2015年5月16日

どんな “まち” がお好みですか?【雑談】

文化創造センター図書室(波賀町)
宍粟市の今日は、暑すぎず、寒くもなく…いわゆる “過ごしやすい” 陽気です。しかし、あまり観光客の方は市内に流入されていないみたいです。GWのお出かけ疲れがまだ抜けませんかね?これからの季節の宍粟市も魅力たっぷりです。多くの方にお越し頂きたいと思います。多くの方の目に触れること、多くの方に感じてもらうことが今の宍粟市にとっては、とても重要です。そして、それをフィードバックして頂きたいと思います。良いところも、悪いところも中にいると気づかないことが多いのです。

前回の続き…
 前回のブログで総合計画策定に対するリクエスト…というところで終わっていたのでその続きを書きたいと思います。審議会を傍聴していて、また議会(総務文教常任委員会)で市の担当者からの報告を聞いて感じていることを率直に書きます。それは、今審議されている素案が行政主導で作成されていると言う前提に立ってのことです。(間違っていたらスミマセン…)私は審議会は素案を評価する会議ではなく、総合計画を “策定” するための会議だと思っていましたので、素案自体を審議会で作って欲しいと思っていました…。その素案をもとに行政が計画の体裁を整えるような感じでしょうか?
 条例には、『宍粟市総合計画の策定に関し総合的かつ専門的に審議するため、宍粟市総合計画審議会を置く。』とか、『審議会は、宍粟市総合計画の策定に関し必要な重要事項を調査審議する。』と書かれていますので、守備範囲が広範囲でかつ抽象的…審議会の場で何が話されているのか?何を言って良いのか?どんな意見が求められているのか?この場で何が決まっていくのか?など、審議に関わる市の職員も委員も “暗中模索” のような印象を受けるのです。これはとてもしんどい作業では?本来、何か新しいものを作る創造の過程は、ワクワクすると思うのですが(これも私の価値観と言えばそうですが…)それが感じられない(伝わってこない)のはとても残念なことです。市民がこういったプロセスに参加し、ワクワクしながら新しい価値を創造できる…こんな “まち” は、住んでみたい!住んで良かった!住み続けたい!っていう “まち” だと思うのですが…。別に私自身がこう言った計画の策定、行政の評価などに長けているなんて思っていませんので、“市民” としての意見だと思って聞いて頂ければと思います。(もちろん議員として、伝えるべきところには同じようなことを伝えます。)

ボタンの掛け違い
 先ほど、暗中模索という言葉を使いましたが、その原因は、ボタンの掛け違い…だと思います。まず、10年後の宍粟市がこんな “まち” だったら良いのになぁ〜というイメージが共有されないまま、基本目標、基本方針、基本施策、まちづくり指標を含めた素案が提示されてしまっていませんか?目の前にある程度形作られたものが現れた時点で、審議=評価になってしまうのではないでしょうか?10年後の “宍粟市” って…子ども達にとっては?農業や林業の従事者にとっては?観光産業に携わる人は?お年寄りにとっては?…性別、年齢、職業、居住地などなど多様な意見を審議委員の方が出し合うことから始めていないことが “ボタンの掛け違い” と思った理由です。ここがたくさん議論のテーブルにのれば、基本目標→基本方針→基本施策と具体的にして行きやすいと思いますし、ワクワクしませんか?そして、目指すまちに向っているかを測る指標、“まちづくり” 指標は、こんなふうに思う市民が増えたら良いよね〜とか、宍粟の特産品がどんどん売れてくれれば良いよね〜とか、図書館にたくさんの人がいるまちが良いよね〜とか…勝手に出てくると思います。審議委員の方々は、自分の立場で(または市民の思いを推し量って…)理想の “まち” を語って頂くと言う最大の役割をさせてもらえてないのではないでしょうか?そうすれば小委員会の枠組みももっと違ったものになった気がします。いつの間にか行政の枠組みにはめ込まれてしまっています。

10年後の宍粟市は?
 全部の審議資料が手元にあるわけではありませんので何とも言えませんが…今回の素案の体系は、10年後のまちの姿『…』ー基本目標ー基本方針…基本施策(ここにまちづくり指標が設定されています。)というツリー構造です。10年後のまちの姿(=大目標としておきます。)…第1次総合計画の10年では『人と自然が輝き みんなで創る 夢のまち』だったかと思いますが、これは今回の総合計画にも継承されているのでしょうか?それとも新たな旗印となるフレーズがあるのでしょうか?もし、最後にここを決めるのであれば、それはとてもナンセンスなことです。(市役所の庁舎に書いてあるからコレで行こう…なんて思っているとしたらもうおしまいです…)10年後のまちの姿っていうのは、チョット遠すぎるので5年で基本計画を区切っています。また、基本目標を束ねたものが大目標ではありません。別の言い方をすれば、大目標は山の頂上…登山口が基本目標って感じでしょうか?市民がそれぞれの立場でいろいろな登山口から10年間かけて一つの頂を目指すというイメージです。一体頂上はどこなのか?がボヤーッとしていて、どこに向って、どれだけ歩いたのかがわからないとその道のりは単なる “苦行” です。総合計画は、市民が共有する登山地図&行程表です。どんな山に登ろうとしているのでしょうか?これは、市長の公約とも直結する部分ですので、市長がそこをハッキリさせないといけないのかもしれません。(もちろん議会もなのですが…)

まちづくり指標について
 いろいろ言ってきましたが、もうここまで(夏にパブコメ、9月に議会に上程…)来てしまっているので、今さら感は否めません。そこで “まちづくり指標” ならば、これからどうにでもできるという可能性を信じて最後にいくつかリクエストを…。
 まず、○○に対する市民の満足度という指標について、私の考えを書きます。これはアンケートの時点でも感じたのですが、どう答えて良いか分からないとても抽象的な表現です。例えば農業の振興という基本施策のまちづくり指標、「農業の振興」に対する市民の満足度…平成25年のアンケートで6.8%、5年後の平成32年にこれより増加?これは市民の6.8%しか満足していないのではなく、どう答えていいのか分からないのだと思います。農業従事者、農業振興を担う団体、農産物の消費者、農産物を売る観光施設…それぞれで満足する視点が違いますよね。市民として考えた時には、「地元の農産物が美味しいと感じる市民の割合」とか「地元の農産物が手軽に手に入ると感じている市民の割合」など、“住民意識” に着目してみたらどうでしょうか?これならアンケートにも答えやすと思いますが…。
 また、人数を測る指標は、人口減が予測される状況、そして人口密度が地域によってバラツキがある宍粟市では、その対象エリアを細分化し、そこの人口に占める割合を測る方が良いと思います。現状維持を目指すような指標は、本当にそれで良いのか?から疑ってみてください。現状では、多くの人が豊かではない、充実していないと感じている分野で、もし現状維持という目標設定であったら、それで良いと言える根拠を探ってください。参加者数のような指標は、参加しようにも機会に恵まれないとか、地域によって回数や時間に差がある場合がありますので、ここも対象エリアを細分化し、単位時間や日数で測ってみたらどうでしょうか?そして、現在地がわからない指標…これは厄介です。5年間は目標を持たずにとりあえず進む?これは最悪です。分からなければ調べれば良いだけです。
 まだまだ “まちづくり指標” については、いろいろ言いたいことがあります。それは市民としても、議員としてもです。ここが明確かどうかが市役所職員を含め、市民のまちづくりに対する意欲に繋がると思います。目指す頂上さえ間違わなければ、登山口も登山道も違って良いのです。進み方もそれぞれのペースで良いのです。途中で道に迷っても分かるところまで戻って、また登り始めれば良いのです。途中でリタイアしそうなメンバーを周りがフォローすれば良いのです。しんどくなったら休憩すれば良いのです。
 何かとりとめもない話になってしまいました。伝わるのか伝わらないのかも分かりませんが、最終的に議決しなければならない立場から、市民の想いが詰まった計画であって欲しい…ただそれだけです。そして、「市民の参画で計画を作りました」という行政のアリバイに使われて欲しくない…。これも正直な気持ちです。

2015年5月15日

誰のもの?誰の為のもの?【雑談】

 
元多治見市長 西寺雅也先生の講義
宍粟市の今日(14日)は非常に暑く、「まだ5月だよね…?」と自分の季節感を疑ってしまうような陽気でした。全国的には、真夏日(最高気温が30℃以上)となった地点が48箇所…。最高気温は、前橋市の32.5℃だそうです。熱中症で病院に搬送という事もあったようです。屋外で活動することが多い季節です。皆さんもしっかり熱中症対策をして下さい。

総合計画?
 宍粟市では、第2次総合計画の策定作業中…。14日は、第7回の総合計画審議会があったので傍聴させて頂きました。前にこのブログで書きましたが、私は議会として、総合計画に関わる特別委員会を設置し、議会としての案をもった上で行政から出される案と照らし合わせて、審議(必要であれば修正)すべきと言う立場でした。しかし、特別委員会の設置は、反対多数(確か議長を除く17名のうち、13名が反対したと思います…。)で否決されましたので、行政の総合計画策定作業にどこまで関われるのか分かりません。議会としての対案を持てないので修正は出来ない…つまり賛成か反対かの判断を迫られることになります。
 ところで “総合計画” ときいてもピンと来ない方も多いと思いますので、チョットだけ私の考えを…。どこの自治体でも、だいたい10年間のまちづくりの方向性を定める計画が策定されます。(市長任期に合わせて8年という自治体もあるようです。)だいたい市役所など行政機関は○○計画というもの作って、それに基づいて事業をします。○○計画というものは、法律で「作りなさい」と決められているものも多く、それがないと国からの財政措置が受けられないなんてものもありますので、宍粟市○○計画というのはたくさんあります。宍粟市でちょうど今、パブリックコメントが募集されているのが、『第2期地域福祉計画』です。(27年度からの計画なのに今パブコメ?という疑問は持たないようにします…。)そう言った計画の最上位に位置するのが “総合計画” だと考えられています。しかし、“総合計画” は、他の多くの計画と違って、絶対作らなければならないという性質のものではないようです。これまでは、地方自治法で市町村に対し、総合計画の基本部分である「基本構想」について議会の議決を経て定めることが義務付けされていましたが、平成23年に基本構想の法的な策定義務がなくなり、策定及び議会の議決を経るかどうかは市の独自の判断に委ねられることとなったようです。(ここでは基本構想について言及されていますが、計画の構造から言って、基本構想≒総合計画と理解してもらっても大きな間違いではないと思います。)宍粟市の場合、自治基本条例で、市民、市議会及び市の執行機関は、総合的かつ計画的にまちづくりを進めるため、市の目指すべき将来像を定める基本構想及びこれを実現する政策を定める基本計画=総合計画」を策定すること、また市民参画のもと、その案が作成され、議会の議決を経て策定されなければならないことなどを謳っています。別の条項も含めて、自治基本条例を見れば、この “総合計画” の重要性は理解できます。

一体誰のもの?
 その重要性を理解した上で、“総合計画” は、誰のものか?という点について、一般論と私の見解をごちゃ混ぜで…。総合計画は “市民” のものです。自治基本条例とセットで地方版日本国憲法のような役割をします。そもそも憲法は、権力者(為政者)が暴走しないように(コントロールできず国民が望まない方向に行ってしまわないよう)歯止めをかけるものです。だから改正には発議要件、国民投票など高いハードルが設定され簡単に改正できないのです。“総合計画” について言えば、市長をはじめ執行機関(議会も?)が暴走(市民が望んでいない税金の使い方)をしないように縛る目的があります。だからその策定には市民の参画が規定され、また市全体の総意により策定されたものであることを裏付けるために議会の議決が規定されているのです。議会の責任は重いのです…。

審議会について…
 これまでも審議会を何度か傍聴させていただいていますが、審議会の皆さんは、私的な時間を割いて何度も会議に参加していただいており、本当に頭が下がります。しかし…総合計画は議会が議決する計画であるにも関わらず、その策定過程にほとんど関われない(関わろうとしない?)議会であることを前提にあえていくつかリクエストをしたいと思います。とここまで書いて…これって相当デリケートな問題だなぁ、書き方を注意しないと真意が伝わらないなぁと思い躊躇しています。こんな時は次回にした方が良いと判断しましたので、中途半端ですが、今回のブログはここで終わりにします。

2015年5月8日

折り返し地点【雑談】

 
現在の相棒…
現在の宍粟市議会議員、宍粟市長は平成25年5月に選挙があり、そこから4年の任期が始まりました。この5月で任期の半分、2年が経過しました。マラソンで言えば “折り返し地点” です。私がフルマラソンに出ていた頃は、折り返し地点(ハーフマラソンと同じ21.0975km…)までは、普段のハーフマラソンと同程度かチョット遅いタイムで走る事ができ、2時間チョットで折り返し地点を通過していました。しかし、そこからが苦難…30kmあたりで足がピッタリと止まります。練習不足で挑んだレースであれば、身体のあちこちに痛みが出てきます。そこから10kmチョットを何とか走りきり、結果的には5時間前後、酷い時には6時間でゴールする事になります。最後の10kmは苦痛です。(あくまで私の場合です…。)

議会内の改選
 宍粟市議会では、任期の半分(2年)で議長、副議長、監査および委員会構成が変わります。地方自治法では議長、副議長や委員の任期は、議員の任期と同じと定められていますが、半期で入れ替わるのが(一部、委員会規則で規定されていますが…)いわゆる “慣例” です。と言う事で、次の議長は?副議長は?監査は?と議会内の互選で選ばれる役職については、そのポジションを調整する作業が行われているようです。(行われているようです…と他人事のように書いたのは、私はその調整作業に加わっていないのでそのように書かせて頂きました。)とにかく定員18の宍粟市議会では、過半数の9を固めれば良いので、自称 “与党”  の皆さんの間で調整は進んでいきます。どなたが立候補され、どなたが当選されるのでしょうか?5月22日には、議会構成選挙が行われます。
 委員会構成についても、委員会で反対、否決が起こらないように自称 “与党”  の皆さんで、ある程度調整し、“野党” とラベリングしている議員が固まらないようにしているみたいです。思い起こすと任期が始まってすぐの6月議会で委員会で “否決” があり、その後、あの委員会には3名(常任委員会は3で過半数になります…。)を固めないようにしなければと“密談” していたのを聞いたものです。話しているご本人は “密談” だと思っていたようですが…もちろん盗聴したわけではありません。たくさんの人が集まる来賓席でそんなお話をされており、そこに私が遅れて行ったら聞こえただけです…。
 私は総務文教常任委員会、議会広報特別委員会、政治倫理審査会の任期を終えましたので、念のため報告しておきます。

折り返し地点
 マラソンと同じようにこれからの2年は “苦痛” になるのでしょうか?とは言ってもこれまでの2年が順調だったとは思えませんが…。とにかく “初志貫徹” でしょうか?いやいや、チョット減速してきた自覚がありますので、ペースをあげラストスパートって感じでしょうか?いずれにしても、数多くの批判(根拠がないので誹謗中傷かなぁ?)にも謙虚に向き合い、ぶれる事なく、自分の信じた道を走りきるだけです。マラソンの折り返し後と同じで失速している、息切れしている、いろいろなところに痛みが出ていることは否めませんが、2年後、ボロボロになっても完走したいと思います。(と言いながらストイックに自分を追い込める性格ではないので外から見れば “甘い” と映るかもしれませんが…)  

中心とは何か?【雑談】

 宍粟市も新緑に包まれ、田んぼに水が張られる時期になりました。GWも終わりましたが、皆さんはどのようにお過ごしですか?私は、GW前に “ぎっくり腰” というものを初めて味わい、憂鬱な時間を過ごしておりました。ようやく腰を落ち着けてPCに向う事が出来るようになりましたので、久しぶりのブログ更新です。

三大都市圏及び東京圏の人口が総人口に占める割合
(総務省のHPより引用)
“ぎっくり腰” をしてみて、物事の中心について考えました。身体の中心である腰が痛いと、いろいろなところに波及しますね。まず動けない…。最近は “体幹” の重要性もいろいろなところで言われています。人を上から見た時の中心が “体幹” 、正面から見た時の中心が “腰” ですね。(私の場合、腰はだいぶ中心より下に位置していますが…。)機能的に見れば頭(脳)が中心かもしれません。また、内蔵、血流などで考えれば心臓も中心でしょうか?体幹、腰は物理的な中心と考えられます。
 東京が日本の中心であるのは、地理的に見ても、人口分布から見ても、移動時間から見ても、都市機能から見ても…中心であるのは一目瞭然です。地図上で大阪、名古屋を含めた3大都市圏を線で結べば、腰みたいな感じに見えます。やはり、体幹が弱かったり、腰を痛めていたりすると全身にその影響が波及するように “中心” の活力と言うのは維持しなければなりません。人間で言う脳も心臓(機能としての中心)もやはり東京にあるようですので、あれだけインフラが整備され、企業の本社機能、官公庁、国会、金融機関などなどが東京に集まるのです。まだまだこれからも、オリンピック開催、3大都市圏を結ぶリニア新幹線建設などが続くのです。それは、日本の長い歴史の中でみんながそれを望み、注目し、それに引き寄せられ、せっせせっせと働きアリのように、巨大な蟻塚へいろんなものを運んでいった結果です。
 しかし、現在はそれら(人、もの、お金、情報などなど…)を日本全体に戻そうという動きがあります。(私は “かけ声” だけに感じます。)なぜ、そんな動き(かけ声)が活発化しているのか?私は、首都機能がパンク(破綻)している事、そんな首都が地震など大きな災害に耐えられない事、中央集権体制では日本が発展できない事(ここは潜在的な危機感で隠れている部分ではありますが…)などが影響していると思います。
 もう一つ大きな理由は、地方交付税です。国からの仕送り…と表現されるように実家のすねをかじる下宿生(地方自治体)の面倒なんて見られない、下宿先(地方)で自立してくれというメッセージです。一方で、実家(中央)の言う事を聞け、下宿先(地方)で稼いだお金は実家(中央)に納めろというメッセージも同時に送られてきているのです…ダブルバインドってやつでしょうか?
 そんな事を考えながら宍粟市の全体図を見ましたところ… 非常にいびつな形をしているなぁと感じました。“中心” ってどこ?面積が広く、道路整備が遅れていると言われている宍粟市は、旧4町の4点で支えるべきではないのか?車、机などなど4点で支持し、安定しているものに倣って都市をデザインする必要があると思います。今の宍粟市はどうでしょうか?南端の一点ででっかいまちを支える…中心だけに人、モノ、お金、情報、権限を集中投下しても支えきれるほどの規模ではありません。そもそも周辺を切り捨てる気があれば話は別ですが…。合併して10年、市制10周年を機にもう一度考えるべき時期に来ていると感じます。“中心” に位置していると言う自負のある方々はそんなこと感じないでしょうか?