宍粟市では、稲刈りもだいぶ進んだようです。品種の違いでしょうか?まだ田んぼを黄金色に彩っている稲もあります。米作り…古来から脈々と継承されてきた作業でしょうが、もう単なる農作業ではなく、“文化” にまで昇華している感があります。私は田畑を所有しておりませんので、この時期の風物詩として眺めているだけですが…。米作りをはじめ、農林漁業には表に見えない大変なご苦労があるかと思います。これからも日本人の食文化を支えていただきたいと思います。いやいや日本に限らず、和食(日本人の伝統的な食文化)は、ユネスコ無形文化遺産に登録されましたので、世界の食文化を支えていただきたいと思います。
決算委員会
宍粟市議会では、平成26年度の決算審査がほぼ終了しました。宍粟市では、当初予算、補正予算、決算は議長を除く全議員が所属する “予算決算常任委員会” が一旦審査負託を受ける形を取っています。そして、当初予算と決算は、議員の半数が所属する小委員会で、補正予算は総務文教、民生生活、産業建設の各常任委員会が調査をすることとなります。このあたりの方法は、自治体によって様々です。その都度、予算決算特別委員会を作り、当初予算と決算を審査するところもあれば、常任委員会が当初予算、補正予算、決算の関係部分を分かれて調査するところもあります。どこの自治体議会(議員)にも税金の使い方、使われ方をチェックし、必要であれば修正するという機能が備わっています。(ただし、その機能を十分に発揮しているかどうかは別の問題ですが…。)
今回の決算では、小委員会のメンバーではなかったので外から決算委員会を見てみました。例えばある事業が5回予定されていて、その予算が500万円だったとしましょう。その年度が終わったら実施されたのは3回、予算が200万円あまった…これをどう評価するか?ある人は、①「節約して200万円余ったのだからそれを何か別の事業に使えば良い。」と考え、またある人は、②「5回予定していたのに3回しかできていないのはダメだ。」と考え、またまたある人は、③「5回500万円で予定していた “成果” が、3回300万円で出せたなら価値がある。」と考える。一つの事業を “評価” するのにどれも間違っているとは思いません。ただ、私自身の考えとしては “評価” として③の視点が最重要だと考えます。今回の決算でこの③の視点で審査をしている様子は皆無とは言いませんが、なかなか見られませんでした。そもそも計画(予算)の段階で “成果” をどう測るか?が決められていないので、この事業の “成果” は?と問われても、「◯◯を何回実施しました。そこに△△人が参加しました。」という答えしか返ってきませんし…。地方自治法第2条の14『地方公共団体は、その事務を処理するにあたっては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。』ですって…。議会って本当に必要なのでしょうか?私も含め、みんなで収める “税金” の使われ方として、不公平がないか?一部に負担が偏っていないか?一部の利益になっていないか?真に援助を必要としているところに手が差し伸べられているのか?そこをチェック、改善できるのは “議会” なのですが…。また “政治” の役割でもあるはずなのですが…。
議員としての “成果”
市議会議員になって3年目…このブログも同じだけの期間続けてきました。記事にして260回ほど更新しました。それに対してページビューが43,000程度 …。会報も7号まで発行しました。2号目以降は市内に13,000〜14,000部配布しています。個人の報告会を15回ほど行いました。もちろん、一般質問は毎回行っていますし、質疑や討論にもできる限り立つようにしています。公式の議会だより、議会報告会、政務活動(会派の視察、報告書、報告会)。インプットとしての読書、研修、視察、傍聴、来賓参加、ネット検索…言葉にしたり文章にしたりする前の思考などなど…結構な時間と費用を使ってきましたが、なかなか “成果” が出ていません。地方自治法第2条が胸に突き刺さります。また、毎月いただいている報酬の分の “成果” が出ているのか?、いただいた1139票の期待に応えられているのか?についても考えさせられます。いろいろな場面で発する言葉、書いたり読み上げたりする文章、主張などなどどこまで届いているのか?どこまで響いているのか?費用対効果を考えると、それはそれは悲惨な状況です。頭痛くなります…。きっと何もしていない、ただ議席に座っているだけ、せっせと口利きしているだけのように見える “議員” の方々のほうが費用対効果は高いのではないか?とさえ思ってしまいます。信念に基づいてやればやるだけ疲弊する、報われない議員という仕事…。
徒労感
きっとこの感覚を “徒労感” というのでしょう。辞書には『行いなどが無駄になり馬鹿馬鹿しい気持ちのこと、または頑張った結果などが報われないで疲れだけが残ったような感覚のこと。』と書かれていました。まさにこれですね…。長年この報われない議員という仕事についていらっしゃる=崇高な使命感に基づいて行動されている大先輩から見たら、私の姿、行動、言説なんかはまだまだ努力が足りない、軽い、薄っぺらいと映っているでしょう。「議会のイロハもわからないで…」とか「議員とは、議会とはこういうものだ」とか「これまでの経緯も知らないで軽々しい」などなどいろいろな場面でダイレクトに指摘されていますので、もちろん自覚しています。長年この地に住んでおられる住民から見ても同等でしょうね。私は地方分権の流れで、地方議会の役割、権限は増大していると思っていました。市町村合併で広域になった “まち” では特に議会の役割、権限は増大しているはずだと思っていました。しかし、広域になり住民から行政が遠くなることによって、議員はこれまで以上に口利きをすることを求められてはいないでしょうか?住民もこれまで役場に直接持ち込んでいた相談事などを、議員を通じて行うようになっていませんか?議員も本当に “まち” を良くするために行動するのではなく、選挙の恩返し、次の選挙で票につながること、一部への利益誘導にしか目が行かなくなっているように思えます。もしかしたら議会を欠席してまでそちらに重心を置いている議員がいてもおかしくありません。本来は議員自身が処理しなければいけないこと、例えば一般質問、例えば報告書の作成…これを市の職員にやらせる何てことが起こってもおかしくない状況です。(実際にしてるかどうかは知りません…。)それでも選挙では議席を得ているので、有権者もそれを望んでいるのかもしれません。私の主張なんかは、市民の反応を見る限り “取るに足りないこと” なのでしょう。
明日、9月26日(土)は、19:00〜 旧道谷小学校体育館で『出前広聴カフェ!』を行います。先週は参加者2名…13000部配布した会報7号、そこで今回の広聴カフェの告知をさせていただいているので、2÷13000=0.015%…目を覆う状況ですね。徒労感…。