2017年4月18日

幼児教育・保育【政策目標】

夢公園の大樹…こんな風
新聞発表
  宍粟市は、昨日の暴風雨から一転、清々しい春の陽を迎え入れました。今日、議員協議会(全議員出席の報告会、各委員会からの報告を受け、情報共有する会議)がありました。この会議への出席をもって、実質的な私の議員任期は終わりました。4年間、ありがとうございました。

  そして、今日は喜ばしいニュースが新聞に載りました。それは、「宍粟市で公立の認定こども園設置が決まった」というものです。平成21年に策定された「幼保一元化計画」(10年間ですべての公立幼稚園・保育所を廃止し、7つの中学校区に認定こども園を設置し、その運営を民間保育所に任せるというもの)ですが、公立の幼児教育・保育の施設がなくなるということ、また民営化されるということについて、地域住民の不安や葛藤があり、平成28年度末時点で、1園しか開園できていませんでした。

  これまでの4年間、議員としてずーっと「公立を希望している地域については、公立も検討すべき」という意見を、一般質問などいろいろな場面で、主張してきました。地域住民の皆さんの願いが、やっと叶ったということです。これまでずーっと「民営化」の立場を堅持してきた行政側が、軟化したということです。その地域に民間の保育所がないという特殊性はあるにせよ、私も少しだけ、声を届けることに貢献できたのではないでしょうか…関係ないかな?

  一方で、行政が「とにかく民営化しか道はない、これからどんどんと減っていく子どもたちのこと考えて民営化に賛成してくれ」というスタンスで計画を推進してきた地域、公立を求めていたのに結局は、民間の認定こども園が設置された地域に、どうやって説明するのでしょうか?「公立はできない」と明言して、幼保一元化計画を推進してきた行政(市長)は、しっかりと説明(謝罪)しなければならないと思います。

  そして、今回の公募(二次募集)は、4月28日までと期限を決めて、運営法人を募集していたのにも関わらず、問い合わせがないということで、その締め切りを20日早めて7日とし、昨日17日には「公立でします」と発表されています。皆さんお気づきかと思いますが、宍粟市は、23日告示、30日投開票で選挙がありますので、結果的に子ども達は、いわゆる “政争の具” にされてしまっているのです。まあそれでも、住民の声が届いたという結果については、大歓迎です。

この先の幼保一元化計画
  私は、この幼保一元化計画を住民の意向を聴くところから仕切り直したいと思っていました。「公立を希望している地域については、公立も検討すべき」という意見は、4年間主張し続けて、このタイミングでやっと通りはしましたが、民間保育所と公立幼稚園・保育所が共存している地域では、このままいくとこれまで同様「とにかくこの地域では民営化しか道はない、これからどんどんと減っていく子どもたちのこと考えて早く民営化に賛成してくれ」というスタンスで協議を進めるでしょう。

  今回、公立認定こども園が決まった地域は、より良いものになるように地域の意見をしっかり聞き、子ども園に反映させていきたいと思います。ここまで決まっているのですから、創造的、建設的な議論ができると思います。設置までの間も子ども達はどんどん成長していきますので、1日も早く地域が望んだ幼児教育・保育環境が整うようにしていきたいです。木造で、いろんなところで無垢材に触れられるような暖かい園舎、地域に開かれた子ども園が良いですね。

  もう一方で、これから協議が始まる地域では、その地域が公立の幼児教育・保育施設を望んでいるのか?それとも、民間を望んでいるのか?しっかりと意向を聴いて、現在の幼保一元化計画は見直したいと思います。特に、認定こども園ができるまで…と放置されてきた、園舎の耐震改修、幼稚園での3歳児教育、一時預かりや延長保育の地域間格差是正については、幼保一元化計画とは別に進めていきます。今、この瞬間も子ども達はどんどんと成長していますから…。もし一緒になれないならば、これまでのように共存していくのが良いと思います。“幼稚園教諭” という雇用も確保できるわけですし…。また行政が言う「子ども達の健やかな育ちのための適正規模の集団」なんて、何の根拠もないものですから、本当に子ども達にとって、どんな教育・保育環境が良いのか?いろいろな知見を集めて議論していきます。  

2017年4月17日

補助金の見直し【政策目標】


春の嵐…
  宍粟市にも、春の嵐です。警報まではいきませんが、すごい風と雨です。花粉もすごいようです。今の時期は檜の花粉でしょうか?マスクをしている方や鼻をグスグスしている方によく出会います。この時期、ちょっとだけ目がかゆくなったりはしますが、私は、花粉症ではないようです。

  前回から始めた “シリーズ政策目標” ですが、それほど閲覧数が伸びませんでした…。ただ、60,000ページビューから、1ヶ月も経たないうちに+3,000ですので、1日約100件の閲覧があるということで良しとしましょう…。

  昨年5月から始めた “街頭演説” ですが、日曜日(16日)に、102回目を終えました。これが議員任期中、最後の街頭演説となりました。どれだけ声が届いているでしょうか?途中から、SNS(facebook)での、ライブ配信も行ってきました。どれだけの方が見ていただいているのでしょうか?

  最近、会報11号を発行しました。続いて12号も近々、発行します。この12号が議員任期中、最後の会報になります。会報は、新聞折込を中心に配布していますので、市内に約13,000部が配られています。どれだけの方に読んでいただいているか?それは把握できませんが「読んだよ」とちょくちょく声をかけていただけるようになりました。そこには、次の4年に向けた “政策目標” を書かせていたきましたが、そこに書き切れなかったところを中心に、このブログで補足していきます。


補助金とは?
  現在の宍粟市の補助金ですが、制度としては200件以上…。これはどんどん増えていると思っていただいて差し支えないでしょう。“補助金” と聞いて、皆さんはどのような印象を持たれるのでしょうか?私は、大雑把に言うと「今後、〇〇のような事業を推進していきたいので、それに取り組んでいこうとされている、またすでに取り組んでいる団体の皆さん、補助金を使って一緒に事業を推進していきませんか?」というものだと考えています。しかし、制度の中身を見てみるとそうでもないようです。

  補助対象=ある特定の団体、という補助金はたくさんあります。その団体がしている事業は公益性がある、市民全体に利益があるという前提のもと、税金から補助金を出し、団体の運営を支えながら事業を行っているのというのが、表向きの姿です。

補助金の見直し
  例えば、Aという団体に、団体そのものの運営に対する補助金や、ある事業をするための事業費補助など、多額の補助金が充てられているとします。しかも、補助率は、10/10だとすると、ある団体は何も生み出さなくても(無料で人を集めて事業をしても、またそこに何人が参加しようが)、かかった費用は全て税金で賄われることになります。このAという団体が、公益性、市民全体の利益のために何か努力をすると思いますか?私の感覚では、人件費だけを確保したうえで、余った予算を消化するようになってくる=市民全体の利益にはならないと思うのです。どちらかといったら、税金の無駄使いだと思います。住民への行政サービスのカット、また市民に負担増を強いている裏では、こんな制度がたくさん残っているのです。

  こんな例もあります。ある施設を指定管理者として運営しているBという団体、そのBという団体は指定管理以外に自前で事業もして、相当な利益がある。そこに運営補助金が出ている。対象経費は「団体Bの運営に要する経費で市長が必要と認めた経費」で、これも補助率10/10である。しかも、指定管理料としても税金が投入されている。このBという団体が、公益性、市民全体の利益のために何か努力をすると思いますか?案の定、指定管理している施設は、その設置目的に合致したような事業はされておらず、当然、成果も出ていません。

  私は、 “補助金” 全てが無駄であるとは思っていません。その補助金があることで、色々な事業ができて、それが公益性、市民全体の利益に繋がっていくのなら、その補助金は必要だと思います。ただ、もし団体がずーっと補助金に頼っていると、団体AやBのようになって行ってしまうと思います。そこに公益性はありません。“税金” が “補助金” と名前を変えて、一部の人たちの利益になっていくだけです。

これまでの4年
  議員として、これまでの4年で「反対」をしてきたことは、前述のような「それって税金の使い方としてどうなの?」というものが、ほとんどでした。しかし(皆さんは、ご存知かどうかわかりませんが…)“補助金” って、ほとんどの場合、要綱など市長が定める法規で運用されており、議会はその制定にほとんど関与できません。いろいろ意見は言えたとしても、聞く、聞かないは、最終的に市長の判断ですので、予算=議案になった段階で否決するか、修正するかの道しかないというのが現実です。

  私は200件以上ある、この “補助金” という制度が、本当に市民全体の利益に繋がっているかどうかを、市民の目でチェックしていただきたいのです。そしてそこからの意見を背景に、補助金の精査をしたいのです。ある地域では、「補助金があるから、毎年事業をしなければならない」という声を聞きました。こういう感覚になってしまっているとしたら “補助金” は単なる “負担” になってしまって、逆効果です。

  現実味がない話かもしれませんが、補助金制度を精査すれば、相当な財源が眠っていると思います。制度があり、予算化もされているけれど、使われていない “補助金” は相当あります。収入=税金である自治体という団体は、お金がない場合、行政サービスのカット(経費削減)、市民負担増(収入確保)に動きますが、実際のところ、この “補助金” という世界は、ある意味、聖域化(既得権益化?)されていて、無駄がないのか厳しくチェック、場合によっては廃止するといったことは行われていません。行政サービスのカット、市民負担増の前に、まずは、補助金を総点検することが、市民にとって有益だと思います。

2017年4月15日

共助ネットワークの構築【政策目標】

宍粟市“夢公園”の桜
昨日(14日)の宍粟市は、とても暖かく、場所によっては暑いくらいの陽気でした。一転して、今日(15日)は、雨模様です…。

  市の南部では、桜が散り始めています。一方で、市の北部では、やっと蕾が膨らみ、もうすぐ開花というところもあります。やっぱり、宍粟市って広いなぁと感じました。
  
  そして、市内をあちこち走ってみると、見事な桜並木がいろんなところにあることに気づきます。桜の本数で考えたら、この広い宍粟市では、相当数になるのではないでしょうか?これって、都会では絶対にない風景です。もっとPRしていきたいですね。

  今回から、次の4年に向けての “政策目標” に関することを書くことにします。皆さんの判断材料の一つになればと思います。

熊本地震
  4月14日は、“熊本地震から1年” ということで、各地で追悼式があったり、報道では、特集が組まれたりしています。震災関連死を含め、亡くなられた方は225人、未だに仮設住宅で暮らす方は、4万人以上だということです。改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。また1日も早い復興を願っています。

  報道の中では、災害ボランティアの存在も取り上げられていました。震災直後は、1日に約4,000人のボランティアが熊本に集まっていたようですが、今はほとんどボランティアが来ていないそうです。私も息子と昨年の4月30日、5月1日と熊本に行って、ボランティアをさせていただいたことを思い返していました。確かにずーっと熊本が気にはなっていたのですが、あれから熊本には行けていません。

  今日、書類を探していて、偶然、熊本地震のあと市長と教育長に宛てた「被災した児童生徒の受け入れについての申入れ」という書類が出てきました。そういえば、趣旨に賛同いただいた議員(私を含めて8名)に名を連ねていただいて、次のような文書を昨年の4月20日に提出したことを思い出しました。
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 先日から続く、九州における連続地震によって、被災者・避難者の皆さんは、厳しい条件での避難生活を余儀なくされており、連続する地震は収束せず、精神的にも大きな不安の中で生活することを強いられています。

 小中学校が避難所として利用されており、休校している学校の数は450を超えるとの報道もあり、再開のめどは立っていないようです。

 このような状態が長く続けば、子どもたちの健康面への影響だけでなく、学習面での遅れ、またそれを取り戻すための過度な負担が予測されます。

 私たちは、これまで地震だけでなく様々な自然災害に直面してきました。21年の豪雨災害では、全国から温かい支援の手が宍粟市に差し伸べられたことも記憶に新しいところです。

 宍粟市は、これまで少子化、学校規模適正化により空き校舎、空き教室があります。それらを利用して、被災し休校になっている学校の児童生徒を中心に、先生や家族を受け入れ、教育活動を継続するための支援を行うべきです。

 被災した全ての児童生徒を受け入れることはできませんが、宍粟市として、関西広域連合が支援を決めた、「益城町」の児童生徒を受け入れる意思を表明し、関西広域連合、兵庫県及び兵庫県教育委員会を通じて、熊本県、熊本県教育委員会、益城町との調整が必要です。また、市民に対し、協力の要請が必要です。

 ぜひ、被災した児童生徒の教育支援、またそれに向けた協議に速やかに入っていただくよう申し入れいたします。
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  宍粟市と益城町は、700kmほど離れていますので、今思えばとても非現実的な提案をしたなぁと思います。実際に益城町からの受け入れはありませんでしたし…。ただ、宍粟市に、「そういう意思がある」ということを、表明しておくことの意味はあったと思います。しっかりとこの声が兵庫県、また益城町に届いていたでしょうか?

共助ネットワーク 
  熊本でのボランティアで経験したこと、感じたことは、その後の議員活動に生かしてきました。熊本では、ボランティアセンターで高校生、大学生くらいの若者が、一生懸命に活動していました。その子達と一緒に瓦礫撤去などに関わりました。高齢者だけのお家の片付けに関わりましたが、ちょっとおしゃべりするだけでも、とても喜んでくれました。災害云々は関係なく、普段から寂しいのだと思います。
 
  宍粟市でも、いざという時に応援してくれるような、広い意味での “共助ネットワーク”を、市内外の若者と築いていく必要を感じました。今冬の大雪の時にもそれを感じました。大雪の時は、一人で動いても何の役にも立てないことを実感しました。

  少子高齢化、過疎化が進む地域では、こうした “共助ネットワーク” を張りめぐらせることが、安心につながります。災害時だけではなく、普段から、若者が対流する仕組みが築ければ、福祉、教育、産業、観光などにも有益でしょう。

2017年4月13日

4年間の実績?【議論】

宍粟市は、清々しい春の朝を迎えています。昨日、私は最後の常任委員会を終えました。そして、私の議員生活も残り10日となりました。

  この4年間「いろいろあったなぁー」、「市民の皆さんにお世話になったなぁー」、「家族にもいろいろ支えてもらっていたんだなぁー」などと怒涛の4年間を振り返っています。悔し涙も、歓喜の美酒も、悶々と頭を掻きむしることも、一筋の光に突き進んだことも…。

  4年に一度の審判まで、17日…。もうここまできたら、市民と自分を信じて、自分のやり方で突っ走るしかないですね。5月1日をどんな気分で迎えられるのか?今から、ワクワクしています。

  この日曜日(16日)は、『第12回宍粟市さつきマラソン大会』です。これまで9〜11回大会まで、3回出場しましたが今年はエントリーできませんでした…。来年は、絶対にエントリーします!出場される皆さん、運営に携わる皆さん、頑張ってください!

4年間の実績?
  ここに来て、「お前はいったいこの4年間、何をやってきたんだ?」と問われることが多くなりました。「あれをやりました」、「これやったのは私です」という言葉が聞きたいのでしょうか?それとも「何もできませんでした。すみません…」という反省の弁を求めているのでしょうか?政治家は「これは私がやりました!私の提案でこれが実現しました!」なんて大きな声で語ってはいけないと思います。

  政治家が関わるすべての事柄、原資は “税金” です。議員の側は「これをやるのに、これだけ “税金” を使わせていただきました!」でなければなりません。行政側は「この提案に対して、“税金” をこれだけ配分させていただきました!」であるはずです。都道府県や市町村と言った公共団体は、お金を生み出しているわけではありません。そこが使うお金はすべて “税金” です。会費や出資と言った性格のものの集まりです。政治家は、その使い方を決める権限を与えられている立場だからこそ、自分や親族、また特定の団体や企業に対して、便宜を図ること(便宜を図ったのでは?と疑われるような行為も含めて)が厳しく規制されているはずです。それは法律や条例を守るだけでは不十分で、政治家の倫理観に頼る部分も多々あります。「法律や条例に違反していないからいいでしょ?」と言った言い訳は通用しません。

  しかし、実態はどうでしょうか?今話題の “忖度(そんたく)” も含めて、自分や親族、またつながりの濃い特定の団体や企業に対して、便宜を図っているようなことばかりです。つまり、力のある者のところに “税金” が偏っていく仕組みが出来上がっているのです。政治家の親族企業、またつながりの濃い企業や団体が、公共事業の入札に参加し、高落札率(または最低制限価格ギリギリ)で落札したり、補助金をいくつもあてがわれたり…。この4年間で、目を覆いたくなることばかりが目の前で起こりました。そして、政治家がそういった企業や団体と、一緒にお酒を飲んだり、寄付と受け取られかねないことをしたりする姿、それがまかり通る風土にも触れました。私はこの4年間でそれを止めることができませんでした。

  ある団体の長が「補助金をせしめるために、何かできないか?」と言っているのを聞いて、「あぁ、こうやって無駄な事業に “税金” がどんどん使われていくんだなぁー」と思ったこともありました。政治家が「これは私がやりました!私の提案でこれが実現しました!」なんて大きな声で言っているから、市民も “税金” の意味をすっかり忘れて、補助金をせしめる、みたいな感覚になっていくのではないでしょうか?そして、その積み重ねが、次世代へのツケになって地域に残っていくのではないでしょうか?

  若者が出て行っても、仕方がない…、せっかく帰ってきても、今まで気がつかなかったそんな現実を目の前にしてため息をつく…。そうやってどんどん “活力” は失われていく…。前回の選挙で当選証書をもらった後、先輩議員に挨拶したら「あんたなんか、何もできないよ」と言われたことを思い出しました。今思えば、このことを暗に教えていただいていたのですね。
 
だから次の4年
  そう考えるとこの4年間、私は議員の立場で税金の使い方の軌道修正に専念していたのだと思います。議会が本来与えられている権限、“税金” の使われ方をチェックし、必要があれば修正するという機能を取り戻すことに専念せざるを得なかったのだと思います。否決も議案の撤回も、予算や条例改正案への修正案の提出も、附帯決議も…議会が本来与えられている権限を取り戻すための行為です。

  もちろん、今まで行われてきた事業、これから行われようとしている事業が、私の発言を発端にして形になったという “自負” はあります。でも「これは私がやりました!私の提案でこれが実現しました!」なんて恥ずかしくて言えません…。そこで使われるお金は、みなさんからお預かりした大切な “税金” ですし、その “税金” が、多くの市民に利益として還元される環境が整っていない以上、この財政難の状況で、軽々しく事業の提案なんかできません。

  また、私が提案した事業が形になったとしても、「先輩議員は、もっと前から提案していた」とか、「口には出さなかったけれど、前々から頭の中に構想はあった」とか言われてしまったら、「そうですか」としか言えません。逆に評判の悪い事業は「あいつから提案されたものだ」と言われかねない世界でもありますし…。

  地味でも良いのです。それが市民に伝わっていなくても良いのです。見ている人は見ていてくれる、またそれを評価してくれる人は評価してくれる…。期待してくれる…。賭けてくれる…私にとっての “審判” は、宍粟市にとって自分は『必要 or 不要』という “審判” だと割り切っています。

2017年4月10日

次の4年に向けて “マニフェスト” 完成【報告】

宍粟市は今日も暖かく、とっても過ごしやすい、春の陽気でした。ちょっと雲が多かったですが…。今日が “入学式” というところも多かったみたいです。桜もいい感じになっているのではないでしょうか?いよいよ新しい生活が始まりますね。ちなみに明日(11日)は、幼稚園の入園式です。自分の娘も通った地元の幼稚園は、新入園児は、3歳から通う子ども達になります。(途中から転入の子もいる見たいなので、3歳児教育が条例化されて2回目の新入園児というあくまで制度のお話です…。)私も議員として入園式に参列させていただきます。その子達の卒園式にも、違う立場で参列したいと願っています…。

マニフェスト完成
 やっとの事で、次の4年に向けた “マニフェスト” が、ほぼ完成しました。4月23日までに『宍粟・草の根運動の会』の会報11号、12号を続けて発行する予定です。12号が実質的には “最終号” になると思います。これまで自分の中でボヤーッとしていたものを、くっきりと形にしたようなものですが、その会報の中で、完成した “マニフェスト” は、順次公開していきます。
 実は少し納得感がない(これまでの発言と矛盾している)点があります。私はかねがね、「私が何をしたいのかはさほど重要ではなく、市民が何をしたいのかという声、アイデアを受け止めて、政策にして実現していきたい。」また「市民が自分たちの “まち” の未来を描く、そんな自治の仕組みを作りたい。」と公言してきました。「あれやります、これやります」というのは、政治家ではないと思っていますし、実現可能性が低いものも含めて、大風呂敷を広げて単に夢を見させてしまうようなものは、“マニフェスト” ではありません。“マニフェスト” とは、政党や候補者が、具体的な数値目標・達成期限・財源などを示す “公約文書” です。
 しかし、まだまだ市民は政治に「何をしてもらえるのか?」を求めている気がします。きっと、それは将来に対する漠然とした不安の裏返しなのではないか?と思い始めました。その不安を受け止め、それに応えていくのも、もしかしたら “政治” の役割ではないか?不安にさせているのは、これまでの “政治” の結果でしかありませんし…。だったら、正々堂々と自分の夢を語っても良いのではないか?自分が現在、持っているアイデアを最大限披露しても良いのではないか?その上で、選挙という “審判” を受ける方が、スッキリするなぁとも思います。これまでの4年間(宍粟市民になって6年間)で、まちづくりに対する夢、アイデアがたくさん蓄積されました。その原資はやっぱり “市民の声” なのです。よく考えてみれば、出し惜しみする方が失礼な話ですよね。端からみれば「そんなことできるはずがない」と捉えられるものもたくさんあるでしょう。でも、私はなぜか「自分ならきっとできる。」と清々しい気持ちでいます。

いよいよ本番
 まだまだ準備が整っていない状態ですが、いつものことです…。“戦(いくさ)” が始まるまで、残り13日…。いつの間にか2週間を切っているではありませんか!いつも、何に対してもギリギリにならないと取り組まない性分みたいです。とうとうギリギリになってしまいましたので、一気に風を起こして、突き進ませていただきます!そして、必ず選ばれます!

市政報告会終了…【報告】

宍粟市を通過中の桜前線は、現在、波賀町の南部(宍粟市のちょうど真ん中あたり)を通過中でしょうか?昨日(9日)には、“街頭演説” を、満開の桜の中で…と思っていましたが、いろいろとトラブルがあり、その願いは叶いませんでした。新年度も始まり、何かとお忙しい時期だと思います。新しい生活が始まっている方も多いと思います。体調など崩されませんように…。特に就職、進学、進級した若者や子ども達にとって、新しい生活が実り多いものになることを心から願っています。

市政報告会
 4月5日(水)〜8日(土)にかけて市内4カ所で、「市政報告会」をやらせていただきました。結局、参加者は、4日で30名ほどでした。ご参加いただいた方々にこの場を借りて、御礼を申し上げます。「貴重な時間をありがとうございました。」
 ご参加いただいた方からの意見(初めて参加された方々にとっては “驚き” ?)にもありましたが、参加者が少ない…。私自身は、今回を含めて20回ほどの「市政報告会」をやらせていただいております。参加者が少ない状況には、慣れています。前にも書いたかと思いますが、参加者がおらず、会場で読書をして過ごしたなんてこともあります…。時間、場所、会場セッティング、告知方法などなど、いろいろ工夫はしていますが、結果(参加人数)に結びつきません。後援会組織を持たない私としては、仕方のない状況なのかもしれません。(ちなみに会報は10回、街頭演説は100回ほどしています…。)それは、やはり地盤を持たない政治家の宿命なのかもしれません。しかし、「それにしても…」というのが正直なところです。4年前も全く手応えのない選挙でしたが、それにも増して手応えがありません…。アウェー感だけが際立つ結果となりました。

新たな発見、再確認
 しかし、市政報告会などを通じて、新たな発見や再確認することがたくさんありました。それは、市民の政治への関心であったり、政治に求めるものであったり様々です。それらを自分の政治信念と照らし合わせて、取捨選択、消化した結果…。
 発見、再確認できた事=私がしたい事、しなければならない事です。それは分断されてきたものを繋ぐ事、そこに政治の役割があると言う事です。分断されてきたもの、それは世代のようです。子ども、若者、子育て世代、高齢者…。お互いがお互いを理解し、支え合うこと、またそれが循環することが必要なんです。高齢者は支えるだけの世代ではなく、子どもや若者、子育て世代を支えてくれている大先輩、精神的支柱なんだという事です。もっと地域の子育てや若者の支援、次世代の育成・応援にその力を貸して欲しいのです。もちろん、子どもや若者が高齢者を支える場面もたくさんあります。“持ちつ持たれつ” の関係なのです。そして、子ども、若者、子育て世代、高齢者が、お互いを理解するためには、教育が重要ですし、一同に会して話し合う場(触れ合うだけでは弱いかな…)、一緒にまちづくりに参加する事(意思決定にみんなが関わること)が必要な気がしています。そこで宍粟市の現状を見てみると…。もっと、子ども、若者、子育て世代が表舞台に出てこないとバランスが悪いと言うことです。上層部が決めて、その指示に従って若い世代は参加している(参加させられている)ような状態が続いている気がするのです。だから、上の世代、下の世代どっちにも足を突っ込んでいる世代が、中継すること、世代をリレーすることが必要なのだと思いました。まちづくりの結果が出るには、10〜20年かかると言われています。合併も「10年経たなければ成果(影響)が見えない」と言われていました。周りを見渡すと、確かに10年くらい “自分たちで” 踏ん張ってきた町が成果を出しているように思います。10年間、子育て支援に力を入れてきたから、人口減が止まったとか、10年間、産業振興に力を入れてきたから事業所、起業が増えたとか、10年間、移住定住に力を入れてきたから過疎化、少子化が止まったとか…、10年間、財政健全化に力を入れてきたから将来負担が減ったとか…。誰かが「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」って言っていましたが、子どもや若者が言うならまだしも、これまで現役だった方々に言われると無責任な感じがします。

分断されてきた10年
 過去を振り返ると、この10年は “分断の10年” だったと思います。世代の分断、市民と行政、市民と政治の分断、家族の分断、強者と弱者の分断…。宍粟市の場合、旧4町の分断というのもありそうです。子どもは学校や幼稚園保育所、若者は職場、高齢者や障がい者は施設、近くにあった役場は機能縮小、議員定数、投票所の削減、人口は激減したのに世帯数は増加、空き家が増える一方で新築の家、集合住宅が増える…などなど分断は進んでいます。それによっておいてきぼりになっている人たちが出てきています。特に市民と行政、市民と政治が分断されていくことは、どんどんと一部に権限が集中することを意味します。今では、「そんなこと知らなかった。いつ、どこで決まったの?」ということが多くなっているのではないでしょうか?議員にすら知らされていない(けれど自治会長会には報告している…)ことが多すぎて、市民に伝えようにも伝えられないということがあります。自治が崩壊し、市民が政治に関心を持たなくなるように物事が進んで行っています。私は人口減、人口の集中の根本原因はここにあると思います。そこを次の4年間でなんとかしていきたいのです。これからの宍粟市の政治は、しがらみのない立場で、市全体を見渡せる者がリーダーシップを発揮していかなければなりません。市民と寄り添い、市民の声が届く政治を実現できれば、宍粟市に明るい未来が待っていると確信しています。4月30日まで、20日!駆け抜けて必ず選ばれます。

2017年4月5日

帆は準備できた!【雑談】

地域医療
 宍粟市は、完全に “春” です。まだ、山間部の日陰には雪が残っていますが、虫、鳥、草花、そして人も、“春” を満喫しているようです。でも、花粉症で悩んでいる方々にとっては、あまり歓迎されない季節なのでしょうか?私自身は、毎年「とうとう花粉症かな?」という感じの症状は出ますが、すぐに治ったり、それほど辛い状況にはならないで済んでいます。反応する植物によって、症状が出る時期は違うようですが、少しだけ辛抱が必要ですね。花粉症に悩む方がもし病院にかかる場合、どの診療科を受診されるのでしょうか?症状によって眼科?耳鼻科?といった感じでしょうか?宍粟市の総合病院では、耳鼻科診療は週3日(月水金の午前)。また、眼科診療は週2日(水木の午前)となっています。眼科は、総合病院の他に市内に2つの開業医さんがありますので良いのですが、耳鼻科は、総合病院しかありません…。そして、これらの病院は、東西方向約32km、南北方向約42km、面積658.54㎢という宍粟市の南部に集中しています。そこまで車で、30分〜1時間という方は、たくさんおられます。特に耳鼻科を受診したい場合、子ども達だったら学校を休まなければならなくなってしまいます。一方で、南部に住む子ども達は放課後、他市町の耳鼻科に行くことが容易です…。こんな状況からも、北部から南部への人口移動は起こるのかもしれません…。

春といえば…
 始まりの季節です。選挙が多い季節でもあります。各地から “選挙” のニュースが聞こえてきます。もちろん宍粟市も…。県内では、議会議員選挙では、赤穂市、福崎町、香美町、そして宍粟市と続きます。また宝塚市、伊丹市、豊岡市、朝来市、淡路市、香美町、そして宍粟市と首長選挙が続きます。夏には県知事選挙もあります。4年前の春は、私も選挙で、バタバタしておりました。これからも4年に一度、バタバタする季節が、“春” なのでしょうか?もう少し春を満喫しながら、ゆったりと過ごしたいものです…。
 帆船にとっては良い季節なのでしょうか?国内外の帆船が、長崎をめざしています。4月20日(木)~24日(月)まで、長崎で “帆船まつり” があるようで、関西からも「みらいへ」という帆船が長崎に行くようです。見に行きたいですが、今年は無理です…。
 帆船といえば…“順風満帆” という故事?が思い浮かびます。「順風」とは、船の進む方向に吹く風、追い風のこと。そして「満帆」とは、帆をいっぱいに張ること。『船が追い風を帆いっぱいに受けて、快く進むことから。物事がすべて順調に進行していることのたとえ』だそうです。“神風” なんていう、不確定なものを期待はしていません。現在の “逆風” を “順風” にするためには、やはり私個人の力だけではなんともなりません。帆の準備はできました。あとは追い風を起こすだけです。自分勝手な言い分かもしれませんが、多くの方に風を起こしていただければと思います。「あんたもう少し、政治に関わっていいよ」と思われる方がいらっしゃるならば、ザワザワしていただきたいなと思います。4月30日まで、残り25日…。

2017年4月4日

そろそろ風を吹かせよう!【議論】


新年度
 宍粟市は、すっかり “春” です。新年度も始まり、進学、人事異動などで、人が動く時です。引越しの荷物を積んでいる車を見かけるようになりました。どれだけの人口が移動するのでしょう?ちなみに、2月末に宍粟市の人口は、39,281人(住民基本台帳人口)でした。
 南部(山崎町)では、桜が咲き始めたようです。桜前線は、これから1ヶ月くらいかけて、宍粟市を約40km北上します。長い間、桜を楽しめるのも宍粟市の魅力の一つです。今年は、雪が多かったせいか、咲き始めが少し遅い感じです…。となると、これからしばらくは、満開の桜、また桜吹雪の中で “街頭演説” って感じになりそうです。

市政報告会
 これまでもお知らせしていましたが、『市政報告会』の1回目が、明日5日に迫ってきました。改めて日程をここに記しておきます。
 
 4月5日(水)19:30〜 市民センター波賀
 4月6日(木)19:30〜 センターちくさ
 4月7日(金)19:30〜 センターいちのみや
 4月8日(土)19:30〜 山崎文化会館

 この『市政報告会』これまでの4年間を振り返りながら、宍粟市はどうなっていくのか?を皆さんにお知らせするとともに、この先、宍粟市にとって何が必要か?を皆さんと一緒に考えていきたいと思います。この4日間で頂戴した意見を自分なりに噛み砕いて、消化し、マニフェストに入れられるものは入れていこうと考えています。たくさんの方にご来場いただきたいと思います。…でも、これまで色々な形で『市政報告会』をやってきましたが、来場者数0ということも、何回かありました。その現実を受け入れることによって、メンタルは鍛えられましたが…。そして、待っているだけではダメだ、こっちから出かけていこうということで、昨年5月から “街頭演説” をやってきました。先日、4月1日で、99回を数えました。目標としていた「次の選挙までに100回」は、なんとかクリアできそうです。新聞報道後は、手を振ってくれたり、クラクションを鳴らしてくれたり、立ち止まって聞いてくれたりと色々な反応が見えてきました。また、途中からはフェイスブックで “街頭演説” の様子をライブ配信しているのですが、そちらも多くの方に見ていただいているようです。この場を借りて、御礼申し上げます。「本当にありがとうございます!」もう少しだけお騒がせしますが、ご理解下さい。

これからの動き
 自動失職を選択しましたので、私の議員任期も残り19日…。この先、議員としての仕事は、7日に中学校の入学式、8日が商工会十周年記念式典、9日に消防出初め式、11日に幼稚園の入園式、12日が常任委員会、13日が県立森林大学校開校式・入学式です。そして、18日が私にとって最後の議員協議会となります。そして、あと26日後、4月30日には、次の4年間に向けて、宍粟市にとって私が必要なのか?それとも不要なのか?の審判が下ります。

2017年4月1日

やっと理解できました【雑談】


いよいよ4月
 宍粟市は一昨日(30日)がとても暖かく(20度を超えたところもあったようです)庭の梅は八分咲きといった感じです。これまで鉢の底でじっとしていたメダカが水面に上がってきて、気持ちよさそうに泳いでいます。ツバメはどうかな?今年は巣を作ってくれるかな?昨年、倉庫に巣を作りかけていたのですが、その倉庫に閉じ込めてしまったことがあって、結局はどこかに行ってしまいました。今年は巣を作って欲しいです。そして可愛いヒナがたくさん、そこから巣立っていって欲しいなぁと思っています。ちなみに昨日(31日)は、雨が降っていました。しかし、山の頂上付近は白くなっていましたので、上の方は雪だったようです。なごり雪ってやつでしょうか?

やっと理解できた
 これまで色々なところで言われてきたこと「落ちたら宍粟市を出ていくつもりでしょ?」について、やっとその真意が理解できました。「ゆくゆくは県外に出ていくんでしょ?」ということ、要するに宍粟市に何年住んでいようが 「 “よそ者” は黙って、風習に従っていれば良いのだ」ということだったみたいです。家は借りて住むんではなくて、買い取るか建てろということ、骨を埋めるために墓を建てろ…それができないならいつまでたっても “よそ者” だということみたいです。でも一方では、宍粟市出身で各地で活躍する人たちは、いろいろなところでアピールされています。そのような人たちに、市民はどのような感情を抱かれるのでしょうか?私に対しては、宍粟市を踏み台にするな、何も知らないくせに引っ掻き回すな、不愉快だ…いろいろな感情があるみたです。「あんたと私では格が違う」(自治会内で身分のこと?)とか「あんたが言っても通じないけど、私が言ったら通じる」(よそ者の意見は誰も聞き入れないということ?)とか、面と向かって言われたこともあります。「あの家は、もともとは地元ではない」なんて話は、聞いてもいないのに耳に入ってきます。何代、地元に住んでいなければいけないのでしょうか?廃藩置県の時くらいまで遡れば満足ですか?家を建てたり、お墓がある人たちでも地元に残っていない人はたくさんいますよね?そのような人たちに、市民はどのような感情を抱かれるのでしょうか?市内に住んでいない行政職員だってわんさかいますよね?子どもや孫に「この町に帰ってこなくてもいい」と言っている人たちもたくさんいますよね?
 ここで教育長が言った「勉強できるようになったら、地元から出て行ってしまう」「だから宍粟市では、学力はそこそこで良いのだ」という言葉の意味がやっと理解できました。どこに住んでいようが、その人の能力や努力は別にして、地元の旧家出身者でなければ、まちづくりに関わってはいけないみたいです。まちづくり=世襲ということでしょうか?それを好む市民が大半を占めるならば、きっと私は選ばれないでしょう…。ただ、それだけの話です。「宍粟市を踏み台にするな!不愉快だ!」って言われましたが、踏み台というのは、高い位置にあるものを取るために用いるものです。もし宍粟市を踏み台にするとすれば、もっと高い位置にあるものは一体なんなのでしょうか?宍粟市出身で各地で活躍する人たちは、宍粟市を踏み台にした不愉快な人たちなのでしょうか?
 私に投げかけられる言葉の意味は理解できました。はっきりと意見をしていただいた方々に感謝します。この先も私は宍粟市に家を建てたり、墓を作ったりはしない(できない)でしょう。もし、私が宍粟市で一生を終えたとしても、何が残りますか?家と墓だけ残っていれば満足ですか?私は、年齢、性別、出身、障害のあるなしなどにかかわらず、市民が自分たちの町のまちづくりに関心を持ち、参加できる仕組み、雰囲気(私が言う “真の住民自治” です。)を作り、それを宍粟市に残したいと思っているだけです。道路を作ったとか、建物を建てたとか、それを実績のように言う政治家が多いですが、私は “自治の仕組み” を作りたいだけです。そんなこと “よそ者” に言われたくないと思われるならば、それも選挙で示していただければと思います。