2014年3月26日

全面対決

今日は雨…。暖かい…。春です。
昨日、第57回宍粟市議会定例会(3月議会)が閉会しました。
平成26年度予算を含めた44議案は全て可決しました。

何度もブログで書いていますが、宍粟市は予算を特別委員会、議員の半数で審議します。
私は今回、この特別委員会の委員として指名されていません。
よって、委員長報告に対する質疑が許されています。
しかし、当日の朝に報告書が配布され、委員長が報告し、それに対して質疑…。
質疑する方も、答える方も無理があるのは当たり前です。
しかし、この制度を変えてこなかったのは
今まで不都合を感じたことがなかったからでしょう…。

私は、報告書をもらい、質疑までの1時間弱の間で
ここは聞いておかなければ…とか、ここは市民に詳しく説明しておかなければ…とか、
報告書に基づいて質疑をさせて頂きました。
良く覚えていませんが、こんな感じでした。
最初の質疑に対する委員長回答「議事録を見て改めて文書で回答します。」
私の発言「今日、採決するので答えられる範囲でも答えてください。」
委員長回答「熱心に傍聴して頂いていたので、答える必要がない。」
私の発言「傍聴したしないなんて関係がないのでは…。市民に説明すべきである。」
別の議員が「質疑の範囲を逸脱しているので答える必要がない!」
私の発言「委員長報告を朝もらって、報告を聞いてそれに基づいて質疑しているだけですので範囲を逸脱しているとは思いませんが…」
ということで質疑の時間終了。
質疑にはなっていませんので時間だけが経過したと言うことで…。
これで賛成か、反対かを決めろ何て無茶な話です。
だから採決前に悩みました。退席という選択肢ができたのです。
賛成…予算委員会を傍聴していましたし、問題点も把握しているつもりでしたので賛成したうえで執行期間中にチェック機能を働かせることは十分可能である。
反対…問題がてんこもりである予算であることは確かでした。しかし、委員会では全会一致で可決…きっと本会議でその結果は覆らないだろうし…。
退席…質疑に答えてもらっていない=判断ができない。この意思は退席という形でしか表現できない。
私は予算委員会を全て傍聴していましたので審議の経過や予算の問題点など把握しているつもりです。賛否も、今後自分の所属委員会でチェックすべき内容も自分の中で決めていました。
傍聴していたから答える必要はないみたいなことおっしゃっていましたが…
しかし、それは関係ありませんよ委員長!仮に傍聴していなかったらどうするおつもりですか?傍聴していなかったらお答えいただけたのですかね?
答弁しないということは、他の委員、今回は委員に指名されていない議員に対する
侮辱行為だと思います。もちろん市民を侮辱したことになると気づいてください。
懲罰動議でも出せば良かったなぁ…。
またそこに気づかず、「委員長、良くやった!」と休憩中に賛辞を送っていた方がいらっしゃったらしいですが…。
良くやった?何を?侮辱されて喜んでいる?この脳天気さ…。羨ましい…。

その後の討論では「質疑の範囲を逸脱しているので答える必要がない!」と
その場では何の権限もないのに、野次を飛ばしていた何とか党の市会議員団とかいう会派を代表したベテラン議員が反対討論されておりました。
委員長が同じ何とか党の市会議員団とかいう会派の方だったのであの発言は助け舟ですか?あなたは別の場で予算審議に全員が関わらなくても委員長報告に対する質疑もあるわけだし、半数で予算審議しても問題ないでしょ…といった発言をしていましたよね。
私はそれを貴重なアドバイスと受け止めて質疑をしたんですが…
回答を拒否させるって何様ですか?
私は今回の件を私に対する宣戦布告と受け止めました。
受けて立ちます。覚悟しておいてください。
敵に回したところでなんちゃ怖くないので相手としては不足ですが…。

2014年3月21日

今まで不都合を感じたことがない

今日は冬が去っていくのを惜しむような雪が時折降っています…。
なごり雪…そんなフォークソングがありましたね。
あの歌を聴くと…ちょうど今頃、高校を卒業し、大学のある土地へ引っ越しする時に駅に見送りにきてくれた友達、見送られ電車が動き出した時のジワーッとした感じを思い出します。それは浜松駅だったので雪なんて降るはずもなく、ピーカンの春でしたが…。
あれから25年近く経ちました。もう、故郷には戻れないのでしょうか?
両親も歳をとり、私ももうすぐ43歳になります…。

私はある資格(社会教育主事任用資格?)を取る為に1ヶ月ほど講習に通ったことがありました。全国的に行なわれる講習なので本会場は東京、そこから映像が全国各地に配信されそれを朝から夕方まで受講するというスタイルでした。
そんな講習会の形式はさておき、その中で今でも印象に残っているフレーズがあります。
誰が、どの分野のコマで言ったかは忘れましたが、人の人生を日の出から日没までになぞらえた話でした。それは…。
人生を80年としたら、40歳は正午。40歳までは自分の為だけに人生を生きても良いかもしれない、でも40歳からは人の為に人生を生きる。太陽がどこを照らすのか、影がどちらに伸びるのかみたいなもっと説得力のある話だったと思いますが…。
40歳からは私利私欲ではなく、後進の育成や社会貢献、わがままを聞いて、無茶を許してくれ育ててくれた社会への恩返し…。
私自身がそんな高尚な思想で日常を生きている訳ではないですが、頭の片隅で常に意識はしているつもりです。

さて、今回のブログは、先輩議員が良くおっしゃるフレーズについてです。
何かを変えようと提案した時、何か新たなことに取り組もうと提案した時に良く聞く「今まで不都合を感じたことがない…。」

これまで議案や委員会資料が事前に議員に配られないこと、常任委員会が同じ日程で行なわれていること、違法までとは行かないまでもよろしくないとされている、ひとつの議案の複数委員会への分割付託…今まで不都合を感じたことがないらしいです。

議案や資料が審査の当日に机の上にあっても不都合はない…直前に資料を見て、当局の説明を聞いて、賛否を判断できる能力は、1期目議員の私にはありません。長い議員経験がなせる技ですね。
常任委員会が同じ日程で行なわれていても不都合はない…会派という強固な組織に所属しており、自分が所属しない委員会の情報も共有できていると言うことでしょうか?やはり、会派ってすごい!無会派の私は、気になることが審査される他の委員会は傍聴したくて仕方ありません。
複数委員会に分割付託されるのは主に一般会計の補正予算…「予算は不可分であって、委員会としての最終的審査は 1 つの委員会において行うべく、2 以上の委員会で分割審査すべきものではない」という国の見解が昭和28年、29年あたりに示されていても、今まで不都合を感じたことがないらしいです。議員は所属委員会は別でも補正予算の賛否は常に意思統一が図られていたのでしょう。それまでに内部で相当な議論が行なわれていたのですね。さすがは言論の府です。
また、平成 18 年 6 月の地方自治法の一部改正により、これまで「議員は、それぞれひとつの常任委員となるもの」とするとされていた所属制限が廃止され、「議員は、少なくともひとつの常任委員になるもの」とすると改正されたにも関わらず予算委員会を常任委員会化し、分割付託を回避してこなかったのは…不都合はなかったからですよね。

こう考えると、1期目の議員は何もできない、会派を組んである程度のまとまりを作らなければ何もできないと言われることも納得できます。現在は、事前に配られる資料、常任委員会が別日程で行なわれること、予算の分割付託や予算委員会の在り方を検討し始めていること…すべて1期目議員のわがまま、少数意見を議会運営に反映して頂いていることに感謝申し上げます。やはり2期目以上議員をされている方々は、度量が違います。これまでの悪しき慣習を変えていこうという議会改革特別委員会の委員長、副委員長を1期目議員がさせて頂けていることも…。

2014年3月20日

発言の責任

今朝は雨です。今日は市内の小学校で卒業式が行われます。
昨日は幼稚園での卒園式…。我が娘も卒園、4月から小学校です。
9名の同級生の中で女の子一人…。よく頑張りました。
うちには現在小3の娘もおりますので何とかなりましたが、
いなかったらストレスフルな3年間だったかと…。小3の娘にも感謝です。
卒園、卒業…おめでとうございます。新たな一歩、心から祝福し、応援します!

昨日私は、卒園式を終え議会改革推進委員会の政策分科会へ向いました。
今後、政策分科会で何を議論するか?が議題だったはず…。
当然、それに向けた準備をしていった訳ですが…。
分科会が始まって…
これまでの議題について整理しておくべきことがあったのでそれをまずは整理して、
本題に移ろうとした時…。
予算決算委員会を全員でするか?半数でするか?採決せよ!との貴重なご意見が…。
これまでは議論が拙速、重要な問題だからもっと議論すべき、
結論を先延ばしにしてでもよく考えるべきと要求してきたことを覆す発言に唖然…
私は分科会長として極力持論を抑え、議論の経過にしたがって動いているだけですが…
しかも少数意見(現在では多数派になっている)を尊重した結果の“今”ですよ?
これまで皆さんが言ってこられたこと、主張されてきたことを尊重して“今”があるのですよ?そんな無責任なことが許されるのでしょうか?発言を撤回するなら次は相当な根拠をもって周囲を納得させる責任が生じますよ。それが説明責任では?

世の中の会議、全てが全て多数決でものごとを決めているような言いぶりでしたが、ここまでは合意できますよね?これでいきますよ?と確認した時に何も言わなかったってことは、合意している、異議なしと同じだと思いますが…。採決しなくてもです。
根拠もない主張に対して多数決で物事を決めていく何てことが行なわれているのは“議会”という特殊な場だけだと思いますよ。議会の経験が長ければそれが標準…。仕方ないですね。経験がものを言う世界ではないことも議会の特殊性かもしれません。
以前、住民と教育委員会の間で行なわれていた議論で採決しようとしたら、それをさせなかった教育委員会の方がおられました。そして、多数決なんかで決めないでひとり一人意見を言ってほしいと…。誰が聞いても皆さんAという意見だったにもかかわらず、Aという意見は却下されました。つまり、自分の都合が悪いことは採決せず多数の意見を黙殺し、都合が良いものは採決して少数意見を黙殺していく姿勢がどうやら行政、議会には染みついているようです。

学校でも、企業でも通常は意見に対して根拠をつけて意見表明、議論しています。
「私は○○だと思います。なぜなら…」といった具合です。ここのなぜなら…を聞いて、
自分の意見△△と照らし合わせて、それなら○○の方が良いなぁとか、
やっぱ自分の△△の方が良いなぁとか、△△と○○は別ものだと思っていたが□□ならどちらの意見も尊重できるのではないかとか、その根拠なら○○ではなくて、××なのでは?とか…そのように合意形成していくと思うのですが…。
それは時間がかかりますよ。だって新しい価値を創造する過程ですから…。

今まで議論が拙速だということを根拠に決めるべきではないと主張してきた方々が、
今度は議論を尽くしたからということを根拠に採決すべきと主張する…。
根拠なんてあったものではありません。きっと何か都合が悪くなったのでしょう。

穏やかにいろいろな意見を聞いて議論を進めようということもあり、
結論を先延ばしにしたのですよ。これは住民にとっては“不利益”です。
多くの税金が使われている訳ですから、苦渋の選択です。

先延ばしにするのも、採決しようとするのも一体どちら様のご都合ですか?
社会からの議員定数、議員報酬削減の要請はなぜ起こるのでしょうか?
私は人口が減ってきたからそこまでの人数は必要ないと言う人口に対する議員の割合ということがその根拠だとは思いません。だから適正な人数(割合)ははじき出せません。
今のような議員ばかりならそんな人数は必要ないと言われていることと一緒だと思っています。議員は襟を正せと言われているのだと思っています。

1期目のくせに、しかもまだ1年も経っていないのに何様じゃ!生意気だっ!と言われてもなんちゃ気になりません。先ほども書いたように“議会”とは、経験が邪魔をすることが多い極めて特殊な世界だと割り切っていますし、これまで住民の側に立ってしっかりと議論してきていれば、説明をしてきていれば議員定数削減、議員報酬削減の要請なんか出るはずはありません。無駄遣いなんて思われるはずがありません。

と言いながら、自分は報酬に見合った仕事をしているのか?自分に問いかけてみます。
これだけ“批判”するのであればお前はどうか?と聞かれるに決まっていますから…。

2014年3月16日

税金の無駄遣い

「税金の無駄遣い」と言われれば、その批判は甘んじて受け入れるしかありません。
お粗末な特別委員会でした。この委員会自体が税金の無駄遣いなのかもしれません。
何の為に議会は存在しているのでしょうか?これが予算審議?マジっ?
議会も執行部も本気でかからんかいっ!新市長の最初の予算ですよね?
市長を裸の王様にする気でしょうか?

これが今回の予算特別委員会を傍聴しての正直な感想です。
他人事のように聞こえるかもしれませんね。
私もその責任の一端を担う者の一人…住民の皆さんには謝るしかありません。
このブログだけでなく、私がいろいろなところで発言する内容は
結局2期目以上の議員にとっては、
これまでの議会活動を批判することになり、
その人の人生を批判することになるのでしょうか?
まぁ、議会活動は思い切り批判する気はありますが、
人生を批判するつもりは毛頭ありませんのでご安心を。

クリティカルシンキング…これは批判的思考と訳されています。
私は社会学の分野でこの言葉に触れました。
物事の本質を探すために多角的に観察するといった意味合いだったと思います。
議会は予算案など市の提案を批判的に見ていくのがごく普通の思考だと思います。
“批判”という言葉を調べると…
批判という言葉は反対する、受け入れないなどのイメージから
否定や非難と同義で用いられるケースが存在するが、
批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指し、
客観的把握をベースとした正確な理解が必要である。
批判という字自体、批=事実を突き合わせる、判=見分け定めるという意味合いであり、
元々否定や非難という意味を持たない。
また、否定という言葉はその情報自体を拒絶するという意味合いが強く
また主観的要素を含んでおり批判という言葉の意味とは隔たりがある。
とのこと…
周りにイエスマンしかいなかったら、
物事を多角的に見ることができず行き先を誤ると思います。
首長1人、議員複数名を直接選挙で選ぶ地方自治体の選挙は、
裸の王様を作らない為の制度だと思います。
議員になったら配られる「議員必携」には、こう書かれています。
議会は、住民に金銭や労力の提供を強制的に求める権利=課税権を持つ権力者に対抗する
住民代表の機関として生まれたものである…と
今の議会にはこんな機能はありません。
せいぜい、特定地域(地盤)への利益誘導くらいです。
思惑は別にして…(票に繋がるなど最終的には私利私欲だったとしても)
特定地域(地盤)への利益誘導は歴史的に見て仕方のないことだと割り切ります。
身近に起こっている課題を市域全体の課題として捉えて、
行動してくれればそれはそれで良いことなので…。

皆さんにお願いです。日々の生活(予算執行期間)の中で、
無駄遣い、成果が出ていない事業がないかどうか?
皆さんが納めた税金がどう使われているのか?
納税したら行政にお任せ…ではなく、投票したら議員にお任せ…ではなく
是非、見届けてやってください。それこそ批判的に…

市町村合併は地方交付税を縮減するための国策という面があります。
もうすぐ地方交付税は激減します。
それまでに無駄を洗い出しておかないと大変なことになります。
また、住民の参画、住民との協働を進めないと、
人もお金も縮減される行政機関はパンクします。
ただ、誤解しないで頂きたいのは、
住民の参画、住民との協働は行政を助ける為のものではなく、
自治を住民に取り戻すことですので…。

2014年3月13日

ゆるーい歴史

一昨日は3.11…東日本大震災から丸3年経ちました。
これまで具体的な行動は何もできませんでしたが、
これからは何か行動しなければならないと感じております。
言い訳をすれば、震災の時はすでに宍粟市への引っ越しが決まっていました。
そこから3年間は自分自身の生き方に関わる大きな岐路があり
家族を巻き添えにした後ろめたさもあり…まわりが見えていませんでした。
私も宍粟市に来て4月で丸3年…。
いろいろな面で成長したかと思います。自己満足かなぁ…?
改めて津波などで亡くなられた方々、そのご家族・ご友人
…皆様にお悔やみ申し上げます。
また、依然として避難されている方々、復興の途上におられる方々、
福島の原発事故で目に見えない被害を負われている方々
…皆様にお見舞い申し上げます。

さて私が住む宍粟市波賀町の“ばんしゅう戸倉スノーパーク”は、
この週末、来週の日曜日16日で今シーズンの営業が終わるようです。
今シーズンは、年末早々にたくさんの雪が降り、
3月に入っても適度に降りましたので、
例年になく長ーくオープンできたようです。良かった良かった…
3人の子ども、私…滑り納めに行きたいと思います。
ちなみに千種高原スキー場はまだまだいけるみたいです。
戸倉の次は千種へ行こう!

今週、議会では平成26年度予算の審議をする
予算特別委員会が行なわれています。
予算審議の在り方、現在の宍粟市議会の抱える問題については、
すでにブログでも私の考えを記しておりますが…
これは傍聴をしていて感じたことです。

予算は議会の議決がなければ執行できません。
ですから予算を執行させて良いのか?無駄な事業はないのか?
根拠がなくだらだらと慣例的に支出しているものはないのか?
継続事業の場合、予算に見合った成果があったのか?
新規事業の場合、予算に見合った成果がでるのか?成果が測れるのか?
議員として気にならないのでしょうか?
もうすぐ採決ですよ。意思表明しなければならないのですよ。
しかし、議員の傍聴はまばら…
強固な会派があるから大丈夫ですよね?羨ましい…。

予算審議の経過を見れば、その予算計画で暮らしが良くなるのかどうか?
そんなこと考えていない議員がほとんどであることは明白です。
例えば…
ある議員(この方はしっかり勉強して審議に臨んでいると思います。)が
Aという事業や分野について審議したとします。
他の議員は関連質問がすぐに出てきません。
だいぶ経過してからAに関連した発言をする…
準備していればそんなこと起こりえません。
事前に準備していなくても、Aについてやりとりがされている時、
その場でAについて自分なりに考えていれば、
関連する疑問や確認すべきことが出てくるはずです。
発言は単なる“思いつき”、座っているだけに他ならないのです。
特定地域(地盤)、自分自身への利益誘導のような発言が多い…。

私は批判的な発言をあえてすることで自分の退路を断っています。
言ったからには体現するべきと思っています。

議会軽視の傾向は、これまでの議会の取り組みの結果ですね。
ずさんな計画でもすんなり通していた歴史があるのですね。
とにかくひどいと思います。
この歴史は行政にとっても、住民にとっても不幸な歴史です。
住民主体、住民の参画、住民との協働など単なる美辞麗句です。
まったく“自治”が進んでいないと思っています。
そりゃーまちづくりが停滞するわけだわっ!
高度経済成長、バブル景気の時代同様、国や県に頼り切って
市自体が基礎自治体として自立しようとしていないのに
住民が自立しようなんて思うはずがありません。

この“自治”とまちの“活力”の関係については改めてアップします。
もう少しこの関係については、研究する必要がありますので…。

2014年3月10日

議決の重み

今朝も雪がうっすらと積もっています。
3月に入って、雪の日が多いですね。
いよいよ春に向かって行きます。
先月、大雪被害があった地域は大丈夫でしょうか?
油断をすることはないかと思いますが、気をつけましょう。

宍粟市では今日の午後から平成26年度の予算審議が始まります。
市民からテレビ中継を要求されましたが、叶いませんでした。
(私も中継には賛成、要求した側ですが…力不足です。)
傍聴は可能です。できるだけ多くの方に審議を見守って頂きたいと思います。
以前にもブログで書きましたが予算審議は特別委員会形式、
現在の仕組み上、私は予算特別委員会には入っておりません。
予算委員は8名、委員長は採決には加わらないので4人の意見が一致すれば
委員会での賛否が決まります。
もし予算案否決になったら、それは基本的に市長の不信任を意味するようです。
また問題のある部分を議会が修正する修正可決という可能性はありますが、
宍粟市だけでなく全国的にあまり例がないようです。
だからこそ予算委員会を常設にして、全議員参加のもと
予算を作る段階から議会が関わる必要があると思います。
しかし、執行部(市役所)は、嫌がると思いますが…。
執行部だけでなく議会の一部勢力も同様でしょう。
執行部の出してきた案を原案可決していたほうが楽でしょうし…。

昨日、宍粟防災センターで『内部被ばくを生き抜く』
という映画の上映会がありました。
監督である鎌仲ひとみさんの講演も行なわれました。
私は浜松市に住んでいました。
浜松の中心部と浜岡原発は約35kmくらい、
子どもの頃は何となく不安を抱えていました。
またあの辺りは大きな地震が起こると常に言われていましたのでなおさら…。
福島の事故が起こった時は、とにかく大事に至らないことを祈ることしかできませんでした。

この頃とにかく考えさせられます。それは議決の重みです。
線量限度をあげたのも、避難区域を設定したのも基本的には政治判断です。
事故後、正確な情報を伝えず多くの人を被爆させてしまったのも政治の責任です。
除染や被災者支援の程度を決めるのも政治です。
原発立地を許可した県や市町村の判断でもあります。
議決とはそれだけの重みがあります。
もちろん条例の文言を法律に従って変更するなどすんなり通るものもありますが…。
しかし、地方自治体の自治に関するものは議会の議決(承認)がなければ執行できません。
だからこそ議会は常に住民の側に立っていなければならないのです。

そしてその重要な判断をする議員、そしてそれを選ぶ住民…。
いずれも学校、地域、家庭の教育の賜物です。
そう考えると改めて教育の重要性についても考えさせられます。
今日は、中学校の卒業式…。
真実を追求する姿勢をもって旅立って欲しいと思います。

2014年3月7日

考えさせられました。

またまた久しぶりの更新になってしまいました。
現在、3月議会の真っただ中でバタバタしており…。(言い訳です。)
昨日、新聞折り込みで1期目議員4名で報告書?を入れさせて頂きました。
決して会報ではないです。会派ではないので…。

そして今朝は、久しぶりに雪景色です。
家の周りはうっすらと積もりました。
スキー場は、どうでしょうか?
ここから北へ30km弱…
もうちょっと降っていてくれたら良いのですが?
(町内でもう少しスキーをしたい個人の思いです。)

来週、3.11.東日本大震災から3年ですね。
私が宍粟市に来たのが平成23年4月でした。
私ももうすぐ宍粟市民4年目を迎えます。
そして、もうすぐ議員として2年目を迎えます。

先日、福島で被災され岡山に避難されている方の講演会に出かけました。
子ども未来・愛ネットワーク
代表の大塚愛さん、ありがとうございました。
元々は岡山の方らしいのですが、できるものなら福島に帰りたいとのことです。
しかし、お子さんのことを考えるとどうしても帰れない。
当然、“被爆”を恐れているのです。
内閣府の資料から…
現在の避難指示区域は、
放射線量(空間線量に基づく年間積算線量)の水準に応じて、
以下の3つの類型に区分けされている。
(3) 避難指示解除準備区域
年間積算線量20mSv以下の区域
(2) 居住制限区域
年間積算線量20mSv~50mSvの区域
(1) 帰還困難区域
年間積算線量50mSv超
(事故後6年を経過してもなお、年間20mSvを下回らないおそれのある区域)
ちなみに大塚さんが暮らしておられた川内町は、
一部が居住制限区域と避難指示解除準備区域になっていますが、
多くは避難指示区域に入っていません。

では、どのくらいなら被爆が許容されるか?
個人が受ける放射線被曝量をできるだけ抑えるために設定された
線量値=線量限度は、
一般人については年間1mSv、
放射線作業従事者には任意の5年間の年平均で20mSv
(ただし、どの年も50mSvを超えない)
自然界からの放射線(世界平均で年間2.4mSv、日本の平均値は1.4mSv)と
医療目的の被曝は含まれない。
これは、学術組織である国際放射線防護委員会(ICRP)が、
主として広島、長崎の原爆被爆者のデータを解析して勧告の形で発表。
日本を始め多くの国が放射線障害防止のための
法令や安全審査の指針類に取り込んでいる。
との記載も見つけました。

ご存知かとは思いますが、
本来は年間1mSvと決めていた線量限度が、
20mSvになっているのです。
この線量限度をあげた根拠は、
ICRPが今回のような事故などで住民が全て故郷を放棄してしまえば
その再建が難しくなるので、我慢値を別に定めているようです。
それが、20~100mSvなのです。
もちろん有害で、運の悪い人は将来癌になるという線量?
日本政府はこの勧告を根拠に計画的避難区域を設定する際の基準として、
20mSvを選びました。

子どもも成人と同じなのか?同じです…。同じで良いはずがありません。
(と私は思います。)
政治というのは恐ろしいものでこんなことを決められるのですね。
そしてその判断が正しかったか、どうかはこれから徐々にわかるのです。
しかし、被爆と病気などの因果関係が証明できないとして
責任を取ろうとはしませんよきっと…。
何か明日の議会での議決が怖くなってきました。

最後にもうひとつ考えさせられたこと、それは…
避難をしたくても仕事、家庭の事情で避難ができない、
また地域の絆が強いので自分(自分達)だけが避難することが
後ろめたいから避難ができない…みたいなことをおっしゃっていたこと。
あんな想定外のことが起こると地域の絆すら変な束縛に変わるのだと言うこと。