2016年9月25日

何も変わらない…【雑談】

宍粟市では、この週末も運動会をするところがあったようです。また、これから敬老会(すでに終わった地域もあるようですが…)も各地で行われます。昨日24日は、中学校の運動部は新人戦かな?老若男女、いろいろと行事が多い “秋” です。私自身としては、趣味でしているマラソン、そのシーズンがやってくる “秋” です。夏にやってしまったギックリ腰の余韻がまだ残っていますが、無理をせず、楽しもうと思います。今シーズンは、5年ぶり?5回目?のフルマラソンに挑戦できそうです。

何も変わらない
 今回のブログタイトルは、 “何も変わらない” です。選挙前からこれまで7回、会報を出させていただきました。最後に発行してから1年が経過してしまったので、そろそろ次の号を発行しようと考えています。個人または個人的な政治団体の会報は、政務活動費(今話題の…)が使えないので、お恥ずかしい話ですが、家計と相談しながらの発行となります。なかなか厳しい状況が続いており、ここ最近はお金のかからないSNS、ブログ、街宣などを中心に政治活動を行っています。もちろん、議員活動(昨年6月より、常任委員会の委員長をやっているので、そちらも結構忙しいです。)の方を優先しています。会報第8号発行前に「そうだ、これまでの会報を読み直してみよう。」と思い、在庫を引っ張り出しました。読み返してみると…1号を発行した2013年2月から、言っていることは、ほとんど変化がありません…。これを成長していないと見るか?初志貫徹?と見るか、悩みます。基本的に、税金の使い方がおかしいのでは?このままでは、地方交付税縮減の時、困りますよね?子どもを含む若者、子育て世代を元気にしなければいけないのでは?ということが中心ですね。2013年2月末、住民基本台帳人口は、41,949人。現在、2016年8月末、39,521人となっています。あれから2,428人が減ったことになります。きっと、若者がその大半を占めるはずです…。昭和60年(1985年)の国勢調査では、合併前の4町を合わせると48,980人。平成27年(2015年)の国勢調査では、37,792人。30年で10,000以上、人口が減ったことになります。人口減、加速していませんか?今までがそうだったように「これから先も何とかなるよね〜。」と思っている方が多いのかもしれませんが、このままでは「何ともなりません。」だって、将来を担っていく、支えていく子ども、若者がどんどん減り、税収が減り、合併に関する優遇措置がもう直ぐ終わりますから…。

なぜ若者が減るのか
 「なぜ若者が減るのか?」学校が少ない、仕事が少ない、娯楽施設が少ない…と言われますが、少子化がここまで進んでしまうとどれも地方にはハードルが高いです。どれも外的要因ですし…。でも、それだけでしょうか?はっきり言うと、若者が感じるであろう独特の “息苦しさ” があるからだと思います。これは内的要因です。こんな考えに賛同いただけるかどうかはわかりません。薄々感じてはいるけれど、見て見ぬ振りをしてきた、口をつぐんできた部分だとも思いますから、きっと反発の方が多いでしょう。宍粟市の人口ビジョン(将来の目標)は、「2060年に33,000人」ということになっています。どんな年齢構成か、それぞれの地域がどのくらいの人口か…そのあたりは全く考慮されていません。44年後?現在、45歳の私もこの世にいるかどうか微妙です(きっといないな…)。そこをめざす、地方創生の計画に若者の意見が全く反映されていません。厳密に言えば、44年後を想定すると、現在の乳児か、まだ生まれていない世代が町の中心にならなければいけないのですが、その層の意見を聞くことはできません。それでも今の若者、子育て世代ならばこれから歩んでいく30〜40年は不安もあるでしょうが、リアルに想像できる(想像しなければならない)時間であると思います。いろいろ忙しい世代でもあり、投票率も低く、市民アンケートの類にも回答率が低い世代なのでなかなかその声が聞こえません。いろいろな審議会、委員会というものに公募枠が用意されているのですが、人数も少なく、平日、昼間の会議が中心の審議会、委員会には若者は応募できません…。実際の審議会、委員会を見ても若者、子育て世代が発言できる雰囲気ではありません。もし、発言したとしても「それは無理」とか「そんなことも言ってもしゃーないだろ」とか、一蹴されてしまいます…。それが  “息苦しさ” です。私のこれまで経験では、OB(悲しいかなOGは少ない…)などが、肩で風を切って突然やってきて、「わしのことを知らんのか?」みたいな姿勢でズカズカと自分のエリアに入ってくることがありました。OBの方々もかつては同じような “息苦しさ” みたいなものを感じていたはずなのに、なぜか繰り返されていくものなのです。(もしかしたら憧れていたのかな?あんな風になりたいと…。)その漠然とした “息苦しさ” を、次の世代には感じさせないようにしようと思い続けられれば良いのですが、いつの間にか「自分も若い頃はそうだった」となってしまうか、無意識にその “息苦しさ” から、距離を置くことになります。そこから脱却するのは、とっても難しいことです。そして大きな変化を伴いますので敬遠されます。結局は「今が良ければそれでいいじゃないか、今までもそうだったし…」となっていきます。そして若者には光が当てられないまま時間が流れていきます。光を当てたくても若者はそこにいません…。私が思うのは、これから先も見て見ぬ振り、口をつぐむことでは「何ともならない」ということです。じゃあどうしようか?を考えられる層を掘り起こし、増やしていく地道な作業、これが私のしたい “政治” なのかもしれません。

2016年9月23日

宍粟市の未来は?【雑談】


 宍粟市では、ほとんどの幼稚園、小中学校が9月中旬に運動会、体育祭をしています。中には、幼稚園や保育所、小学校、中学校、高校の合同(組み合わせはいろいろです。)で行う地域もあります。
 私が住んでいる地域では、中学校は11日に予定通り開催され、小学校は18日の予定が、雨で19日に、幼稚園は雨でしたが22日に行われました。私が子どもだった頃は、運動会は10月、体育の日前後に行われていた記憶があります。10月10日は、1964年
の東京オリンピックの開会式があった日、晴れの確率が高い日だということを聞いたことがありますが、それは都市伝説みたいなものらしいです。そして、暑い時期に練習することが、熱中症などいろいろトラブルの原因になり、春開催になったりもしています。2学期制を導入する学校も増え、いつの間にか9月に開催されることも多くなってきました。でも、3学期制のところでは、夏休み明けからだと練習時間が少なかったり、9月は気候が安定しなかったり(残暑、台風…)と、それはそれで色々あります。組体操の事故なども含め、そもそも何のための運動会かを振り返る時期が来ているのかもしれませんね。余談ですが…最近、運動会の開会式で「感動を与えて欲しい」っていう言葉を耳にすることが多くなった気がします。子ども達が頑張った結果、その姿を見て感動が沸き起こることがあるだけであって…。子ども達に要求することではないと思います。もしドラの影響かな?

9月議会も終盤
 8月31日に開会した9月議会。一般質問が終わり、決算以外の議案の採決も終わりました。決算審査がほぼ終了し、最終日に認定するかどうかの採決が行われます。一般質問、決算審査を終えて感じたこと(これまでも感じていたのですが、任期終盤ということもあってか、とどめを刺された感じです…)は、市内での一極集中を容認し、さらなる広域合併を視野に入れているなこの人たち…ということです。明確に言葉にしたというわけではないのですが、いろんな場面での答弁にそれがにじみ出ていました。合併に対する特例的な措置がなくなる平成33年からのことは、知りません…ということです。歳入不足で赤字決算が行われるかも…、水道料金はあと3年はこの金額で大丈夫だけどその先は…、京阪神への通勤通学補助?南部に住んでいなければ使えません…、いろいろな補助金?地縁団体(またそこと繋がりがある団体)でなければ使えません…、今ある公共施設の維持管理?この先どうなるか予測がつきません…、教育施策?先生が満足していればそれで良い…、色々な事業の参加者、補助金の申請が少ないのは?周知不足…などなど、すべてにおいて、若者、子育て世代、今の子ども達や将来世代のこと(特に北側に位置する地域のこと)なんかこれっぽっちも考えていないのでは?と突っ込みたくなることばかり…。
 一般質問では、今回もパネルを持ち込んで質問しました。(今回、紹介した画像です。2015年以降の予測部分は、この前の国勢調査で国の予測をかなり下回ってしまったのでなかなか難しく変な動きになってしまいました…)いろいろな場面で「宍粟市は広いから…」と言い訳するなら、最低でも旧町域(できれば中学校区)で、その特徴を分析し、その特徴にあった政策を打っていくべきとずーっと主張(提案)していますが、それをしようとはしません。どちらも国勢調査のデータを基にしたものですので、市役所内部の会議では同じようなものが共有されていたらしいですが、公表されていません。それって “不都合な真実” ってやつだということでしょうか?人口減の原因は、仕事がないから…って言いますが、私は、それも認めた上で、人口減の背景には、“若者がチャレンジできる雰囲気”、“若者のチャレンジを認める寛容さ” の欠如が潜んでいるように思えてなりません。聞いたところによると、市役所職員の若手からの提案はことごとく上層部で却下されているようですし…。人を育てることに時間、お金、先人の知恵、年長者の経験や知識を使うことこそが “まちづくり” です。今回、そのことを確信しました。そして、それができていない町の姿を目の当たりにしました。行き着く未来…これがリアルに想像できた次第です。40代(若者の部類かな?)、しかも市民になって6年目の私が感じたことは “却下” でしょうが…。街宣でもこのことは地道に訴えていくつもりです。

2016年9月2日

今の宍粟市は…【議論】

 宍粟市では、9月に入り朝夕は肌寒いくらいです。子ども達の夏休みは終わり、2学期がスタートしました。宍粟市議会では、9月定例会が、31日にスタートしました。これからの季節、気になるのは台風です。先日の東北、北海道などに災害をもたらした台風10号…。岩手では高齢者グループホームで9人の方々が亡くなりました。他にも車で流されたりと相当な雨が降ったようです。亡くなられた方々のご冥福、被害に遭われた方々が1日でも早く平穏な日常を取り戻されることを心からお祈りします。今回の台風に関する報道でも、想定していなかった量の雨が降ったとか、想定を上回る速さで浸水したとか「想定を上回る…」という言葉が聞かれました。そんな災害が何度も起こっています。

安心・安全
 国交相は最近、「過去最大規模」「1000年に一度」の降水量に基づいた、新たな洪水浸水想定区域を公表しました。宍粟市も揖保川という1級河川が市のど真ん中を流れているので、これまでの想定を見直さなければなりません。堤防なんかのいわゆる “ハード” は、お金も、時間もかかるので追いつきませんが、避難訓練やハザードマップの見直しなどいわゆる “ソフト” で、被害を最小限に食い止めなければなりません。明日にでもこの「想定を上回る…」大雨や地震がやってくるかもしれませんから…。宍粟市で今年度進められている「わがまち防災マップ作成講習会」という事業があります。これは自主防災会=自治会の災害に関する情報を共有する、正に “ソフト”  に関わるものなのですが、これまでの洪水浸水想定を基に作成するとのことです。新たな洪水浸水想定に対し、「ハード面の対応はまだまだ時間がかかるので、ソフト面で対応する」と明言していたはずなのに、この「わがまち防災マップ」は従来の想定で作成する?行政の防災担当者が、このような言行不一致(?)状態で “安心・安全のまちづくり” なんてよく言えたものです。そして、議会も「あーそうですか」とこの状態を見過ごしてしまうのです。行政によるこのような言行不一致や発言の矛盾は、まちの信用を損ねます。また、それをチェックしきれない議会も同様です。

合理的配慮
左:平等、右:公正(出所不明)
今回、紹介させていただいた画像は “平等” と “公正” の違いを表しています。ネットでは、『「平等」は自由と共に民主主義社会を形作る重要な考え方。しかし公正取引委員会などの組織があるように、似ているようには感じながらも少し違う使われ方をする「公正」という考え方も存在しています。そしてこのふたつ、ぼんやりと同じようなことを言っているように見えて、実は大きな違いがあります。例えば国や地方自治体が誰かに対して補助を行う時、平等に行うのと公正に行うのでは全く違う結果になります。』(http://buzzap.jp/news/20141111-equity-vs-equality/)との説明がありました。実は、去る8月26日に宍粟市波賀町で「ともに生きる地域づくり講演会」というものがありました。「だれもが住みやすいまちづくりをめざして〜障害者差別解消法と合理的配慮〜」と題された講演会では、いろいろと考えさせられました。耳が痛かったと言った方が正確かもしれません。この、“合理的配慮”  という言葉、平成25年6月、障害者差別解消法(正しくは「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が制定され、平成28年4月1日から施行されたことに伴い、よく耳にするようになりました。“合理的配慮”  とは?講演会の資料によると…「個別の場面で、社会的障壁のために権利侵害されている人が、(こうしてほしいと)意思を表明することをきっかけとして、(表明した側と表明された側が対話しながら)社会環境の側を変更・調整する(必要な手立てをする)こと」だそうです。心に残った部分(ポイント)を資料から抜粋して紹介します…障害を克服するのは本人(と家族)の責任であるという考え方から、社会のバリアをなくすのは社会全体の責任であるという考え方に変わった。障害者だけの「権利」は一つもない。従来、障害者の声を「抜きに」(=意見を聞かず)障害者政策が決められてきた。自治体は「合理的配慮」を行うことが義務などなど…。これまでも公共交通のバリアフリー化がなされていないことや、職員募集の中に事務職C(身体に障がいのある人)という枠があるのですが、受験資格の中に「活字印刷文による出題及び口頭による面接に対応できる人」という項目があること、教育に関する計画の中に「本人の障害克服」に関する記述があること、市の発注した工事で、囲いや車両が点字ブロックの上にドカンと置かれていたことなどなど、この講演会の話を聞きながら行政に改善を要求した事例を思い出しました。そして、この障害者差別解消法や “合理的配慮” の話を聞きながら、今回紹介した画像のことを思い出しました。国や地方自治体が誰かに対して補助を行う時、“公正” に行う必要があります。画像の場面で言えば、みんなが野球を見るというスタートラインに立てるようにしなければなりません。これは障害者に限ったことではなく、みんなに言えることです。しかし、今の宍粟市では…みんなが野球を観れるどころか、見られない人がいるのに、その横で力のある層はネット裏の特等席で観戦できている(優遇されている)って感じでしょうか?政治の役割は、そんな社会を正していくことだと思うのですが、間違っていますか?国政ではなかなか身動きが取れないかもしれませんが、地方ならそれができると思うのですが、浅はかな考えでしょうか?