2015年6月29日

堂々巡り【議論】

宍粟市では今日、終戦70周年戦没者追悼式が行われました。議員になって初めて参列させていただいたのですが、いろんなことを考えました。今回のブログは、その “考えたこと” をつらつらと書きたいと思います。

犠牲ってなんだ…
 私は1971年(昭和46年)生まれ…。両親は終戦の1945年(昭和20年)前後に生まれていますので、戦後の混乱期に幼少時代を過ごした世代(団塊の世代よりもチョット前)ということになります。祖父母が戦争の当事者でしょうが、私は祖父母と同居した経験がほとんどなく、直接 “戦争” について、聞いたり、感じたりすることなく育ちました。『戦争を知らない子供たち』って歌が流行ったのも私が生まれた頃らしいです…。 
 今の日本の平和やこれまでの発展が、戦没者の犠牲の上に成り立っている…。確かにそう思わないとやりきれないという気持ちは理解できます。また、戦没者のご家族など多くの方々が戦後の混乱から日本を立て直す時、苦労されたことも理解できます。私はすでに平和で経済的、文化的に発展した日本を生きてきたのでしょう。東京オリンピックが1964年、大阪万博が1970年、札幌オリンピックが1972年…その頃、生まれた団塊ジュニアですので、平和や経済発展の恩恵を思う存分に享受してきた世代ということになります。しかし、それらが戦没者の犠牲の上に成り立っているという言葉を聞いて…何か引っかかるものがありました。その犠牲がなかったら平和、経済発展などがなかったのでしょうか?逆に平和とか、経済発展とか人の命を犠牲にしなければ成り立たないものなのでしょうか?これからの平和や発展のために、人の命を犠牲にすることが繰り返されるのでしょうか?人の命を犠牲にした平和…そんなものがあるのでしょうか?犠牲はあくまで戦争の “結果” であって、平和や発展の “原因” ではないはず…と少し混乱しています。そもそも終戦70周年…そんなこと考えること自体が不謹慎でしょうか?

繰り返して言いますが…
 今、国会で審議されている安保法案…どう考えても賛成できるものではありません。政府はいろいろと説明してはいますが、辻褄が合いません。細かくは書きませんが、憲法96条、憲法解釈の変更、閣議決定、砂川事件判決、武力行使の新三要件、存立危機事態、国連憲章51条などなど…人は言葉、論理で物事を理解します。雰囲気とか、イメージとかですら、それを人に伝えようと思ったら言葉に置き換えて説明します。また政治は言葉、論理でいろいろな決め事とそれが決まった経緯を説明する必要(責任)があると思いますが、それが出来ていません。いろいろな決め事とそれが決まった経緯…時間をかけて説明すれば理解されるものと、時間をかけても理解されないものがありますが、今回の安保法案は後者だと思います。憲法96条(憲法改正の発議要件)を衆参両院の2/3から1/2に改正しようとした時点で、憲法改正をしなければ集団的自衛権は行使できない、つまり “違憲” であることを認識していたわけですから…。

言論を放棄しない…
 こんなこと考えていたら、議員(議会)って条例(規制)、公共施設の使用料や税金の額、税金の使い方、補助金などなどたくさんの決め事をしています。でも言葉、論理でいろいろな決め事( “決めない” ことを決めることも…)とそれが決まった経緯(決まらなかった経緯も…)を説明できているでしょうか?裏でこっそり決めるとか、一部の特別な人達だけで決めるとか、またそれを容認してしまう雰囲気(言っても無駄っていう感情)とか…言論を放棄している姿(特に政治家と呼ばれる人達の…)には、危機感を覚えます。そんなこと言っている私も努力はしていますが、十分できているとも思っていません。どれだけ言葉を尽くしても、論理を駆使しても言い尽くせないことはありますし、伝わらないところには伝わらないのも事実です。

“正解” なんてない…
 私は議員になって1期目3年目…議員って当選回数や在任期間で何となくポジション、発言力が決まる(決まると思いたい人達が集まった)変な世界なので、1期目は何もできない(そう思われているからそれに甘えて何もしない…)という独特の雰囲気が流れています。だからベテラン議員の方々の姿をお手本にしようと思いましたが、3年経ってもお手本としたい方がいない…。その中でも “言論” という意味では、お手本にしたいと思っていた方がいましたが、3年経ったら本気さ感じられなくなった、薄ぺらいことに気づいてしまった…。他の市町村、都道府県を見れば、尊敬できたり、勉強になったりというお手本としたい方はたくさんいますが、それはお手本であって “正解” ではありません。そもそも “正解” なんてない…いやいや、“正解” には一生辿り着けないと言ったほうが正確かもしれません。今日は1日そんなことを考えていました。そして、戦争の犠牲となった人たちは、どう思うのでしょうか?言葉を介して理解することができません…堂々巡りです。

2015年6月25日

考えすぎ?【雑談】

宍粟市は、24日の15:37に “大雨洪水警報” が発令され、17:38に解除…。しかし、自宅周辺では雨は全く降っていませんでした。雨雲レーダーの履歴を見たら、岡山、鳥取、兵庫の県境(三国境?)辺りに1時間雨量20〜30mmという強烈な雨雲がしばらく滞在していたようです。それに反応した警報だったのでしょうか?これからは、そういう季節です。雷、大雨、それに伴う洪水や土砂災害…注意しなければいけません。

定例会
 6月定例会は終わりましたが、議員の活動は定例会以外(閉会中)もズーッとあります。この年4回の “定例会” という仕組みが厄介で「年に数えるほどしか議会に出ていないのに報酬が高すぎる!」という批判は常に渦巻いています。(通年議会ということに取り組んでいる議会もありますが、賛否両論あり、課題も多く、現在は少数派でしょう…)確かにただ議員という肩書き、身分だけでなーんにもしていないのでは?と思われても仕方のない人たちは確実に存在(私もそのように映っているかもしれませんが…)しますし、仕事=拘束時間ではないので遠目からは優雅だ…と映るのかもしれません。何かをしても、しなくてもどちらにしても批判されることが多い仕事です。

学問と政治の関係
 今、国会では安保法案が審議されています。先日は、衆議院憲法審査会において、憲法学者が安保法案を “憲法違反” だと明言しました。多くの憲法学者が同じように安保法案が違憲であるとの考えを表明しています。私は集団的自衛権行使容認の閣議決定がされた頃から、日本国憲法の入門書を買い、本、ラジオ、インターネットなどで憲法とか立憲主義とかちょっとだけ調べています。(その頃から長谷部恭男氏、小林節氏のお名前は聞いたことがありました。)
 現時点では関心を寄せることくらいしかできませんが、自分には関係ないこととして目をそらし、思考停止に陥ったらそこで国の決定にYesを言ったことと同じになると思います。もちろん、集団的自衛権や今審議されている安保法案などに反対すると、売国奴?左翼?反日?なんて批判されます…。でもお互い様ですよね。
 今回の議論で、法案に反対の立場を取っている層には、憲法を変えるなという主張を軸に反対している層と、もし集団的自衛権を行使できる国にするべきだと主張するならば、憲法改正を発議して国民投票にかけるべきという、閣議決定、解釈改憲などそのプロセスに対して反対している層があるように思います。私はどちらかといえば後者ですね。今の憲法を無視して、重要な政策決定を行うことこそ、“国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険” だと思うのですが…。皆さん、難しい話とか、遠い将来の話として目をそらしていませんか?

引き寄せた?
 写真は現在、持ち歩いている本です。左:『多数決を疑う』−社会的選択理論とは何か−坂井豊貴著(岩波書店)と右:『始まっている未来』−新しい経済学は可能か−宇沢弘文・内橋克人著(岩波書店)です。左の本は社会的選択理論とかいう視点から、右の本は経済学の視点から、今の日本の危うさを憂いています。タイトルだけ見てパッと手に取ったり、大学院の課題として提供されたりという程度で読み始めましたが、やっぱり今の日本って、危うい状態みたいです。事の大小はあるかもしれませんが、身近なところでも同じような事は日常茶飯事として起こっています。大袈裟でしょうか?考えすぎでしょうか?

2015年6月22日

6月議会閉会【報告】

神戸新聞NEXTより
宍粟市はもう夏の装いです。6月も下旬ですので当たり前と言ったら当たり前なのですが…いろいろな所で “ホタル” が優雅に飛んでいます。“ツバメ” もヒナがかえり、親鳥は忙しくエサを運んでいます。(今年はうちに “ツバメ” が帰って来てくれず、寂しい夏を迎えています…。)
宍粟市議会6月定例会が19日に終わりました。 3度目の6月定例会…任期も3年目に入ったわけです。この2年間で “地方議会” を見る眼は確実に厳しくなりました。発端は兵庫県議の政務活動費問題でしょう…。議員報酬とは別に月額50万円が支給されていたこと、その使途についての決まり事が緩かったことなどなど…いろいろな事実もこの問題によって多くの人が知ることとなります。支給方法や報告の厳格化(しかも月額45万円に減額)をしたら、2014年度の返還金が過去最高の1億1,500万円って…これまで何に使われていたのか?このあたりは議会の自浄作用に期待するしかありません。ちなみに宍粟市議会は、報酬で県議の約1/3、政務活動費で1/30です…諸手当や政務活動費の使途を考えるとその差はぐーんと広がります。面積では、兵庫県8,396㎢、宍粟市658.54㎢で7.8%、人口では、兵庫県5,588,133人、宍粟市は40,938人で0.73%…兵庫県議の定数89、宍粟市議会は18です。だから何?って話です…。
 
6月議会で明らかになったこと
 これまでも議案になって初めて知らされること、一般質問の答弁によって明らかにされることがたくさんありました。今回は51号議案「教育長の任命」から62号議案「中学校校舎の耐震・改修工事の請負契約締結」まで12議案があがってきました。その中で…新たな補助金3,000万円が準備されたこと、学校で文部科学省の補助事業に取り組むこと、市長も教育長も3歳児教育は努力義務であるという認識(これは以前からわかっていたので再認識です)であることなどが明らかになりました。ちなみに今回、私が反対した議案は62号議案です。

無計画、ご都合主義
 新たな3,000万円の補助金は、産業連携促進事業等補助金といい、1件500万円で半分くらいの使途は既に決まっているらしいです。広く募集されるわけではなく、ある特定の団体(個人?)の要望に応えるために創設された補助金であることは明白です。また産業連携促進事業というところ(行政ではこの “等” を上手に使って使途をぼやかすことが良くあります…)での使い道もある程度決まっています。別に反対はしませんでしたけど、ちょっと都合良すぎやしませんか?当初予算に上げておくべきでしょ?
 文部科学省の補助事業150万円(ほとんどが報償費)は、正式には首長部局等協働新学校モデル構築っていう事業です。教育委員会制度が変わり、これまで教育行政(教育委員会)には形として口を挟むことができなかった市長が、堂々と口を挟めるようになりましたのでそれを実践するような事業です。ここで気になるのは、宍粟市への愛着や誇り みたいなことが前面に押し出されていることです。宍粟市を “知る” ってレベルならば、教育として成立するのでしょうが、宍粟市の良さを知る、住み続けたいと思うってレベルになると答えや一定の価値観に子どもを誘導することになり、教育というレベルを超え、洗脳に近くなります。宍粟市は良いところだ、住み続けたいって思わない、思えない子は排除されてしまいませんか?
 3歳児教育の件については、そもそもの宍粟市幼保一元化計画の計画期間を無期限に延長するって明言した時点で、市内全域に認定こども園が整備されるまでの間は、3歳児で幼稚園教育を希望する層(新制度での1号認定)は、認定はするが市内ではその機会は保証しないということを明言したことになります。子ども子育て支援法ってそんな都合の良い解釈が許される法律でしょうか?(法解釈については今後、法律の専門家に聞いてみたいと思います。一度、内閣府の担当者に聞いたことがあるのですが “努力義務” なんて解釈はあり得ないという回答でした…。)

安保法案…
 今、国会で審議されている安保法案について言いたいことが山ほどあります。集団的自衛権行使容認の閣議決定を機に憲法について考えるようになりました。護憲、改憲、保守、革新、右派、左派…そんな “レッテル貼り” はどうでも良く、自分の信念として、今回の集団的自衛権の行使容認、解釈改憲、安保法案については断固 “反対” します。
 私はポツダム宣言、日本国憲法、安保法案、自民党の憲法草案などなど “つまびらか” に読んでいませんが、感覚的に今の日本の政治がおかしい(可笑しい?)ことはわかります。それは地方でも同じこと…特に基礎自治体として確固たる信念がないところでは、同じようなことが起こります。それも “身近な政府” なだけに、うーんと凝縮した形で…この件については改めて…。

2015年6月7日

6月議会が始まっております。【報告】

宍粟市は最近ちょっと肌寒い日が続いています。北海道では雪が降ったみたいですね。また、近畿地方は梅雨入りしたようです。また、季節が変わります。皆さん、体調を崩さぬようお過ごし下さい。

議会構成が変わりました 
 前回のブログ更新から半月ほどが経過してしまいました。もう少し更新頻度をあげていきたいですね…。この半月で、宍粟市議会では議長の交代をはじめ、委員会構成の変更などがありました。5月22日の議長選挙では、18票が、8:8(無効投票2)に分かれ、公選法の規程に準じて “くじ引き” になりました。私は総務文教常任委員会から、民生生活常任委員会へ所属が変わりました。議会広報委員会、政治倫理審査会からは外れました。新しい議会構成はこちらをご覧下さい。→(宍粟市議会の構成)新しい議長には、市民との関係性改善(市民の参画、議会の情報公開、広聴機能の強化など)に向けた議会運営を期待しています。
 3日〜5日にかけて3つの常任委員会が開催されました。一般質問は11日と12日に行われます。私は、会派の代表質問として11日の午前に質問に立ちます。そして、12日〜14日にかけて、市内4会場で会派による “市民懇談会” を開催します。前回の “市民懇談会” では、4会場合計で70名以上の方々にご参加いただきました。しかし波賀、千種会場での参加が少なかったので、今回は波賀、千種会場にも多くの方に来ていただきたいと思っています。政治の話は堅苦しいとか…、あまり表立って話すものじゃないとか…っていう雰囲気がありますが、私は気軽に、普段着で、道ばたで、笑顔で話されても良い話題だと思いますが、皆さんはどう思われますか?直前になってしまいますが、開催まで波賀と千種をフラフラしながら、出会った方にチラシをお渡ししようと思っています。バッタリ会ってしまったら…運が悪かったと思って、チラシだけ受け取って下さい。

これから… 
 一般質問、市民懇談会、委員長報告…これから準備しなければならないことがたくさんあります。いつもギリギリにならないと手を付けられないのです。次は前もって、余裕を持って…と思うのですが、なかなか難しいですね。そう言えば、ずーっと先延ばしになっていた「宍粟・草の根運動の会」の会報、市政報告会も6月議会が終わったら手を付けます。会報は7号を作成中です。市政報告会もテーマと会場、方法について構想中です。こちらもよろしくお願いします。