2016年4月26日

何ができるか?【議論】


 新年度が始まってすぐに、熊本、大分など九州地方で大きな地震が起こり、それによって命を落とされた方々、被害に遭われた方々、いまだ避難生活をされている方々…平穏な日常が一瞬にして、一変してしまうことがあるということを今回も痛感しました。お悔やみ、お見舞いを申し上げます。1日でも早く平穏な日常が取り戻せるように、復旧・復興に向けて、微力ですが自分のできることを精一杯していきたいと思います。

日頃の備え
 “天災” に対しては、とにかく備えるしかありません。でも日頃の自分を振り返ってみると、自分の身の回りでは起こらない(起こってほしくないという希望も含めて…)という意識があることに気づかされます。もし最悪の事態を想定して備えていたとしても、その想定を超えることが起こってしまうのが、災害だという事実…。特に地震は、いつ、どこで、どの程度の地震が起こるのかの予知が難しいということも嫌というほど経験しています。実際には、ほとんど不可能といったほうが正確かもしれません。(地震の研究が無意味だという意味ではありません。)
 私は静岡で生まれ、高校まで静岡で暮らしていました。大きな地震(当時は「東海地震」と言われていたと思います。)がいつ起こってもおかしくないと言われていたので、備えていたつもりでした。しかし、たびたび小さな地震があると、いつしかそれが慣れにつながってしまいます。そしてどこかで何の根拠もなく「大丈夫だろう…」という感覚が芽生えてしまっていたのも事実です。20年ほど静岡を離れ、再び静岡で暮らしていた時に、2011年3月11日の東日本大震災がありました。また、3月15日22時半頃(家族5人で寝ていた時)には、静岡県東部を震源とする地震があり、その頃住んでいた御殿場市も震度は忘れましたが(御殿場と20kmくらい離れた富士宮市で震度6強)相当揺れました。まだ小さかった子ども達がスヤスヤと眠っている横で「とうとう来たか…」と思いながら飛び起き、あれこれ考えましたが、結局は何もできず、揺れが収まるのを待っていただけでした。避難訓練は日中、学校で、給食室からの火災が想定され行われていましたし、寝ている時に地震が起こることは自分の中に想定がなかったのだと思います。ましてや、親として子ども達をどう守るかというシミュレーションなんてできていませんでした…。今回は、前震、本震など耳慣れない言葉が出てきましたが、震度7が2回続くことを誰が想定していたでしょうか…。いくら備えていてもなかなか対応できない…これが現実なのかもしれません。だからと言って備えないのも違いますね。

教育への影響
 今回の地震で、私は、地震の発生→避難→小中学校が避難所→教育への影響…子ども達をどう支援すべきか?と考えました。先日、議員の有志で市長に対して、被災した児童生徒の受け入れと教育活動の再開(継続)のための市内の空き校舎、空き教室の提供に関する申し入れをしました。熊本県から700kmほど離れた宍粟市で、これは現実的な支援策ではないかもしれません。しかし、その選択肢があることを九州の子ども達、教育関係者をはじめ避難している人たちに伝えること自体が必要だと思います。学校は、一般的な建物より耐震基準が厳格です。そこを避難所として使うことは理にかなっています。(今回のように大きな地震が2回ということは想定されていないと思いますが…)一方で、学校を休校にせざるをえない、教育活動が停滞することも事実です。休校が長引けば、それだけ子ども達に影響が出ます。追いつくための過度な負担も考えられます。実際に今年度の全国学力調査は、熊本県については全域で見送られています。(学力の現在地がわからないことは、その後の目標設定に大きく影響すると思います。)震災から10日ほどが経過し、授業再開のニュースも聞こえ始めましたが、依然として300を超える学校が、休校しています。授業(教育活動)が早く再開されることを心から願っています。

次回は、ラーニングピラミッドをもとに、議員という仕事と “教育” について考えていきたいと思います。最近、政治って教育、学習ってことにとってもとっても関係が深いものなのだと実感する出来事があったので…。

2016年4月7日

反対討論…【報告】

宍粟市、昨日(6日)の小中学校の入学式は、穏やかな天気、桜も満開で “春” のイメージにぴったりだったのですが、今日(7日)は、傘をさせないような大雨&強風、大荒れの天気になってしまいました。新1年生は、「今日から学校だ!」と意気込んでいたでしょうが、ちょっぴり意地悪な感じの天気になってしまいました。山間部だから特にでしょうか?警報ギリギリ、台風か?と感じるような天気の日も結構あります。それ自体、楽しんで学校に通えたら良いですね。なかなか難しいかもしれませんが、本来、学校とは、学びたい!通いたい!と思える場所でなければなりません。子ども同士のいじめ、先生によるパワハラ(勉強をしっかり教えてくれないこともここに含まれると思います。)などにより、通いたくても通えない…、できれば通いたくない、勉強はしんどい、めんどくさい…なんて感覚にさせてしまうことはあってはなりません。憲法26条に書かれた “教育を受ける権利” の中心は、子どもの学習権の保障であるはずです。

反対討論
 先日のブログの続き、3月議会の第52号議案「定住自立圏の形成に関する協定の締結について」は、“反対”の立場で討論をしましたので、その原稿(ちょっとだけ修正)を掲載して、なぜ反対したのか?私の考えを説明しておきたいと思います。ちなみに、今回掲載した画像は、私が修士論文で、宍粟市内で一極集中が進んでいることを説明するために使った図です。宍粟市は平成17年に4つの町が合併して誕生したわけですが、その総人口の変遷、また総人口(1995年と2000年は、合併前の4町の合計)に占める4つの町の人口割合を示しています。これも今回の反対討論の背景としてご覧いただければと思います。
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第52号議案「定住自立圏の形成に関する協定の締結について」反対討論を行います。
 まず、この定住自立圏の背景にある人口減ですが、宍粟市の人口減少は、2015年国勢調査で、5年前から、3,146人減、△7.7%となっていますが、これは何も人口減対策を打たなければ、またこれまでの人口減対策が功を奏しブレーキがかかった場合、これくらいになるだろうという国の推計を742人下回り、非常事態であることは周知の事実です。
 今回の国勢調査で、宍粟市の人口は、兵庫県内の41市町で、25位から、26位になりました。逆に26位から25位になったのは、人口40,332人の加東市です。加東市は、今回の国勢調査で4万人を切ることが予測されていましたが、前回の国勢調査から+151人、40,332人となっています。この4万人というのが、定住自立圏の中心都市となる要件の一つであり、加東市は、加西市とともに、北播磨広域定住自立圏の中心都市になっています。北播磨の定住自立圏構想は、平成24年から調査・研究、平成26年度に連携をめざすことを確認し、加西市と加東市は、平成27年3月、圏域における中心的な役割を担う意思を表明する複眼型としての「中心市宣言」を行い、同年9月に、定住自立圏形成について各市町議会の議決を経て、10月に調印式を行い、中心市である加西市及び加東市の2市は、西脇市、多可町それぞれとの間で、協定を締結しました。そして、定住自立圏共生ビジョンを11月に発表しています。
 北播磨では研究から3年以上をかけているのですが、今回のたつの市を中心とする宍粟市、上郡町、佐用町の2市2町の定住自立圏構想は、27年5月から協議開始、9月にたつの市の中心地宣言、そしてこの3月に協定を締結しようとしています。協議開始から1年足らずで協定締結、共生ビジョンという具体策の策定は、まだまだ先になります。
 宍粟市の人口減に話を戻しますが、2010年の国勢調査では、2005年から2,364人減、△5.5%でした。その内訳は、山崎が△2.74%、一宮が△8.91%、波賀が△9.13%、千種が△10.20%で、明らかに北部の人口減対策を急がなければならない状況です。政策の緊急度、重要度でいけば、総合計画等で掲げるいわゆる第1のダムを最優先に整備していかなければならないということになります。しかし、現在の宍粟市は、発行期限が迫った合併特例債を使って、第2のダムである山崎町を中心に財源を集中投下しています。第1のダムである波賀、千種では過疎債を使っていますが、第1のダムが機能し、波賀、千種の人口減が食い止められ、人口増になった場合には発行できなくなる過疎債を将来も期待してまちづくりを行っているということは、過疎地域の人口減を期待していることと同じ意味です。
 宍粟市側に定住促進に関する政策がなければ、定住自立圏の協定を締結することでたつの市への人口流出が加速する可能性があります。まずは、宍粟市の定住促進策を整備する必要がありますが、それができていません。
 定住自立圏の中心地となる要件、昼夜間人口比率は、2010年の国勢調査では、宍粟市94.3に対し、たつの市95.6とさほど変わらない状況です。合併前の旧たつの市中心部は、100を超えているのかもしれませんが、たつの市全体を見ると、通勤、通学でたつの市外に出て行っている人が多いことになります。北から南、たつの市あたりでは、東西にも人は流れています。
 姫路を中心とする連携中枢都市圏をはじめ、環境事務組合、広域消防など自治体間の連携政策における宍粟市にとってのメリットはあまり感じられず、説明責任を果たせていない現状でこれ以上の連携する場合には、宍粟市にとってのメリットを見極めながら、慎重に進めていく必要があると考えますが、今回の定住自立圏構想は拙速です。以上の理由により、第52号議案「定住自立圏の形成に関する協定の締結について」反対します。
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 こうやって読み返してみると「おやおや…いつもにも増して支離滅裂ですなぁ」と反省するしかありませんが、要は、まずは足元をしっかり見ましょうよということです。中央集権、首都圏への人口集中がいろいろなところで歪みを生み、これではまずいというところから地方分権、地域創生などが言われているのだと思います。それなのに地方の小さな市の中で日本の縮図のような一極集中を起こしてしまっては元も子もないでしょ…ということなのです。脚下照顧?どこかで聞いた言葉が思い出されます。

2016年4月6日

新年度が始まりました。【雑談】

 平成28年度が始まり、一週間ほどが経過しました。今日(6日)は、宍粟市内の小中学校で入学式がありました。新年度、桜の季節、春というのは色々な気持ちがリセットされる時期、期待や不安が入り混じった決意の時期ですね。新たなスタートラインに立った方々に、心からエールを送りたいと思います。
 私自身は、宍粟市への引っ越しと同時に通い始めた大学院もやっと修了できました。また、宍粟市民として6年目に入ることになります。来年の5月までの議員としての任期で言えば、ラストスパートの1年、次のステージへ助走の1年って感じですね。このブログ、3年とちょっと続けてきましたが、これからの1年は、これまでのまとめ、次のステージへの布石という意味も含めてゆるーく続けていきたいと思います。まずは前回のブログで書ききれなかった、3月議会の第17号、18号、32号議案の “反対” の理由から始めたいと思います。

反対理由
 【第17号議案】「宍粟市議会議員の議員報酬及び費用弁償等に関する条例の一部改正について」、また【第18号議案】「宍粟市特別職の職員で常勤のものの給与及び旅費に関する条例の一部改正について」は、議員、市長、副市長、教育長の報酬を人事院勧告に従って、上げるための議案です。なぜ上げるか?その根拠は “人事院勧告” だけです。これは市の財政・経済状況、市民の給与水準、これまでの成果など一切関係のないものです。3年間の議会の仕事ぶりを見ているとさすがに賛同はできません。バカ高い上下水道料金、国保の保険料、市の財政難を理由に切り詰められた行政サービス、公共施設の統廃合…一方で合併特例債を使った大型公共事業の乱発(無計画に見えるので敢えて “乱発” と表現させていただきます)。どこを見渡しても、どう考えても議員、市長、副市長、教育長の報酬を上げる根拠はありません。いくら上がるか?金額なんてどーでも良いのです。議員、市長、副市長、教育長が胸に手を当てて「報酬分の仕事、報酬以上の仕事を出来ているのか?」を自分に問うていただきたい。私の見立てでは、市長、副市長、教育長だけ報酬をを上げたら議会が反発するので、議員の報酬もあげときましょうか?という感じですね。議会も軽く見られたものです。まぁ、市長の報酬を下げる議案に対して、議会が「市長の人気取りだっ!」と猛反発し、否決する事例は全国に見られます。これは「自分たちの報酬も下げられる…」という保身の裏返しです。議会とはなんなのでしょう?ちなみに市の一般職の給与もちょっと上がり、新たに創設された市の非常勤特別職の報酬を定める議案もありましたが、こちらは “賛成” しておきました。市民に、妥当だと思ってもらえるのか?単なる選挙対策のバラマキだと感じられているのか?既得権の保護にしか見えないのか?こちらは日々の仕事の中で肌で感じてもらえば結構です。結局、この議案は可決されましたので、議員報酬は上がってしまいます。報酬が上がった分は、政務活動に使わせていただくことにします。(返納は寄付行為にあたり、公選法がそれを許しません。)個人的には、選挙で相当のリスクを背負い、貯蓄のない状態で経済的マイナスを抱え、政務活動費月額15,000円の使途は限られ、活動をすればするほど持ち出しが増え疲弊していく… この “議員” という仕事、もっともらっても良いとは思います。次に続く世代のためにも、この主張は変えるつもりはありません。【第32号議案】は、給与等の増額分が計上された一般会計の補正予算ですので、自動的に “反対” となります。

 第52号議案「定住自立圏の形成に関する協定の締結について」は、反対討論をしましたので、次のブログでその原稿を掲載します。心躍る “春” …皆さんにとって素敵な1年になることをお祈りしています。もちろん自分にとって、宍粟市にとって素敵な1年になるように頑張ります。