2016年10月27日

反省はしても後悔はしない【雑談】

宍粟市は、久しぶりの雨です。たまには、秋雨も良いものです。宍粟市議会では、一昨日から「市民懇談会」が始まりました。『宍粟市議会基本条例』では、第6条(市民と議会との関係)で、1. 議会は、市民に対し積極的にその有する情報を発信し、情報の共有を推進するとともに、説明責任を十分に果たさなければならない。2. 議会は、市民からの請願、陳情等を政策提案と位置づけ、真摯に受け止め協議し、必要な場合は文書により回答するものとする。3. 議会は、市民又は団体からの要請に応じ、議員と市民又は団体が自由に情報及び意見を交換するよう積極的に努めるものとする。4. 議会は、市民への報告と意見交換の場として、年一回以上、議会報告会を開催し、議会の説明責任を果たすとともに、市民の意見を聴取して議会運営の改善を図るものとする。5. 議会は、議員活動に対する市民の評価の参考となる情報の提供に努めるものとする。となっており、この「議会報告会」にあたります。昨日25日は、議員18名が6名ずつ3班に分かれて、3つの会場(中学校区)で、行われました(画像は、私も担当した会場の様子です)。条例に謳われていること、特に第6条の1〜5については、市民の皆さんにとっては、まだまだ不十分、不満足だと思います。任期、残り少ないですが精進します。

後悔はしない
 官尊民卑(かんそんみんぴ)、皆さんはこの言葉を知っていますか?私は、こんな言葉があることをついさっきまで知りませんでした。何かの拍子に目について、何て読むんだ?から始まって、言葉の意味を調べてみました。官尊民卑とは、「政府・官吏をたっとんで、人民をいやしむこと」を言うのだそうです。『福沢諭吉の《福翁百話》のなかに,〈吾々学者流に於ては人権平等の論を論ずること久し。官尊民卑も亦この論旨に反するものなるが故に云々〉とある。』(世界大百科事典 第2版から引用)のだそうです。《福翁百話》というのが、1897年に書かれたようなので、今から100年以上前に、福沢諭吉が「これじゃあかんでしょ?」と言っていたのです。政治家や官僚(行政職員)は、国民、市民が第一と言いますが、この官尊民卑という言葉が示すような事案は、数多くあるのが現実です。そこで、議会は官なのか?民なのか?が問題になってきます。どう考えても、議会は民です。国で言ったら、解釈にもよりますが、内閣と官僚などが “官” の側で、国会と裁判所は “民” の側です。国会議員は選挙で選ばれますし、最高裁の裁判官は、国民審査にかけられますから…。これを地方に当てはめると…首長と役所が官、議会は民となるのでしょうか?(地方の場合、首長も選挙で選ぶので、その人の政治スタンスにより、官、民の両側にうまく立地しているバランス感覚の良い首長もいることはいます。)私も官尊民卑なんてありえないと思っていますので、私の一連の行動が、官を批判することになるのは当然の流れです。私は、使った言葉や発言時の態度、言い方について “反省” することは(多々)ありますが、発言したこと、もしそれが行政批判になったとしても、“後悔” は(一切)しません。議員は常に住民の側にいなければならないので、行動、発言をしなかったことの方が後悔するはずです。保身を考えたら黙っている方が得策であることは、誰だってわかります。官尊民卑という感覚は、官の側の優越意識と民衆の服従志向が強まることです。

批判ばかりだという批判
 私はたくさんの人から直接、間接的に「お前は批判ばっかりだな」と批判されます。これはイコール、提案(対案)がないということだと思います。この部分はいろいろと考え方はあるかと思いますが、批判自体が現行の制度や事業に対する対案であり、新規の制度や事業という具体的な提案も、一般質問などで個人的に、予算提案や申し入れなど会派を通じて、議会改革、事業評価、地方創生戦略、福祉施策、教育施策など所属委員会を通じて、どれだけの提案をしてきたか、またそれがことごとく却下(またはひっそりと実行)されてきたか、これは非常に見えにくいことだと思います。何度も言っていますが、自分の実績を殊更とりたてるのも、アピールするのも私のポリシーに反するだけです。誰の実績であろうと、住民(特に庶民、弱者)にとって良い町になれば、良いわけですので…。合併で市になる時を合わせれば、議会は3回の改選が行われていますが市議会でも、合併前の町議会でも、前例のないことを、その中心になって実現してきたという自負はあります。それを煙たいと思う方は、官、民に関わらずたくさんいらっしゃると思います。保身を考えれば、煙たがられるようなことはしないのが得策です。「長い物には巻かれろ」とか、「寄らば大樹の陰」とか、「郷に入っては郷に従え」とか言いますが、政治の世界はそれではどうしようもないことが多いのが現実です。これらの故事は、権力のあるものが庶民や弱者を黙らせるため、まさに官尊民卑の考え方がその背景にあるような気がします。

2016年10月21日

任期はもう直ぐ終わります【雑談】


約10年前…
宍粟市はこの頃、暑い日が続いています。もちろん、夏の暑さではないのですが、一時、とっても寒く、朝は10度を下回っていた日があり、ストーブを点けたことがあったから、そう感じるのだと思います。これだけ寒暖の差があると、体調管理にも気を使います。くれぐれも体調など崩されぬようお気をつけください。…と言いながら、最近体調を崩し、まだくしゃみ、鼻水が止まらない私です。今回、掲載した写真はかつて私が住んでいた御殿場の官舎?で撮った写真です。御殿場では、この時期になると富士山の冠雪が話題になります。きっと今頃は、富士山も雪化粧をして凛とそびえていると思います。

市民になって6年…
 もう直ぐ、私が宍粟市民になって6回目の冬がやってきます。こちらに来て本格的に始めたスキーも、6シーズン目を迎えます。昨シーズンは、雪不足で思うように練習できなかったので、今シーズンこそは適度な雪が長く降り積もることを期待しています。市民になって6回目の冬ですが、実は2回目の冬には、春になったら選挙に出よう!と考えて(悩んで)いました。冬が終われば、議員になって4回目の春がやってきます。宍粟市の選挙は、5月ですので議員任期の4年が終わることになります。あの時、思い描いていた未来が今目の前にあるか?選挙の時に言っていたことが実現しているか?と問われれば、とっても答えに悩みます。私が議員として動いたことで進んだことがあることは事実です。でも、自分の実績か?と問われれば、その部分とそれだけではない部分があるといった感じでしょうか?自分のやってきたことを堂々とアピールできれば良いのですが、この世の中、一人では何もできない(特に議員は…)と思いますので、アピールすることは控えます。これは市民の方々に判断してもらうしかありません。唯一言えることは、今までとは少し違う方向から風を吹かせることはできたかな?また、今まで光が当たらなかったところ(闇の部分も含めて…)に、光を当てることはできたかな?ということぐらいです。ここも最終的には、市民の判断に委ねます。

今までを振り返ると…
 この頃、議員になってからの4年を振り返ることが多くなりました。当然ですね、任期がもう直ぐ終わるわけですから…。同時に、宍粟市民になってからの6年、生まれてからの45年を振り返ることも多くなった気がします。静岡に生まれ、進学で長野へ、結婚で徳島へ、転勤で静岡へ一旦戻り、また転勤で兵庫へ…これまで10回?の引越しをしてきました。住民票をおいた自治体という単位で言えば、宍粟市が8つ目?の自治体です。宍粟市民になってからの6年(特に後半の4年)は、議員ということもあってか、自分は “よそ者” であるのだということを実感しました。鈴木という姓は、故郷である静岡県西部(とその周辺)に極端に多く、他の場所ではそれほど多くないようで、故郷を離れてからは数えるほどしか鈴木さんと知り合っていません。そこからもわかるようにどこへ行っても “よそ者” なのです。議員になってからはこの “よそ者” ということが、批判の対象になったり、逆にアドバンテージになったりと、これまであまり意識していなかった部分が強調された感じがします。以前、このブログでも書きましたが、私は “よそ者” であることをアドバンテージ(優位性)だと思っていますし、これからもこのアドバンテージをいかしていきたいと思っています。“よそ者” に対する批判については、ここに家を建てようが、墓を作ろうが、何年たっても、私自身は、“よそ者” と呼ばれ続けると思うので、反論する気はありません。私自身、“よそ者” であることを卑下したことは一度もありません。(いろいろと気を使って下さる方々も周りにいらっしゃいますので、胸を張って “よそ者” だと言うことについては、申し訳ないという気持ちはあります…。)これからも “よそ者” であることのアドバンテージを最大限生かしていきたいと思います。

アドバンテージ
 じゃあ何が “よそ者” の優位性なのか?と問われると、これも答えに悩みます。一つは、地元の方にとっては、当たり前のことが、当たり前ではないということ。良いことも、悪いことも地元の人には見えない(感じない)部分が、見える(感じる)ということ。これをまちづくりにいかせませんか?(地元の方にとっては利用してみませんか?という感じですね。)もう一つは、地元では躊躇してしまうことにも、チャレンジできること。地元だったら、良いもの、悪いものどちらにしても、いろいろとしがらみがあるようです。そのしがらみが、チャレンジを躊躇させる方向に効いてくることが多いような気がします。チャレンジは、枠から飛び出すこと、またその覚悟を伴うものです。その結果、総スカンを食らうこともあるかもしれません。しがらみが気にならない(そもそもしがらみができない)ところを、捨て身でチャレンジできる “よそ者” を、まちづくりに利用しませんか?使い捨てでも良いので…。今回のブログは、とりとめもない話になってしまいましたが、この頃、議員任期が終わる “春” に想いを馳せているのです。

2016年10月11日

“街宣” 第3ラウンド終了【報告】

医師を募集している波賀診療所
宍粟市では、この連休に秋のお祭り、地域の運動会などが行われました。きっと、稲刈りが終わり、農閑期に入る前にはこうして、みんなで労をねぎらう風習があるのだと思います。かつて住んでいた新潟県の山あいの集落でも、運動会がありました。そこでは自治会単位で応援合戦があり、長距離走があり、ビールの一気飲みを含む障害物競走があり、夜は地区の公民館で慰労会、同じ谷にある造り酒屋からはお酒が運ばれ、なぜか救急車が公民館に何度もやってくる…そしてしばらくすると深い雪に覆われ、雪かき、雪下ろしのシーズンがやってきます。
良い風習だと思いますが、年々、その参加者は減っているのではないでしょうか?こうした風習が逆に若い世代の足かせになってしまったら勿体ない…。人口減に特効薬はないと言われますが、そもそも自分たちの地域の免疫力?に賭け、なんとかしたいものです。

街頭宣伝活動
 5月より思いつきで始めた “街宣” ですが、第3ラウンドを終了します。地域の行事の関係で、今回は回れなかった地域もありますが、市内11カ所で “街宣” を無事終えましたので、ここで原稿をアップしておきます。
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 今回、街頭演説は3回目となります。今、地方創生ということが盛んに言われてますが、そもそもこの地方創生、なぜ今になって盛んに言われるようになったのでしょうか?そのあたりのことについて、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。そして、宍粟市のまちづくりを評価していただきたいと思います。
 戦後、欧米に追いつけ追い越せという風潮の中、高速道路や鉄道をはじめ大型公共事業が地方でどんどん行われました。都会へのアクセスが良くなったこともあり、都会への人口移動が起こり、政治、経済、文化の集中が起こります。高度経済成長ってヤツです。次いでバブル景気というお祭り騒ぎがありました。その頃は、リゾート施設やゴルフ場などが地方にどんどんできていきます。その頃まで、地方は都会へ人や物のを送り出すという機能が求められました。
 バブル期、1985年、昭和60年の国勢調査では山崎、一宮、波賀、千種の4町を合わせて5万近くの人口がありました。中国自動車道が全面開通したのもその頃です。そのあたりからずーっと人口減という将来が見えていたはずです。30年経った現在、宍粟市の人口は4万人を切りました。30年で約1万人、この1万人という数字、これは現在の一宮町、また波賀町と千種町を合わせたほどの人口です。このままじゃまずいなぁ〜という雰囲気は30年前からも漂っていたはずです。でも、いやいや経済は右肩上がりで成長するはずだ、人口も減りはしないと人口減という将来を見て見ぬ振りしてきたのだと思います。
 鉄道がなく、道路網が整備されていないから発展しなかったのでしょうか?私は逆に人口減がこの程度でおさまっているのは、ある程度不便だったからだと考えるようにしています。不便というと聞こえが悪いですが、もの、施設など都会に当たり前に溢れているような既製品が身近にないということは、自分たちでそれに代わるもの、それに匹敵するものを創り出す力になるはずです。それが地域の文化であると思います。今、求められているのはその蓄積があったかどうかです。
 例えば、新幹線の駅なんかを誘致した際、便利になって人が定着する一方で、便利になったからすぐに戻ってこられるので、生活の拠点を別に持とうという層も一定程度でてきます。また、今までは一泊していた人たちが日帰りになり、滞在時間が減り、当然、そこで使うお金も減ります。大都市圏と隣接しているところでは、都市部は土地も高いし、自然が少ないし、通勤通学できる範囲で生活の拠点を構えるということで人口流入も含め、定住が進むと思います。今、東京と隣接する千葉、埼玉の都市はどんどん人口が増えています。しかし、東京から少し離れると新幹線の駅があるようなところでも人口減に悩まされています。ですから、いま建設が進められている中国道の山崎ジャンクション、これが吉と出て、通勤通学に便利になったからということで人が定着するのか?それともたつの市、相生市への人口流出が加速するのか?どちらだと思いますか?ちなみにたつの市も、相生市も人口は減少していますし、これまで宍粟市からの転出も一定程度あります。宍粟市と比べて、どちらの町が魅力的かで、これは決まってくるのではないでしょうか?地方創生は、なんとなく地方の小さな町が競争させられ、人を奪い合うような感じがします。
 地方創生と一緒によく言われるのが、人口流出をせき止める “ダム” という言葉です。この地方創生のきっかけとなったのは、首都圏への一極集中が地方消滅を招くという例の報告書です。その中で言われていたのが、首都圏への人口流入をせき止めるダム機能が地方に求められるという論理です。宍粟市も、消滅可能性が高い都市として名指しされ、地方創生という人口争奪競争に駆り出されました。そして、例に漏れず宍粟市の地方創生の計画の中には、このダム理論が登場します。第1のダムとして波賀、千種、一宮の市民局単位を想定し、第2のダムは、山崎です。波賀、千種、一宮の第1のダムで人口流出を抑えられなければ、第2のダムである山崎に人を留め、宍粟市からの人口流出を抑えようという計画です。もう一つ第3のダムとして、姫路市やたつの市を中心とした西はりま圏域までを想定しています。つまり、人も物の川の上流部から瀬戸内海に向かって南に流れているのです。でも、人口流出をせき止めるのは川をせき止めるのと勝手が違います。源流部ではどんどん少子化が進んでいますから、言葉は悪いですが、大きな水溜りのような状態です。そこから少しずつ流れ出ているような感じなので、近い将来、ここが干上がってしまうのは目に見えています。これが町が消滅するということです。
 宍粟市で言えば第1のダムをまず整備しなければならないはずです。しかし、今せっせと作っているのは第2と第3のダムです。先日、閉会した9月議会では平成27年度の決算が審査されましたが、真っ先に整備しなければならないはずの第1のダムについては、ほとんど議論に上がってきませんでした。出てくるのは第2と第3のダムの話ばかりです。私の感覚では、私が議員になってから、宍粟市は、第2のダムも通り越して、第3のダム作りに熱心になってきたような気がします。姫路市、たつの市との連携強化です。これがどういうことを招くか?第1のダムが整備される前に、一宮、波賀、千種は干上がってしまうということ、その前に第2のダムができれば辛うじて宍粟市の人口流出は山崎で止まるかもしれませんが、結果としては、第3のダムである姫路市、たつの市の人口減が緩やかになる程度でしょう。国は地方分権、市町村合併を推進する際、目標を全国の市町村を3,000から1,000程度にしようとしていました。またその規模は人口でいえば20万人前後、この規模が都市の運営としては、効率的であるという論理もそこには潜んでいます。兵庫県はおそらく、東側で神戸市を中心とした都市圏、西側で姫路市を中心とした大都市圏に収斂されていくと考えられます。そうなった時、宍粟市はどうなっているのでしょう。国が予測したように消滅してしまっているのでしょうか?本当にそれで良いのでしょうか?
 宍粟市は国や県の交付金、補助金、また借金に頼っている部分が大きく、年間予算の約7割はこうした依存財源です。国からの仕送りが減って困っている、県が面倒見てくれないから事業ができないというフレーズがよく登場しますが、これは中央集権に慣れきっている、国や県に頼りきっていることを表しています。宍粟市は、自分たちで判断することを避け、国や県に判断自体を投げています。住民は市町村よりさらに下層に位置されるので、住民は「こうしたい」という判断もさせてもらえません。また、判断材料すら与えられないままお上の言うことに従わざるをえない状況が続いています。求めていない政策が進められ、求めている政策は進まない。みなさん、それに気がついているのではないですか?
 これから合併という国策に応じたということで、ある程度優遇されていた地方交付税は人口減も手伝って、どんどん減っていきます。また、有利な起債、借金しても7割は国が返してくれるもんねーと、安易にどしどし使っている合併特例債も使えなくなります。その前に、税金の使い方を根本的に変えていかなければなりませんが、その兆候すら見られないのが今の宍粟市です。別に財政難ではないのです。今の使い方では、地方交付税の優遇措置が終わり、合併特例債の発行が出来なくなる時点でのショックに耐えられないと思います。政治に関わる者の、今がよければそれでいい、将来のことなんか知ったことではない、次の選挙に通ればそれでいいという考えがその背景にあります。そのタイミングは合併から15年後の2020年、平成32年にやってきます。次の市長任期、議員任期が終わるのとほぼ同時です。今、市政の中心になっている市役所の部長さんや、課長さんが退職する頃でしょうか?ここを睨んで今、財政構造を変えておかないと一気に町は崩壊していきます。その危機感が市長をはじめとする行政、議会にあるとお思いでしょうか?
 選挙で市長、議員を選ぶということはみなさんから税金を集める権利、みなさんのお金である税金を使う権利をその人に与えるということです。これからどんな町を作っていくか?作っていきたいのか?ここがとても重要です!どんな町を次世代にバトンタッチしていきたいのか?皆さんの声をもっともっとお聞きしたいと思います。ぜひ、その声を届けていただきたいと思います。どうか「どうせ言っても無駄…」なんてことは思わないでいただきたい。声を上げることをあきらめないでいただきたいと思います。誰に投票したって一緒、また投票に行かないということは、将来に対する責任を放棄したことになります。これからもこのような形で市内のあちこちに出かけて、宍粟市の将来を一緒に考えていきたいと思っています。
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 第3ラウンドが終わりましたので、第4ラウンドをしながら、1〜3までの原稿をまとめて、ロングバージョンとし、これまで回れなかった地域、普段はなかなか回れない地域に出かけようと思います。

医師を募集しています
 今回、紹介した画像は、国民健康保険波賀診療所(Googleストリートビュー)です。常勤のお医者さんが退職され今は、非常勤医師による診察となっていますが、それも11月上旬までのようです。その後のことは聞いていません。(「9月から週2日の診察になる」という情報しか聞いていません。議会に一言この状況を伝えていただきたかったものです…。まぁ議会の扱いなんてそんなものです。これって市がこの地域を軽く扱っていることと同じことです。ホームページにこそっと書いてありますが、その情報にたどり着ける地域住民がどれだけいるでしょうか?)医師募集は、継続されていると思いますので、ここからもお願いをしておきます。過疎化、少子高齢化が進む波賀地域を医療面から支援していただけるお医者さんを探しています。住み慣れた地域で安心して暮らしていきたいという住民の願いをご理解いただき、良いお医者さんがこの地域に来ていただけることを
願っています。ここを利用される方のニーズは、多岐にわたります。できれば総合診療医の先生に来ていただけると良いのですが…。【医師募集に関する市からの情報

2016年10月8日

本当に大丈夫?【雑談】

宍粟市では、秋も深まり、朝晩は涼しいを通り越して寒いと感じるようになりました。今まで事務所(自宅の一室…)で、仮眠をするときは、夏用シュラフで事足りたのですが、そろそろ冬山登山用のシュラフが登場しそうです。この前、修士論文でバタバタしていた時には、そのシュラフを使っていましたが、あれから半年以上が経過したことになります。ということは、議員任期も…来年5月までおよそ7ヶ月です。議員任期4年間、48ヶ月のうち85%以上がすでに終わったことになります。今回の画像は、小学校での “読み聞かせ” で読んだ、絵本です。いつか忘れましたが、本屋さんでぼーっと眺めていた時、「絵も文もなかなか良いな…」、「そう言えば今年は、読み聞かせにチャレンジするんだった…」と思い出し、買っておいた絵本です。『ライフタイム』というタイトルですが、日本語では生涯、一生、寿命あたりが該当するでしょうか?そして、このお話の背景には、“平均” という概念が横たわっています。

寿命
 “寿命” と言うことで思い出したことがあります。今日のニュースで、過労死のことが話題になっていました。ある広告代理店に勤めていた当時24歳の女性が、入社して1年経たないクリスマスの日に自死を選んだこと、そして、最長月130時間の残業などによる過労死として労災認定されたことが報道されました。まずはご冥福をお祈りすることしかできませんが、ご遺族がおっしゃっていたように「命より大切な仕事はありません。過労死が繰り返されないように強く希望します。」同感です。現在、日本人女性の平均寿命は87.05歳、男性が80.79歳(いずれも2015年)です。住むところによって、気候、食生活などの生活環境、医療や福祉などの文化水準などの違いが、平均寿命の長短に影響をあたえます。過労死が認められた女性は、24歳/87.05歳、人生の3分の1を終えないで、自ら死を選んだということです。介護が必要だったり、日常生活に支障が出る病気にかかったりする期間を除き、自立して過ごせる期間、いわゆる “健康寿命” は、日本人男性が71.11歳、女性が75.56歳(いずれも2015年)と報告されています。24歳/75.56歳、健康寿命から言っても3分の1です。ちなみに兵庫県、また宍粟市は、平均寿命、健康寿命ともに全国平均を下回っていたと記憶しています。都道府県別で言えば、脳卒中による死亡率ワースト1位だった長野県が、今は男女ともに長寿日本一です。寒冷地で新鮮な野菜の代わりに野沢菜などの漬物を食べる=塩分が高い、海から遠いので魚が入手しにくい=タンパク質不足、冬は雪が多い=運動不足…確かに、今盛んに言われている “健康” とは、遠い生活をしてきていたのは確かです。でも、長野県が長寿日本一になったのには、住民を、また地域をしっかりと見つめてきた “自治体” の努力があったことは言うまでもありません。

時間外勤務
 また平成27年度決算の話に戻りますが、決算審査の中で市役所職員の時間外手当のことを質問しました。平成27年度の時間外勤務手当、最高支給額は270万円、時間で言えば年904時間…年904時間を単純に12で割れば、月75時間以上の超過勤務、月20日勤務として、1日3.8時間です。出勤している日は毎日、夜9時頃まで仕事をしていることになります。これは平均ですので、コンスタントに月75時間の超過勤務であるはずはないので、それより多い月、少ない月があることは容易に想定できます。
 “過労死” として、労災認定される基準は、月に80時間(月に20日出勤とすると、1日4時間以上の残業・12時間労働)とされています。この月80時間というのは、健康障害の発症2~6ヶ月間で平均80時間を超える時間外労働をしている場合、健康障害と長時間労働の因果関係を認めやすいという目安だそうです。一般的には6カ月を平均して45時間を超える時間外労働が行われた場合、健康障害と業務との関連性は強まっていき、これを超えて時間外労働時間が長くなるにつれて、その因果関係はより強まっていくとされています。
 この904時間、月平均75時間超…中身はよくわかりません。タイムカードを押さず、ぼーっとして過ごしていたのかもしれませんし、日中の勤務を相当効率よくこなしてもなお時間が足りなかったのかもしれませんし、同じ部署の職員で手分けしても時間内には終えないほどの仕事があったのかもしれません。もしかしたら、仲間は退勤後の時間、また余暇を思い切り満喫している影で、一人仕事を押し付けられていたのかもしれません。一度、26年度だったと思いますが、一般質問で同様の質問をしたことがあります。その時より最高支給額、最長時間は増えています。“悪化” していると考えて差し支えないでしょう。管理職は、この辺りの調整も含めて管理職なのでは?時間外勤務手当の総支給額は、平成27年度で1億8,379万円です。管理職手当の総支給額は1億480万円です。給料など全て合わせると、54億9,870万円…。ちなみに市税は46億5,902万円ですが、職員の給与や手当などが市税を大幅に上回っていても「そんなこと知ったことではない」でしょうか?

2016年10月7日

平成27年度決算を終えて【報告】

 
穏やかな朝…波賀小学校から町を望む
宍粟市議会定例会(9月議会)も、9月30日に平成27年度決算を認定して閉会しました。一般質問については、ちらっとこのブログでも取り上げていますが、11月中旬に配布される “議会だよりvol.45” をご覧ください。私は、平成27年度決算すべてを認定(賛成)させていただきました。そして、一般会計決算の認定について “賛成討論” もさせていただいたので、まずはその原稿をアップしておきます。
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 第93号議案「平成27年度宍粟市一般会計歳入歳出決算の認定について」賛成の立場で討論させていただきます。
 平成27年度の一般会計においては、前年度と比較すると歳入で、約10億9,100万円、歳出で、約10億2,300万円の増加となっています。
 歳入の内訳を見たとき、市税などの自主財源は相当な目減りをしているものの、消費税増税による税交付金の増、2億1,800万円や、県支出金の増、1億2,800万円など依存財源が歳入増の主な要因となっていることは、見過ごすことはできません。
 そして、市債の発行額は、平成25年以降あがり続け、27年度においては約34億7,500万円で、平成26年度よりも6億3,200万円の増となっています。自主財源ではなく、文字通り、依存財源に頼った財政運営、特に市債の発行を増やすことで、歳入が増えているように見せかけているような状態です。
 歳出においては、農林業や商工業の振興、地域振興に係る費用、特に市民の自主的主体的な活動に開かれているはずの助成金の執行率が悪かったり、そこの歳出が減っていたりしています。決算状況からは、地方創生、市民の参画と市民との協働によるまちづくりが進んでいるとは到底考えられません。
 主な事業について、具体的な目標や成果を測る指標が用意されていないことは、これまでの決算と同様です。
 また、具体的な目標を掲げているにも関わらずそれを達成できていない、または決算時に当初の目標との対比を報告していない事業があることもこれまでと同様です。当初予算から増額補正しているにも関わらず、決算額、事業量、数値目標が当初の予定を下回っている事業も散見されます。
 何度も申し上げている通り、事業の成果や税投入の効果をどのように測って執行状況を確認していくのか、最終的にどのような指標で評価をするのかを示す、また進捗状況をチェックできるような物差しを用意するのは、執行部の責任でもありますが、議決機関である議会の責任も大きいと考えます。ただし、24年度決算に始まり、28年度当初予算の審議の中で、議会から同じような指摘を何度繰り返しても、改善が見られない状況を鑑みると、決算を認定しようがしなかろうが、住民自治の側にいる議会の意見、提言は今後も市政に反映されることはないと考えます。
 それでも、当初予算、補正予算の審議過程、また1年間を通して委員会などで事業の進捗状況のチェックや評価をする過程で、具体的な目標や成果を測る指標を議会が用意できなかった以上、決算は認めざるを得ないと考えます。以上、平成27年度一般会計歳入歳出決算の認定についての賛成討論とさせていただきます。
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 これで賛成?と思われる方が大半だと思いますが、私が4年弱の議員生活で感じていることは、議会も行政も “末期症状” だということです。いくら言っても改善されない、議会も行政も住民を、地域を見ていない。つまり支援すべきところが見えていない…。どこかの力(票?)のある方々の顔色だけを伺い、自己保身(または「頑張ってやっています」というアピール?アリバイ作り?)のために税金をどんどん使っているだけです。こんな町に若者が定着するはずがありません。それは、この町に未来がないことと同じことです。決算同様、認めたくはありませんが、認めざるをえない現実だと思います。ただし、あきらめたわけではありません。本当にそれで良いのか?というのは別の議論として、任期が終わるまでは、しっかりと訴えていきます。