2015年9月25日

きっと取るに足りないこと【雑談】

 宍粟市では、稲刈りもだいぶ進んだようです。品種の違いでしょうか?まだ田んぼを黄金色に彩っている稲もあります。米作り…古来から脈々と継承されてきた作業でしょうが、もう単なる農作業ではなく、“文化” にまで昇華している感があります。私は田畑を所有しておりませんので、この時期の風物詩として眺めているだけですが…。米作りをはじめ、農林漁業には表に見えない大変なご苦労があるかと思います。これからも日本人の食文化を支えていただきたいと思います。いやいや日本に限らず、和食(日本人の伝統的な食文化)は、ユネスコ無形文化遺産に登録されましたので、世界の食文化を支えていただきたいと思います。

決算委員会
 宍粟市議会では、平成26年度の決算審査がほぼ終了しました。宍粟市では、当初予算、補正予算、決算は議長を除く全議員が所属する “予算決算常任委員会” が一旦審査負託を受ける形を取っています。そして、当初予算と決算は、議員の半数が所属する小委員会で、補正予算は総務文教、民生生活、産業建設の各常任委員会が調査をすることとなります。このあたりの方法は、自治体によって様々です。その都度、予算決算特別委員会を作り、当初予算と決算を審査するところもあれば、常任委員会が当初予算、補正予算、決算の関係部分を分かれて調査するところもあります。どこの自治体議会(議員)にも税金の使い方、使われ方をチェックし、必要であれば修正するという機能が備わっています。(ただし、その機能を十分に発揮しているかどうかは別の問題ですが…。)
 今回の決算では、小委員会のメンバーではなかったので外から決算委員会を見てみました。例えばある事業が5回予定されていて、その予算が500万円だったとしましょう。その年度が終わったら実施されたのは3回、予算が200万円あまった…これをどう評価するか?ある人は、①「節約して200万円余ったのだからそれを何か別の事業に使えば良い。」と考え、またある人は、②「5回予定していたのに3回しかできていないのはダメだ。」と考え、またまたある人は、③「5回500万円で予定していた “成果” が、3回300万円で出せたなら価値がある。」と考える。一つの事業を “評価” するのにどれも間違っているとは思いません。ただ、私自身の考えとしては “評価” として③の視点が最重要だと考えます。今回の決算でこの③の視点で審査をしている様子は皆無とは言いませんが、なかなか見られませんでした。そもそも計画(予算)の段階で “成果” をどう測るか?が決められていないので、この事業の “成果” は?と問われても、「◯◯を何回実施しました。そこに△△人が参加しました。」という答えしか返ってきませんし…。地方自治法第2条の14『地方公共団体は、その事務を処理するにあたっては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。』ですって…。議会って本当に必要なのでしょうか?私も含め、みんなで収める “税金” の使われ方として、不公平がないか?一部に負担が偏っていないか?一部の利益になっていないか?真に援助を必要としているところに手が差し伸べられているのか?そこをチェック、改善できるのは “議会” なのですが…。また “政治” の役割でもあるはずなのですが…。

議員としての “成果”
 市議会議員になって3年目…このブログも同じだけの期間続けてきました。記事にして260回ほど更新しました。それに対してページビューが43,000程度 …。会報も7号まで発行しました。2号目以降は市内に13,000〜14,000部配布しています。個人の報告会を15回ほど行いました。もちろん、一般質問は毎回行っていますし、質疑や討論にもできる限り立つようにしています。公式の議会だより、議会報告会、政務活動(会派の視察、報告書、報告会)。インプットとしての読書、研修、視察、傍聴、来賓参加、ネット検索…言葉にしたり文章にしたりする前の思考などなど…結構な時間と費用を使ってきましたが、なかなか “成果” が出ていません。地方自治法第2条が胸に突き刺さります。また、毎月いただいている報酬の分の “成果” が出ているのか?、いただいた1139票の期待に応えられているのか?についても考えさせられます。いろいろな場面で発する言葉、書いたり読み上げたりする文章、主張などなどどこまで届いているのか?どこまで響いているのか?費用対効果を考えると、それはそれは悲惨な状況です。頭痛くなります…。きっと何もしていない、ただ議席に座っているだけ、せっせと口利きしているだけのように見える “議員” の方々のほうが費用対効果は高いのではないか?とさえ思ってしまいます。信念に基づいてやればやるだけ疲弊する、報われない議員という仕事…。

徒労感
 きっとこの感覚を “徒労感” というのでしょう。辞書には『行いなどが無駄になり馬鹿馬鹿しい気持ちのこと、または頑張った結果などが報われないで疲れだけが残ったような感覚のこと。』と書かれていました。まさにこれですね…。長年この報われない議員という仕事についていらっしゃる=崇高な使命感に基づいて行動されている大先輩から見たら、私の姿、行動、言説なんかはまだまだ努力が足りない、軽い、薄っぺらいと映っているでしょう。「議会のイロハもわからないで…」とか「議員とは、議会とはこういうものだ」とか「これまでの経緯も知らないで軽々しい」などなどいろいろな場面でダイレクトに指摘されていますので、もちろん自覚しています。長年この地に住んでおられる住民から見ても同等でしょうね。私は地方分権の流れで、地方議会の役割、権限は増大していると思っていました。市町村合併で広域になった “まち” では特に議会の役割、権限は増大しているはずだと思っていました。しかし、広域になり住民から行政が遠くなることによって、議員はこれまで以上に口利きをすることを求められてはいないでしょうか?住民もこれまで役場に直接持ち込んでいた相談事などを、議員を通じて行うようになっていませんか?議員も本当に “まち” を良くするために行動するのではなく、選挙の恩返し、次の選挙で票につながること、一部への利益誘導にしか目が行かなくなっているように思えます。もしかしたら議会を欠席してまでそちらに重心を置いている議員がいてもおかしくありません。本来は議員自身が処理しなければいけないこと、例えば一般質問、例えば報告書の作成…これを市の職員にやらせる何てことが起こってもおかしくない状況です。(実際にしてるかどうかは知りません…。)それでも選挙では議席を得ているので、有権者もそれを望んでいるのかもしれません。私の主張なんかは、市民の反応を見る限り “取るに足りないこと” なのでしょう。

 明日、9月26日(土)は、19:00〜 旧道谷小学校体育館で『出前広聴カフェ!』を行います。先週は参加者2名…13000部配布した会報7号、そこで今回の広聴カフェの告知をさせていただいているので、2÷13000=0.015%…目を覆う状況ですね。徒労感…。

2015年9月14日

よそ者でいることの意味【雑談】

 
宍粟市では今日、中学校の体育祭が行われました。今年は来賓ではなく、保護者として参加させていただきました。私の子どもの同級生、引っ越してきて5年でずいぶん成長しました。そんな姿を見るのもおっさんにとっては楽しいことです。(勝手に楽しませてください…)来週の日曜日は小学校の運動会…。今日みたいに良い天気に恵まれるといいですね。今年は、波賀町内の小学校が統合されて初めての運動会。何校も来賓としてはしごすることはなくなります。自分の子どもの出番をみられないってこともなくなります。今年も保護者として参加するつもりです。これくらいのわがままは許されますよね?

人がどこかに住むということ
 最近、消滅可能性自治体、人口減対策、地域おこし協力隊、移民・難民の受け入れ、3か月以上の居住実態がないことによる市議会議員の当選無効…などなど、人がどこに住むのか?ってことに関わる話題が多い気がします。(というか勝手に気になっているのかもしれませんね…)日本国憲法22条には、『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。』と書かれています。居住移転の自由とは、自己の欲する所に住所または居所を定め、移転し、自己の意思に反して居住地を移されることのない自由だそうです。でも自然災害や原子力災害で、ここに住みたいけど住めない…って人もたくさんいます。また、移住してきたけれど私生活への干渉、監視がきついって感じてまたどこかに移る…って人もたくさんいます。逆に他の場所に移りたくてもいろいろな理由で移れない人もたくさんいます。“権利” として認められていてもそれを行使できるかどうかは別の問題ですね。また移り住んできた人は “権利” を行使しているだけ、状況的に受け入れる側に立った人は拒否する “権利” は認められていないのです。
 私は生まれた時の住所からすると恐らく10回以上、住所を変えています。引っ越してきて3年迄を “移住”、5年たったら “定住”、10年たてば “永住” って言うみたいです。だから何って話ですが、10年経たないとその地域の住民としては認めないって明言している地域があります。私が学生の頃訪ねた沖縄の離島はその決まりは徹底していましたし、かつて住んでいた山あいの集落でも、10年経たないと土地は買えないし、水利権みたいなものも認められないと記憶しています。別にその考えを否定する気はありません。それによってコミュニティが維持されてきたことも事実だと思います。1年でも「いいところだ〜ずっとここにいたいなぁ…」となるところもあれば、何年住んでいても「いつかはここから引っ越したい!」となるところもあります。当然、相性ってものがあると思います。引っ越してくる側の “謙虚さ” も、受け入れる側の “おおらかさ” もどちらも必要なのだと思います。

移住者へのプレッシャー 
 よそ者である私には常に “謙虚さ” が求められます。それはそれは相当なプレッシャーです。議員としても移住者だし、新人だし…ちょっとしたことで 「そんなことも知らないの?」、「引っ越してきて間もないから仕方ないか?」、「これまでもずーっとそうだったのに…」、 「だからよそ者は…」って言われます。これは年齢、居住年数というどう頑張っても越えられない壁を盾にその者を排除する、慣例に対する服従を迫るくらいの勢いでやってきます。そして、 “周りが悪い” っていう論理は移住者としては否定せざるをえません。(言い換えれば、許されないのです。)きっと自分に責任があるはず…、言い方がまずかったかな…と考えるようにしています。
 “郷に入れば郷に従え” その土地やその環境に入ったならば、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方?でも、そこでの習慣ややり方が全て正しいのでしょうか?そして議会に目をやると…議員としての経験年数が多い人の論理、慣習が全て正しいのでしょうか?と思ってしまいます。

よそ者でいることの意味
 私はあえて意識としての “よそ者” を貫きます。たとえ10年以上住んでいたとしても、気持ちの面では常に “よそ者” でありたいということです。議員としてはその方が良いと考えています。自分には知らないことが多い=必然的に知る努力をする…議員として常に勉強を怠らないという決意です。もちろん、このスタンス自体が「上から目線で嫌な感じだよね〜」とか「自分で壁を作ってとっつきにくいよね〜」とか、受け入れらない人も多くいるでしょう。それでも良いのです。だってわたしは、“しがらみ” でがんじがらめの状況がこのまちにとって良い方向に作用していないと思っているのですから…。以前、ある人(高校生だったかな?)が「私は一旦、よそに行きたい。世間を知ってる人たちと交流したい。」って言っていました。それを聞いた時、とてもショックでした。そのひとにとって周りの人は世間知らずだと見えているのです。自分はそうはなりたくないという決意にも聞こえました。なかなか厳しい指摘…みなさんはどう考えますか?

2015年9月11日

9月議会途中経過【速報】

 
宍粟市の今日は、写真のように素晴らしい天候ですが、全国に目を向ければ記録的な大雨による影響が各地で出ています。特に関東・東北地方では洪水などによる被害も出ています。くれぐれも気をつけていただき、これ以上被害が大きくならないことを祈っています。被害に遭われた方々が1日も早く、日常を取り戻せることを祈っています。やはりこういう時には、日頃の備え、情報提供、避難、救助、復旧・復興…自衛隊や海保、消防、気象庁など行政機関などが頼りになります。(実態はどうであれ頼りにしますよね…)自助、共助はとても大切ですが、公的援助が来るまで一時的なもの…と考えていないと挫けてしまいます。そして、大きな意味での “共助” 市民の力…鬼怒川の堤防が決壊して氾濫し、濁流が住宅地に流れ込んだ茨城県常総市の社会福祉協議会が、復旧活動を支援するための災害ボランティアセンターを設置するとのことです。自分自身、何ができるか考えます。

9月議会途中経過
 9月議会、平成26年度決算以外の議案審議がほぼ終わりました。マイナンバー制度に伴う条例改正、第三セクターの統合に伴う指定管理者の変更、老人福祉センターのトイレ新設に伴う過疎自立計画の変更、平成27年度の補正予算などが昨日10日の本会議で可決されました。私の所属する会派は、平成27年度一般会計補正予算に対する修正案を提出しました。全体の補正予算から、老人福祉センターへのトイレ新設に伴う工事費等1,350万円と第三セクターへの貸付金制度創設に伴う3,000万円の執行を “一時停止” すべきと考えての修正でした。提案理由の説明というのがありましたので、その原稿をちょっと修正して、ここに掲載させていただきます。6 :11で思い切り否決されたので、修正の意図、考え方だけ知っていただければと思います。皆さんはどうお考えでしょうか?(第三セクターへの貸付金については、引き続き情報収集をしていきたいと考えています。) 

修正案の提案理由
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 第70号議案 平成27年度宍粟市一般会計補正予算(第2号)に対する修正動議について、地方自治法第115条の3及び会議規則第17条の規定により、別紙修正案を賛同者3名とともに提出します。

 今回の修正では、歳入で、老人福祉センターのトイレ新設に伴う新たな市債、過疎対策事業債1,350万円を削除し、歳出では、その過疎債を使う予定の老人福祉センター改修設計監理料150万円、同じく老人福祉センター便所新設工事費1,200万円を削除します。また、歳出の観光振興費から第三セクター運営資金貸付金の3,000万円を削除し、同額を財政調整基金に積み立てることとします。

 老人福祉センターについては、条例等に定められている設置目的とそれに伴う事業がほとんど行われていません。今回のトイレ新設工事は、現在、葬祭場としての利用が多い老人福祉センターの「葬祭場としての利便性を高めるための工事」であり、利用料金も含めた老人福祉センターのあり方を再検討してから計画的に整備をしたほうが良いのではないかと考えての減額です。また、財源として予定されている過疎債の目的、老人福祉計画などと照らし合わせても再考するべきものと考えます。

 次に第三セクターへの貸付金ですが、保証人不要、無担保で制度設計されています。つまり、宍粟市が2分の1以上出資する第三セクターの債務を間接的に保証する形になります。審査に関しても、内部で行うことになります。この制度では(あってはならないことですが…)もし貸付金が回収できない事態に陥ったとき、誰も責任を取れない、取らなくても良いことになります。また、融資要綱もできたばかりで、間接的にせよ自治体が債務を保証することが許されるという法的根拠が示されていません。これでは住民監査請求の対象になる可能性があるのか、ないのかの判断もつきません。

 予算決算常任委員会、また各分科会での審査の過程で、この老人福祉センターの改修と第三セクターへの貸付金の2件については、それらを肯定する意見がほとんどなく、行政側からの説明の中で適正な支出だと判断できる根拠がないため、再度、計画からやり直すべきだと判断しました。ただ、補正予算全体を否定するものではありませんので、この支出根拠が不明確、判断材料が乏しいものの補正は、市政への信頼が揺らいでいる現在の状況も合わせて考えると、慎重に行うべきだと考えます。この補正による便益を予定、期待していた市民の方々には申し訳ありませんが、修正案を提出させていただきました。
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最後に…
 現在、ちょっとした “自己嫌悪” …。目の前をうろつくハエが鬱陶しいので、叩き落とそうとしたら自分の顔を叩いてしまった程度のものです。次からはそのハエを叩き落とそうとせず、「ホント鬱陶しいんだよね〜どっかに行ってくれると嬉しいんだけど…これ以上、目の前をうろうろするんだったら叩き潰しちゃうよ〜」と心の中で念じようと思います。それが理性的な大人の対応ってやつでしょうか?こんなこと書いても皆さんには何のことかわかりませんよね?最近、身の回りで起こったチョットした出来事の報告でした。

2015年9月7日

9月議会【速報】

 宍粟市は9月に入り、季節が一気に変わり深秋…。昨日は「寒いっ」って感じでした。9月議会が先月の31日より始まりました。おおまかな日程(※で私の動きも…)を紹介しておきます。議会は(いろいろな意見、批判はあると思いますが…)重要なことが審議され、決定していく “場” であり、民主主義を支える “仕組み” です。特に市町村議会では、住民にとってより身近な問題が審議、決定されます。議員が住民の側に立って活動しているのか?にも関心を寄せていただきたいと思います。もし自分が住む “まち” を変えたい、もっと良くしたい、子や孫の世代にとって素敵な “まち” をバトンタッチしたい思うならばなおさら…。

これまでの流れ
8月31日(月)
 議案上程と議案質疑、委員会付託 ※一般会計補正予算に対する質疑をしました。

常任委員会(補正予算についての分科会も行われました。) 
 9月2日(水) 民生生活常任委員会 
※3年目からここに所属しています。委員長なので委員会での “採決” には加わりません。
 9月3日(木) 産業建設常任委員会 
 9月4日(金) 総務文教常任委員会 

いつも思うこと… 
 議案質疑、委員会(分科会)で議論が集中したのは、一般会計の補正予算 でしょう。公共交通再編に伴う合併特例債1,230万円の追加(駐輪場の用地買収700万円と整備工事390万円、壁の取り壊しなどへの補助 が含まれます。論点はどれも事業者が負担すべきものでは?ということでした)。第3セクターの合併に伴う資本金3,000万円と貸付制度の創設に伴う3,000万円で観光振興費6,000万円が追加。老人福祉センターへのトイレ新設に伴う、過疎債1,350万円の追加(老人福祉センターのそもそもの役割は果たせているのか?公共施設の再編計画がない段階で施設整備をするの?などが主な論点です)。道路橋梁費、国や県の補助のアテが外れ、一般財源と地方債にそれを振り分け、それでも足りなくなって2,937万円の追加。どれも厳しい財政状況の “まち” の税金の使われ方として適切かどうか?皆さんはどう思われますか?また議員は納税者、市民の側に立って議論をしているでしょうか?だって前年度からの繰越金が約7億9,200万円あるんですよ。これまでの借金の返済に4億1,400万円…これは節約(より安く、より良いものを買ったり、提供したり…)した結果でしょうか?市民へのサービス向上や負担軽減に使うべきではなかったのか?って 私が考え、主張し、議論を持ちかけても…最終的には “多数決” で決まります。10日の採決を前にこんなこと書いたらまた先輩議員、大先生に叱られるかな?皆さんが選挙で決めた議員で構成される議会、その多数決=皆さんの意思ということになりますが、いかがですか?

今後の予定
9月8日(火) 代表質問 6会派代表
      予算決算常任委員会 ※民生生活分科会の報告をします。
9月9日(水) 一般質問 6名 ※6番目なので14時半〜15時頃…質問します。

9月10日(木) 
 4常任委員長報告・委員長報告への質疑・討論・採決
 ※民生生活常任委員会の報告をします。
 決算質疑・委員会付託 ※決算に対する質疑をします。

決算委員会(予算決算常任委員会の決算に関する小委員会) ※所属していません。 
 9月14日(月) 企画総務部、市民生活部
 9月15日(火) 教育委員会、産業部・農業委員会
 9月16日(水) 建設部、まちづくり推進部
 9月17日(木) 健康福祉部、総合病院、会計課、議会事務局

9月24日(木) 追加議案がなければ開催されません。
 決算委員長報告・討論・採決
 追加議案上程・議案質疑・委員会付託 
※17日に開札予定の千種B&Gプールの工事請負契約が追加で上がってくるかも?議案質疑するかもしれません。(一般質問でも “千種B&Gプール” の件は取り上げていますが…)

9月30日(水)
 追加議案の委員長報告と質疑・討論・採決

 写真は、今読んでいる本です。左:『片山善博の自治体自立塾』片山善博 著(日本経済新聞出版社)。右:『ええ、政治ですが、それが何か?』岡田憲治著(明石書店)です。どちらの本も、そもそも “政治” とか “議員” とかは何のために存在するのか?存在意義や本来の使命を考えさせられます。そして、自分の周りを見渡すと…とんでもない実態が浮き彫りになります。
 最後に印象的な部分を紹介しておきます。『政治は弱い者、声の小さい者のためにある。強い者は自分の力で先に進んでいくから放っておいてもいいが、弱い者は後を押してやらなければならない。強い者と弱い者がいたら迷わず弱い者の味方をせよ…』これは片山氏が官僚時代に大臣秘書官として仕えた梶山静六氏の政治信条として、紹介されています。鳥取県知事時代に議員による “口利き” をどう退治したか、公正さをどう担保しようとしたか…の流れの中で登場します。政治家が良く使う “是々非々” という言葉…こんな虚しい言葉は他に見当たりません。ということで9日の一般質問の準備に取り掛かります。