鈴木浩之(すずきひろゆき)
1971年(昭和46年)4月生まれの41歳です。
これまでのプロフィールの続き、大学時代です。
次回くらいで完結させたいですね。(別に興味ないかぁ・・・。)
大学受験が目の前にちらつき始めた時、「学校の先生になりたい。」という思いが起こりました。
四つ上の姉に相談したら、灰谷健次郎の本を紹介されました。「兎の目」だったかなぁ・・・。
それを読み進めていくうちに、先生になりたいという気持ちはどんどん強くなりました。
また、小学校?中学校?教科は?・・・など具体的な話になった時、「養護学校」今でいう
「特別支援学校」を選択しました。学力に縛られない教育の核がそこにあると考えました。
「答えのない教育」と言えばよいでしょうか?そこに魅力(責任の重さ)を感じました。
なんやかんやあり、センター試験、二次試験を経て、
信州大学教育学部の養護学校教員養成のコースになんとか合格しました。
1年生の時は、教養部がある松本市でそれ以降は教育学部のある長野市で大学時代を過ごします。
サークルは「サイクリング部」で、全国各地を自転車で旅しました。
アルバイトはファミレス、建築業、農園、家庭教師、居酒屋、ケーキ屋・・・。いろいろしました。
3年生になって、研究室は「障害児病理学」、ネズミの行動実験をやりました。
かみさんとも、大学で知り合いました。酒を浴びるほど飲みました。
教育実習に行った時、私の「先生になりたい」という思いは音をたてて崩れます。
運が悪かったのか、自分の目の前にあった教育現場は「答えのある教育」だけでした。
そんな短い期間で何が分かる!とお叱りも受けましたが、もう先生になるという選択肢は完全になくなりました。あらかじめ用意された答えに子どもたちをどう導くか?に右往左往する気はありません。
大学卒業後、今の仕事でもある野外教育の講習を受けることにしました。
そこで「答えのない教育」に出会うのです。
次回、ここから現在まで一気に駆け抜けます。
(続く)
次回くらいで完結させたいですね。(別に興味ないかぁ・・・。)
大学受験が目の前にちらつき始めた時、「学校の先生になりたい。」という思いが起こりました。
四つ上の姉に相談したら、灰谷健次郎の本を紹介されました。「兎の目」だったかなぁ・・・。
それを読み進めていくうちに、先生になりたいという気持ちはどんどん強くなりました。
また、小学校?中学校?教科は?・・・など具体的な話になった時、「養護学校」今でいう
「特別支援学校」を選択しました。学力に縛られない教育の核がそこにあると考えました。
「答えのない教育」と言えばよいでしょうか?そこに魅力(責任の重さ)を感じました。
なんやかんやあり、センター試験、二次試験を経て、
信州大学教育学部の養護学校教員養成のコースになんとか合格しました。
1年生の時は、教養部がある松本市でそれ以降は教育学部のある長野市で大学時代を過ごします。
サークルは「サイクリング部」で、全国各地を自転車で旅しました。
アルバイトはファミレス、建築業、農園、家庭教師、居酒屋、ケーキ屋・・・。いろいろしました。
3年生になって、研究室は「障害児病理学」、ネズミの行動実験をやりました。
かみさんとも、大学で知り合いました。酒を浴びるほど飲みました。
教育実習に行った時、私の「先生になりたい」という思いは音をたてて崩れます。
運が悪かったのか、自分の目の前にあった教育現場は「答えのある教育」だけでした。
そんな短い期間で何が分かる!とお叱りも受けましたが、もう先生になるという選択肢は完全になくなりました。あらかじめ用意された答えに子どもたちをどう導くか?に右往左往する気はありません。
大学卒業後、今の仕事でもある野外教育の講習を受けることにしました。
そこで「答えのない教育」に出会うのです。
次回、ここから現在まで一気に駆け抜けます。
(続く)