしたら困るというのが本音でしょう。それが過疎地域の人口増や少子化対策に乗り出さない理由だと思います。どれだけ提案しても、格差の是正を訴えても、他の地域に住む議員も行政も、なんやかんや理由をつけて全て却下してきます。まあ、これが私の言い訳だといわれれば、その批判は甘んじて受けます。
 
 ここは繰り返して申し上げます。宍粟市は国や県の交付金、補助金、また借金に頼っている部分が大く、年間予算の約7割は依存財源です。宍粟市は、自分たちで判断することを避け、国や県に判断自体を投げています。住民は市町村よりさらに下層に位置されるので、住民は「こうしたい」という判断もさせてもらえません。また判断材料すら与えられないままお上の言うことに従わざるをえない状況が続いています。求めていない政策が進められ、求めている政策は進まない。みなさん、それに気がついているのではないですか?これから合併という国策に応じたということで、ある程度優遇されていた地方交付税は人口減も手伝って、どんどん減っていきます。また、合併特例債も使えなくなります。今の使い方では地方交付税の優遇措置が終わり、合併特例債の発行が出来なくなる時点でのショックに耐えられないと思います。政治に関わる者の、今がよければそれでいい、将来のことなんか知ったことではない、次の選挙に通ればそれでいいという考えがその背景にあります。そのタイミングは合併から15年後の2020年、平成32年にやってきます。
 
 選挙で市長、議員を選ぶということはみなさんから税金を集める権利、みなさんのお金である税金を使う権利をその人に与えるということです。これからどんな町を作っていくか?作っていきたいのか?どんな町を次世代にバトンタッチしていきたいのか?皆さんの声をもっともっとお聞きしたいと思います。ぜひ、その声を届けていただきたいと思います。どうかいっても無駄なんてことは思わないでいただきたい。声を上げることをあきらめないでいただきたいと思います。誰に投票したって一緒だと考えたり、また投票に行かないということは、将来に対する責任を放棄したことになります。将来世代に対する責任から逃れようとするような町に若者が定着するはずはありません。
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 次回からは、第5ラウンドに入るわけですが、もっと過激に!もっと具体的に!をキーワードに、頑張ります。SNS(フェイスブックの友達限定)での「ライブ配信」にも挑戦しています。これからも宜しくお願いします。

2016年11月5日

人口減の衝撃【報告】

宍粟市は、11月に入り朝夕は “寒い” と感じます。我が家でもストーブなど暖房器具が稼働し始めました。つい先日、市内2つのスキー場の共通シーズン券が到着し、兵庫県の最高峰、氷ノ山(1,510m)から、初冠雪の知らせが届きました。着実に秋から冬に季節は移っていきます。 
 鳥取県中部をはじめ、地震や台風などで被害があった地域では、これまでとは違った冬への備えが必要かと思います。住民の皆さんが体調など崩さぬよう、公助の手が行き届くことを願います。

国勢調査
 先日、2015年の国勢調査の確定値が発表されました。宍粟市の人口は、37,773人、2010年から-3,165人、-7.7%(増減率:前回調査から減った人数 3,165÷前回の人口 40,938×100で算出)となりました。旧町域別で見ると山崎23,108人(-1,357人、-5.5%)、一宮8,101人(-967人、ー10.7%)、波賀3,704人(-418人、-10.1%)、千種2,860人(-423人、-12.9%)となっています。合併時、2005年(平成17年)の国勢調査では、総人口43,302人で、2000年の調査と比較すると、-2,158人、-4.7%。2010年では、総人口40,938人で、2005年の調査と比較すると、-2,364人、-5.5%でした。市町村合併は、人口減を加速させています。これは “衝撃” です。特に山崎以外の3町域で減少率が10%を越えてしまいました。1995年(平成7年)には、4町合わせて47,685人でしたから、20年で約1万人、20%以上の人口が減ったことになります。人口ビジョンで掲げている目標33,000人は、次の国勢調査がある2020年にやってきてもおかしくない状況です。宍粟市は、“人口減少非常事態宣言” とやらを出していますが、これは「いよいよ人口が4万人を切りました…どうしましょう?」という程度のもの、人口が4万人を越えることはおそらくないでしょうから、いつ解除されるのでしょうか?そして、人口を維持するための方策はないに等しい状況で、どうしましょう?と住民に問うているだけです。人口減が緩やかになっている地域、人口流入が起こっている地域を見てみると、そこに共通していることは “住民自治” です。国や都道府県の政策とは別に地域にあった政策(いわゆる地域政策)をどんどん展開している地域がやっぱり強いのです。住民が自分たちで自分たちの町の将来を考え、自分たちで決め、自分たちで実行し、自分たちで責任を取る覚悟がある地域が生き残っていくような気がします。そして、もう一つの共通項は、若者のチャレンジに対して寛容な地域であるということです。(言い換えればシルバーデモクラシーを課題として認識している地域です。)

街頭演説
 5月から、議員任期が残り1年となったこともあり、 “街頭演説” を細々とやっています。これまで3ラウンドを終え、もう直ぐ4ラウンドが終わります。振り返るとその要旨は、①人口減は、政治の作用、政治の結果であるということ、②合併市町村にとって合併後10年〜15年の5年間は、これまでとはまったく違うということ、③若者が発言し、決定し、活躍できる社会の実現が必要であるということ、この3点に集約されます。議員任期の4年で毎年、視察に出かけているわけですが、そこで自分の波長にあった、宍粟市にとって見習うべき自治体、また必要だと感じた政策は、合併を選択しなかった小規模自治体の住民自治に関する条例、会議などでした。それは鳥取県智頭町の百人委員会であったり、香川県三木町の百眼百考会議であったり、今年の視察先、愛知県新城市の若者議会であったり、「地方自治は、民主主義の学校である。」という言葉を地でいく、自治体の姿にエンパシーを感じました。一部で、そのような自治体は、合併も含め国策に反していると批判もされ、住民自治なんか左寄りの思想だと国や県から目をつけられたりもしています。しかし、本当にそうでしょうか?地方創生の優等生と呼ばれるような自治体は、ほとんど平成の合併を選択していませんし、合併するか、しないかという重大な選択を、住民が決めたという経緯があります。成果が目に見えた時点で国や県も、「これまでも応援してきた」と手のひら返しをするのです。そして、その成果が国策や県の政策に昇華して、全国に波及していくという過程を辿っています。しかし、国策や県の政策として、上から(私は上からとは思っていませんが…)降ってくる頃には、もう遅いというのが現実です。多くの合併市町村は、合併特例債の期限であった平成17年に合併しています。現在、12年目に入っています。首長や議員の任期で言えば、3期目です。次の期、合併から15年を迎えます。そこで政治に関わる首長や議員は、これまでのような生半可な気持ちでは務まりません。次の次は引退するなんていうのは、町を立ち直れないほどにボロボロにして、そのボロボロになった町を次の世代に押し付けることを予定していることと同義です。このあたりのことを含め、5月まで地道に訴えていきます。次の選挙では、とにかく若者に被選挙権、選挙権ともに行使してもらいたいと願っています。