2015年12月18日

12月議会閉会【速報】

 宍粟市も急に寒くなりました。昨年の今頃は確か…大雪だったのでは?今年も市内の2つのスキー場のシーズン券を買ったので、とにかくスキーをしたいっ!という思いですが、雪はまだまだです。これから年末年始、忘年会や故郷への帰省などお出かけをすることが多くなる季節です。しかし、移動のことを考えると大雪や路面の凍結などでリスクが高まる季節でもあります。なんか物騒な世の中ですが、みんなで素敵な2016年、平成28年を迎えたいものです。

お詫びと言い訳
昨年の12月19日…戸倉スキー場の山開き
このブログの更新が1ヶ月以上滞っておりました。この場を借りてお詫び申し上げます。(と言っても、そもそもそんなにこのブログが期待されているのか?ということは自分に問い続けます…。)この間、修士論文の作成が大詰めでして、そちらを優先させていただいていたというのが実際のところです。平成23年に40歳で入学した鳥取大学地域学部の大学院…。全く私の人生設計になかった42歳での市議会議員選挙への立候補…。研究のために議員になるのか?という批判も受けながら、2年の休学期間を使いきり、10月から復学し、修士論文までなんとか漕ぎ着けました。まだ書き終わったわけではないですし、書き終えられるメドが立ったわけでもありませんので希望的観測の域を脱していませんが、年明け早々には論文を提出して、なんとか修了したいわけです。他の大学院生とは違い、論文に専念できるかといったらそれは難しく、議員活動の優先順位としては低いこのブログを後回しにさせていただいています。年内にあと1回更新できれば良いかなぁ〜といった感じです。そちらについては提出後に改めて報告します。(テーマは『市町村合併が住民自治に与えた影響』です。事例として宍粟市を取り上げさせていただいています。)

12月議会閉会
 12月2日に始まった「第67回宍粟市議会定例会」は、本日18日に閉会しました。議員になって初めての定例会が平成25年6月の第53回でした。年4回の定例会としては11回目になります。今回の定例会では、マイナンバーがらみの条例改正、前年の決算を受けて事業量の見込みに合わせた補正予算など19議案が上程されました。その中で、住民票などの各種証明書が3月から全国のコンビニで発行されることに伴い、窓口での手数料とコンビニでの手数料に差を設ける(コンビニでの発行を100円安くする)条例の改正案がありましたが、それが “継続審査” になりました。また、老人福祉センターの使用料を値上げするための条例の改正案は “否決” されました。あまりピンとこないかもしれませんが、市が提案してきた議案が継続なり、否決なりされることはこれまでほとんどされてきていません。ほとんどの議案について、いろいろ意見があっても多数決で可決されることが普通です。(何を普通を言うかについても意見が分かれるところですが…)しかし、今回はそれなりの明確な根拠を持ったうえで議案が提出され、それをしっかりと説明できなければ、可決しないという議会本来の機能が発揮された画期的な出来事だと思います。予算の修正については、私が議員になってからこれまで3回(今回の一般会計補正予算にも修正案が提出されました。)全て否決になっていますので、根幹部分にはまだ議会本来の機能が発揮されていないといったら、その評価も甘んじて受け入れざるを得ない状況ではありますが…。とりあえず、一歩前進、本来の議会に少しだけ、ほんの少しだけ近づいたと思います。実はこの時期のこの決定は、来年度の予算編成に影響を与えます。金額的にはわずかかもしれませんが、市の歳入(予測)が増えたり、減ったりすることを意味しますので、もしかしたら予算編成に関わっている職員の方は忙しく、慌ただしい年末年始を迎えるのかもしれません。これを市政を停滞させるって考えている議員がいたら、それこそ議員としては失格ではないでしょうか?議会は制度的には住民の代表です。(この “制度的には” というところの行間を読み取っていただきたいですが…)その決定に従って、仕事をするのが執行機関の本来の役割ですし、 行政がその説明責任を果たせず、議会(=住民)を納得させられなかったというだけの単純な構図です。この決定、そして今の議会の評価については、主権者、有権者である市民にお任せします。…ということで、これから修論と格闘します。(ちょっとだけスピードアップしなければなりません。)

2015年11月13日

やっぱりやめた…【雑談】

 
先ほどアップしたブログに対して、匿名メールが来ました。どなたかわかりませんのでこの場を借りて…これまでは匿名メールに対しても律儀に返信していましたが、それはもう辞めます。いろいろとブログの内容や日々の議員活動を批判していただいて構いませんが、匿名ってところがフェアじゃないと思います。先ほどのブログで「退場しましょうか?」と書きましたが、ここまでコケにされ、人格まで否定されるようなメールを送りつけられる筋合いではありませんので、ギリギリまで議席にしがみついて行くとこまで行きますよ。発言の撤回、方針転換なんて、政治家の常套手段ですからね!

 まず、議会が何もしていないと思うのだったら、議員定数や議員報酬、政務活動費の削減を提案したらどうですか?というご意見に対して…。議員が多すぎる、議員報酬が高すぎるという意見の方々がどうしたら納得するのか?議員定数は何人で、議員報酬がいくらだったら納得するのか?そもそもその意見に呼応する必要があるのか?宍粟市議会で言えば、18名がそれぞれ報酬分の仕事をしていると胸を張って言える状況を作り出すことの方が重要だと思います。私は常にそのことを自問自答しています。はっきり言って現在の議員報酬は低いと思います。兼業前提だから今の議員報酬なのでしょうか?とは言っても、議員活動を優先していたら仕事が限られます。自営業?専業主婦?家賃収入や役員報酬が得られる方?退職金などのストックがある方?どこに基準を合わせたら良いのでしょうか?教えて欲しいです。選挙の時、「あいつは仕事をクビになったから選挙に出る。」「カネ目当てだ。」って言われましたが、別に仕事をクビになったわけではありませんし、カネ目当てで、選挙なんてリスクを負うほど余裕なんてありません…。

 文句ばっかりで、この市のために建設的な提言は一つもない、税金から給料もらって宍粟市のために何をしたのか?という意見に対して…。いろいろなところ、いろいろな手段で提言はさせていただいています。そして、その提言がもとで動いたであろうことが沢山ありますが、あの会派の提案とか、あの議員の提案とか、委員会の提案とかハッキリしないですね。「前々から私が提案していました!」とか「我が会派の提案で実現した!」とかいう人たちがいますが、そんなのどうやって証明します?それはそれがお好きな人たちに任せておいて、こちらはこちらで地道にやっていきます。明らかに私(または私たち会派)の提言からことが動いたと思っても、それをことさら強調する必要性を感じていないというのが本音です。勘違いしないで欲しいのは、どこかの政党のように子宮頸がんワクチンの接種を推進していたのに、副作用で若い子たちが苦しんでいても知らん顔みたいな無責任なことを言っているわけではありません。議決に対してはどんな結果であれ、議会全体で責任を負っています。議員それぞれがどう思っているかは知りませんが…。

 会報や市政報告会も原資は議員報酬だから税金の無駄だというのでしょうか?このブログも直接的な費用はかかっていませんが、議員がやることだから税金の無駄だということでしょうか?政務活動費を使った視察、会派の会報発行、資料購入などとんでもない無駄ですね。まぁ報酬や政務活動費分だけ市民に還元できていないという判断、宍粟市にとって必要ないという判断ならば次の選挙で落とすということで良いのかと思います。まぁ私の場合は次の選挙に出たらの話ですし、市議会議員の選挙で特定の誰かを落とすのって結構難しそうです。押し出すために地盤、看板、カバンが揃った立派な候補を擁立し、応援するか?それともご自身が出て、必要のない議員を押し出すかでしょうか?

何もしない、何もできない【議論】

宍粟市の紅葉は、北部から終わりを告げようとしています。南部の最上山では15日から “もみじ祭り” が開催されます。市外からもたくさんの方に来ていただきたいと思います。紅葉が終われば、宍粟市の北部からは雪の便りが届きます。スキー、スノーボードなどウィンタースポーツをされている方にとっては楽しいシーズンの始まりです。事故のないシーズンになれば良いなぁ…みなさん、気をつけましょうね。

何もしない
宍粟市議会では、議会報告会を開催しています。今年は、18名の議員が3班に分かれ、5日間計15会場で報告会(意見交換会)が行われています。残るは11月19日(木)の19:00〜 ①センター三方(一宮町三方町)②センターちくさ(千種町千草)③学遊館(山崎町東下野)となっています。これまでどの会場も参加者が少なく「議会には何の関心もないのだなぁ〜」、「そりゃ今の市議会に期待しろ、関心を持てという方が無理があるなぁ…」と思っています。これまでの3年間、議会報告会をやってきましたが、参加いただいた方からは「がっかりした…。」という感想しか聞かれませんでした。がしかし!最後のチャンス、是非とも多くの方に参加いただきたいと思います。議員の品定めでも構いませんし、まだちょっとでも期待をしていただいているなら、批判していただいても構いません。(…と私は思っていますが、今の議会に胸を張って住民と向き合えるだけの度量があるかどうか?それはわかりません。)これまで自治会に動員をお願いしていたこと、それに頼っていたことを痛感しています。それではいけませんね。
市議会って何もしない組織です。何かまちづくりに役立っていると思いますか?これまで市長から提案された議案で否決、修正された議案は実質0です。(幾つかはあったでしょうが、全体から見れば限りなく0に近い状態です。)再選を目指す議員が選挙の時「私の提案で〇〇が実現した!」って言いますが、本当にそうでしょうか?それが議員の役割でしょうか?市全体の状況を見極めて政策提言できるような力は議会にありません。住民に説明がなされていない大型事業に伴う借金や住民の声を無視した計画を容認するなど行政のチェック機能ですら発揮できていない議会が何かを提言するってことは本当に無責任な話です。議会報告会をしても人が集まらないのは、その空っぽさが市民に伝わっている証拠だと思います。(後援会などを持たない私が個人的に報告会をやっても来ていただけるわけないですね…。)

何もできない
議会は民主主義、二元代表制って言葉の意味を勘違いしています。私もこれっていう明確な意味を持ち得ているわけではありませんが、民主主義=多数決ではないことは明確に意識しています。法律、制度、歴史的経緯などを総合的に判断すればそれは明白です。本来ならば、議員には適切な判断をしてくれるはず…という期待が込められています。でも実際はどうでしょうか?ろくに議論もせず、常に市長提案に賛成する議員が大半です。これは常に行政のやっていること、やろうとしていることが正しいと言っていることを意味します。こんな状況なら議会は必要ありませんし、専制政治、独裁政治を許していることになります。そもそも議会は専制政治、独裁政治に対抗する住民側の手段であるはずです。特に地方自治においては二元代表制をとっているので専制政治、独裁政治に対抗する手段としての意味が大きい(チェックを怠れば専制政治、独裁政治に陥りやすい)のだと思います。民主主義とは、王様や貴族など一部の人たちによる政治ではなく、その国を構成している国民全員が主権者として政治に参加することをめざす思想ないし政体を指していることから、専制政治、独裁政治を許している議会は民主主義的ではないことになります。ところが、与党会派とか、野党会派とかわけのわからない主張が議員の中にあります。与党って市長応援団?野党って何でもかんでも反対する人たち?どっちにしても民主主義、二元代表制をわかっていません。国政の真似ごと?政治ごっこをすることで満足しているならば即刻退場願いたいと思います。よく匿名メールで、「お前なんか言うだけ番長だ」、「議員に報酬払うより、地元のボランティア団体の支援にまわしたほうが税金の使い方として有益だ」などとお叱りを受けております。発言だけは勇ましいが、行動・実績が伴わないって思われているなら、私も退場しましょうか?

2015年11月4日

行政と庶民【雑談】

 宍粟市では、秋も深まり “紅葉” または “黄葉” が真っ盛りです。本当に綺麗だと思います。紅葉スポットとして有名な宍粟市波賀町の “赤西渓谷” …全国のイベント&お出かけ情報が掲載されたwalker+では、“赤西渓谷”は、「紅葉の終わりには、落葉で赤く染まった川面を楽しめる森林浴にもぴったりの美しい渓谷。カエデの木が多く、秋は辺りを赤く彩り、紅葉の終わりには落葉が川面を赤く染める。ゆるやかな渓谷に沿った約10kmの林道が特に見どころで、ハイキングコースにもピッタリ。例年の見頃は11月上旬~11月中旬。心を満たす空気と景観で、音水渓谷とともに人気のあるスポットだ。」と紹介いただいています。多くの方に宍粟の自然を楽しんでいただきたいです。

お上の判断、都合が全て?
 例年の見頃は11月上旬~11月中旬…となっていますが、今年は11月上旬にはとっくに見頃を過ぎるらしいです。11月9日以降は、工事のため渓谷沿いの道への入口は閉鎖され、車での進入はできなくなりますが、見頃をとっくに過ぎているから何も問題ないそうです。(でも、15日には近くの「道の駅はが」で宍粟牛まつりが行われますので、その日だけは車での進入ができるそうです。支離滅裂です…。)
 同じようなことが春先にありました。同じくwalker+で桜の名所として紹介されていた宍粟市波賀町の音水湖(引原ダム)の桜が開花前に数本切られました。(このwalker+の中の写真に写っている桜の木です…。)これは新しい建物(音水湖は、カヌー競技場でもあるのでカヌー競技用の審判台などが必要だったようです。)を建てるために邪魔になったそうです。でも工事が始まったのは、切られずに残った桜が散ってからでした。だったら咲く前に切らなくても…それが普通の住民感情です。また、この桜はダムの下に沈んだ集落、移転を強いられた集落の住民が植えたものらしいのです。移植などの措置はできなかったのか?また、伐採後の桜をベンチや何かに活用できなかったのか?という疑問も残ります。
 普通に考えたら、疑問に感じることばかりです。もう一つ、山村留学をしていた小学校、全校生徒9名で昨年度末に廃校になってしまった小学校が波賀町にあります。廃校になった小学校などは、まず①市として活用の可能性を探り、市としては活用しないとなったら②地元で活用の可能性を探ってもらう、それでも可能性が見出せなかった場合、③企業への譲渡や貸付を含め活用を検討するということになっています。山村留学を実施していた小学校は現在②の地元が活用の可能性を探っている段階のはず…しかし、工場や事業所の移転先として市のホームページに紹介されています。もう③の段階に入ったのでしょうか?地元の合意は得られているのでしょうか?

そんなものは必要ない?
 別に良いのです…地元の合意なんて必要ないのです。いくら議会から地元の声を届けようとしても、届けたとしても…議会の役割は行政を停滞させないことだと本気で考えている議員が多い状況では、地元の合意が得られない=行政の停滞をまねくことになりますので、議員は住民の声を無視してでもさっさと進めろと行政に迫ることになります。とにかく議会は「行政が言っていることが常に正しい」というお墨付きを議決という形でしてきているわけですし、住民の言うことは取るに足らないこと、庶民はお上に従っていれば良いと本気で思っているみたいです。紅葉の問題も、桜の問題も、小学校の利活用の問題も全ては取るに足らないこと…なのでしょうか?確かにどれも過疎地域の問題、有権者の数も少ない…次の選挙でも大勢に影響ないと考えているのでしょう。封建社会…、お上と庶民は主従の関係…という古い体質から抜け出せる日は来るのでしょうか?

※ walker+(ウォーカープラス)は、『株式会社KADOKAWA』さんが運営する全国のイベント&お出かけ情報を紹介するwebサイトです。  

未来志向【議論】

 宍粟市では、11月2日から新しい公共交通の試験運行が始まりました。昨日は、文化の日ということで各地でお祭りや文化イベントが行われたようです。最近は雨も少し降って、清々しい秋が深まっています。

地方の実態
 今回のブログは、これからのまちづくりをどう考えていくか?に対する提案です。今、地方は国に対して「こんなまちづくりをしていきますのでお金をください。」という地域創生戦略づくりに右往左往しています。国はこれ以上、首都圏へ人口が一極集中することに危機感を抱いています。中央集権がこの人口一極集中を招き、地方が衰退していったことを反省し、地方分権、地域自立を目指す未来志向なのでしょうか?国が「自治体側が自主的に計画をつくり、国はそれを支援する。ただ、やる気のない自治体は支援しない」と言っているように、都道府県、市町村は「私たちはやる気があります、それを示すこんな計画を立てました、是非ともご支援を…」と言っているのです。ただ、国の補助金に頼って、用意されたメニューに従って仕事をすることに慣れきっている自治体ではこの流れに対応できる人材が育っていません。もちろん地方議会も同様です。いまだに地方交付税を親からの仕送りだと思っており、親に対してもっと仕送りしてと頼み込んでいる情けない姿が地方の姿です。制度的には、都道府県は国に仕事を返し、市町村に仕事を下ろす地方分権が1990年代の終わりから進んでいますが、自治体の姿勢、思考は全く成長していないのが実態です。市町村合併もあくまで自主的な合併と言っておきながら、合併せざるを得ない状況に追い込んだのは国です。そしてそれにのっかった都道府県です。合併後10年を経過して、合併して良かったという評価は全国的にもほとんど聞かれません。地域活性化御三家と呼ばれ、全国から視察の絶えない長野県小布施町、島根県海士町、徳島県神山町はいずれも平成の合併をしていません。このことからも合併すれば、地域が活性化するというは幻想だったことがわかります。

これから…
 大雑把に言って地域活性化で注目されている町は、“田舎” の捉え方が他の地域とは違います。田舎をネガティブ(negative)に捉えているのではなく、ポジティブ(positive)に捉えているように見えます。進められている政策も、行政・議会の考え方も、住民の意識も “positive” です。negativeとは、否定的、消極的…。positiveとは、肯定的、積極的…。私は、これからはP×P思考こそが未来志向の考え方、まちづくりの方向性だと思うのです。「私たちのまちは、田舎だからこそ〜が充実している」とか、「田舎だからこそ〜が安い」とか、Positive×Positiveで自分たちのまちを語れるようにしたいものです。Negative×Positive…田舎だけれども〜が充実しているとは、都会に対する憧れ?、対抗心?があり高度経済成長時代の古い考え方だと思います。(一部、逆手に取るという手法はありますが…)Negative×Negative…田舎だから〜が充実していないなどとなってしまったら、暗い未来しか待っていませんし、Positive×Negative…田舎なのに〜(本来なら充実していて当然のことが)充実していないも困ります。しかし、まちを見渡すと…田舎なのに大きな箱モノがたくさん立っている…。田舎なのに水道料金が高い…。田舎だから仕事がない…。田舎だから交通が不便…。P×P思考で動いているものがなかなか見つからないのです。ただ、一部の「田舎だから、自分の元に公金が入ってくる」という仕組みにどっぷり浸かった人たちにとってはP×P思考ですが…。
 田舎だから(少人数教育が実現でき)教育の質が高い、田舎だから(農作業や散歩など外で体を動かす機会があり)住民の健康志向が強い、田舎だから(豊かな自然環境が身近なので)環境産業が盛ん、田舎だから(政治と住民の距離が近く)自立したまちづくりができている…こんな感じでまちを語れるようになれば、人口減、過疎化、高齢化なんて恐れるに足らず。もちろん “消滅可能性” なんて気にしなくて良いのです。

阻害要因
 しかし、意思決定機関である議会は、田舎だから仕方がないとか、お金がないから仕方がないとネガティブな思考が蔓延しています。お金があるかどうかを表す財政力指数…財政力指数とは、主に税金からなる「基準財政収入額」を自治体の運営コストを示す「基準財政需要額」で割った数値で、1.0であれば、自治体の運営コストを税収でほぼ賄っている状態となります。1.0以上なら財政に余裕がある「金のある市町村」で、1.0を割り込むと「金のない市町村」と見なされ、国から「地方交付税交付金」を受け取ることになります。平成25年度で、全国平均が0.49で、宍粟市は0.36…先ほど挙げた地域活性化御三家の財政力指数は長野県小布施町が0.38、島根県海士町が0.09、徳島県神山町が0.22です。お金がないというのは言い訳になりません。全国の市町村(東京23区を含む)で財政力指数が1.0を上回るのは全体の約4%、残りの96%は1.0を下回っています。やはり使い方の問題なのです。P×P思考で「田舎だからこそ、ここに力を入れる」というところに積極的に税金を投入しなければいけません。でもNegative×Positive…田舎だけれども〜が充実しているってことを目指す高度経済成長時代の古い考え方が主流だと思います。その頃、第一線で活躍されていた方々が政治に関わっているので仕方ないかもしれませんが、本当にそれで良いのでしょうか?これからの地域は、発展よりも成熟を目指すべきだと思います。一億総活躍国民会議の民間議員に選ばれた菊池桃子さんの発言で注目された「社会の中で排除される人をつくらず、すべての人に活躍の機会があるという意味でソーシャルインクルージョン(社会的包容力)」があるまちも “成熟社会” の姿だと思いますし、ダイバーシティ(性別や年齢、国籍、障がいの有無、居住地域、家族構成など一人ひとりのもつ様々な属性のみならず、価値観や文化など目に見えないものも含む「多様性」という意味です。)が活かされたまちも “成熟社会” の姿だと思います。いずれも、戦後70年で、今までの日本的な価値観の転換が求められているのだと思います。議会に蔓延する同調圧力を見れば、その可能性は低いのですが…。人口動態ではなく、議会に蔓延する古い考え、同調圧力…そんな議会を抱えるまちが “消滅可能性自治体” なのではないでしょうか?

2015年10月29日

教育の危機【雑談】

宍粟市では一昨日、久しぶりに “雨” が降りました。カラッカラの秋に少し潤いが出ました。そして寒さが増し、いよいよ “冬” に向かっていきます。季節の変わり目です。みなさん風邪などひかぬようご注意ください。

ストレス…
 宍粟市は市制10周年…。先日もブログで書きましたが、次の10年のまちづくりのための第2次総合計画の策定作業が大詰めです。そして、国から求められている地方版総合戦略の策定作業も同様です。そして総合計画、総合戦略に対する議会意見の取りまとめもほぼ終わりました。総合計画への議会意見の提出は、10月中旬に終わりました。これからは委員会での協議になります。昨日は創生戦略への議会意見取りまとめのための議員協議会がありました。先週の22日に開催が通知されたこともあり、18名中4名が欠席する事態…。市民の方は知らないかもしれませんが、議員の本会議や委員会の欠席ってとっても緩い規定で決められています。宍粟市議会の場合、申し合わせで欠席・遅刻・早退の理由として『①本人の傷病、②親族の冠婚葬祭、③隣保の葬式、これ以外での欠席等は極力慎むこと。』となっています。①②③以外の理由で欠席する議員はいますし、本人の傷病を証明する必要はなく、親族の範囲は決められておらず、隣保の葬式についてはよくわかりません。自治会の中にさらに隣保という括りがあり、隣保でお葬式があった場合には同じ隣保の人は葬儀のお手伝いをする伝統があります。その伝統やつながりを否定する気は毛頭ありませんが、議会活動よりも優先するかと問われれば、私自身は議会活動を優先させていただいています。 (実際に委員会と隣保のお葬式が重なったことがありましたが、委員会に出させていただきましたし、隣保の方にもそれを理解していただきました。)
 まぁ、本会議や委員会に出ていても議論に加わらず、ただ座っているだけ(と捉えられても仕方のない様子)の方もいらっしゃいますが…。また、自分が欠席した会議で決まったことに対して、後からあーだこーだとクレームをつけ、その会議での決定を覆す議員がいたり、自分たちが決めたルールを恣意的にねじ曲げる議員がいたり、議会は常識が通じない世界なんだと痛感しています。みんなでサッカーをやっていたのに、いきなりラグビーになったり、えっラグビー?と思って、ボールを手で持ったら、ハンド!って反則を宣告されたりします。(しかも審判にではなく、同じチームのメンバーに…)そんな世界です。(こんな例えではわけわかりませんよね。わけがわからない世界だということが伝われば良いのですが…)

もう終わり…
 昨日の会議で私が感じた教育への危機感…。それは、教育の振興計画や総合計画、創生戦略にふるさと意識の醸成、宍粟市への愛着の育成が大々的に謳われていること、義務教育(学校教育)にそれを求めることに対する危機感です。創生戦略に掲げられている一文を紹介します。(ここは個人的には削除を求めたかったのですが、なんとか社会教育の守備範囲として認めることはできるかなぁとも思ったので、修正を求めました。しかし、修正に対して賛成4:反対8:どちらでもない1…そこについては意見を付さない=原案を認めるということになりました。議論を尽くさず採決です…。早く終わりたいという気持ちがそうさせるのでしょうね。)
 重点戦略③【産み育てる】少子化対策→ライフプランを考える機会の創出→ア.ふるさと意識の醸成に「小中学校の9年間を通じて、宍粟の自然や施設、人材等の教育資源を最大限に活用した系統的な教育活動を推進し、地域に対する親しみや愛情、愛着の育成を図る。」と謳われています。そして具体的取組として、環境体験事業、ふるさと宍粟探検隊、自然学校、地域に学ぶ「トライやる・ウィーク」、「トライやる・アクション」ようこそ先輩(学習会・講演会)、地域活動家によるふるさと学習が取り上げられています。(兵庫県が進めている自然学校や「トライやる・ウィーク」について、「兵庫県教育委員会のホームページ」を見てみてください。目的が違いませんか?)そして、重要業績評価指標として、今住んでいる地域の行事に参加している児童生徒の割合をあげています。教育大綱でも学校教育の基本目標・基本施策で真っ先に(1)宍粟に生き、宍粟を活かす人づくり、①宍粟の良さを知り、宍粟を愛する子どもの育成、②宍粟の未来につながるキャリア教育・進路指導の推進…が掲げられています。宍粟の未来につながるキャリア教育?進路指導?そんなものがあるのでしょうか?その子の未来につながっていかなくてどうするのでしょうか?教育はもっと人間の根源に関わる活動だと思うのです。(いろいろな意味で支配されないための力、主権者としての力をつけることにつながります。)私も地域総がかりで教育すること、地域と学校が連携することは大賛成です。その地域というのも校区とか、市町村とかの行政の区分ではなく社会全体だと思います。ただし、それは “手法” としてであって、目標ではないと言いたいのです。宍粟市のように教育目標で掲げられる地域に対する親しみや愛情、愛着の育成は、市民として宍粟市に残って欲しい、帰ってきて欲しいという気持ちが前面に押し出されていてとっても窮屈です。実際の宍粟市の人口減は、中学から高校への進学や就職、高校から大学への進学や就職の時期、年代に集中します。もちろん、少子化という要因もありますが、子どもを産む世代が帰ってこないわけですから当然の結果ということになります。確かに人口減はいろいろな意味で問題ですが、その対策を義務教育の目標に掲げることに私は賛同できません。まぁ、いろいろ言っても修正に対しての議会の賛否を見る限り、別にいいんじゃないの…というのが大勢の意見でしょう。みなさんはどう思いますか?これもよそ者の戯言として片付けられるのでしょうが…。

2015年10月26日

市制10周年【雑談】

 宍粟市ではここ1ヶ月ほど雨が降っていません…。全国的にカラカラの深秋ですね。この時期には冬ごもりのためにたくさんのカメムシが人里に下りてきます。ものすごい数…。この冬は雪が多いかもしれませんね。スキーのシーズン券も手元に届き、そろそろ道具を準備して、雪を待ちたいと思います。今年はワンランク上のスキーヤーになりたいなぁ…。
 
市制10周年
 
昨日は、市制10周年の記念式典に参加してきました。1999年から政府主導で始まった平成の市町村合併は、2005〜06年にかけてそのピークを迎え、市町村合併特例新法が期限切れとなる2010年にほぼ終了しました。ちょうど10年前の2005年、平成17年に4つの町が合併して “宍粟市” が誕生しました。10年前…私は徳島にいました。徳島県内でも市町村合併があり、「どことどこが一緒になって、○○市になった。」というニュースがたくさん流れました。お隣の淡路島では1市10町が、現在の3市になりました。(兵庫県は、平成の合併で 91あった市町は41市町に…減少率54.9%)市制10周年というと、大抵の合併市では総合計画なるものの区切りがやってきます。(別に10年と決まっているわけではないのですが、前期5年、後期5年で10年一区切りにしている自治体が多いです。市長任期と合わせて前期4年、後期4年で8年を一区切りにしている自治体もまれにありますが…)宍粟市も第2次総合計画のスタートを前に、そろそろパブリックコメントにかけられる段階に来ています。12月議会には議案として上程されてくるでしょう…。

議会の責任
 総合計画は、地方自治法で「市町村は、その事務を処理するに当たっては、議会の議決を経てその地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行うようにしなければならない。」とされていたものが平成23 年に「地方自治法の一部を改正する法律」が公布され、基本構想の法的な策定義務がなくなり、策定及び議会の議決を経るかどうかは市の独自の判断に委ねられることとなったそうです。しかし、まちづくりの方向性を示す重要な計画であるので、条例などで議会の議決を経るようにしている自治体が多いのではないでしょうか。宍粟市でも自治基本条例でしっかりと規定されています。ここで、議会の議決の意味が問われています。
 議会の議決を経る=市民の合意がとれたことになります。否決した場合、それは市民に受け入れられなかったということになります。それだけの重責を担っているという自覚が “議会” にあるのか?みなさんはどう思いますか?

総合計画への意見反映
 私はこれまで、総合計画は誰のものか?誰のためのものか?という問いを自分に、議会に、行政に、市民に投げかけてきたつもりです。一般質問で取り上げた時に行政ははっきりと「総合計画は、市民のものである。」と回答しています。しかし、実態はどうでしょうか?議会では、市長のものと考えている議員が多いのが実態です。だったら議決案件として残しておくことをうたった自治基本条例を修正し、議決案件から外せばよかったのに、それはしていませんよね…。つまり、総合計画に対して議会が責任を持つという意思表示をしたわけです。特別委員会を設置して、市民の意見を反映させた議会としての総合計画を作るべきだとの私の主張に対して1月の末には特別委員会の設置を否決していますし、「そんなに総合計画を作りたければ市長になれば…」と言う方がいらっしゃいましたし…。
 しかし、何を思ったのか夏以降、総合計画が議案として提出される前に、議会の意見を反映させるべきだという主張が出てきました。(前出の「そんなに総合計画を作りたければ市長になれば…」と言っていた方が言い出しっぺだとか、そうでないとか…?よくわかりませんが、時間がなさすぎます。)私は総合計画は条例などとは違い、議会意見を反映させるのはとても難しいと思います。腹案として、議会案を持っておかなければ、議会に上程されたのものを修正することはとても難しくなります。計画とは、木や森に例えると…気候、生態系、土壌などの “背景” を踏まえ、どんな木を植え、成長させ、花を咲かせ、実をつけるか、またその種子が次の世代にどう引き継がれるか…という “体系” ですから、一部を修正するのは難しいというか、不可能に近いのではないかと思います。しかし、このタイミングでやれと言われ、やると決めた以上は、原案の “体系” を尊重しながら、別の視点で見てみるくらいのスタンスで委員会案を提出しました。
 実際に先日の審議会で、議会からの意見についての審議がありましたが、議論のテーブルに乗ったのは、市の担当者(と学識経験者?)がここは反映するとか、ここは反映しないとかというフィルターにかけられた後のものでした。結果として、議会からの意見のほとんどは反映されていません。この審議を経た修正案が議会に戻ってきたところで、議会は何も言わないでしょうし、議案になったところで修正するだけの度量は今の議会にはありません。(やる前から諦めている自分を否定したいのですが、この2年半でその気力は無くなってしまいましたし、議会からの意見が計画に反映されようがされなかろうが、意見を提出することに意味があると真剣に考えている方が多いので無理です…。)「議会からの提案には重みがある。」っておっしゃっている方がおられましたが、そんなものは微塵もありません。採用されたのは、基本的に文言修正レベルのものだけですよ。言ってみれば大勢に影響はないものばかりです。

ど素人の考えですか?
 先日の審議会で、どうしても納得いかないものがあったのでここに記しておきます。それは環境にやさしいまちづくり→自然環境の保全→森林環境の保全で掲げられているまちづくり指標「広葉樹転換面積」についてです。案では現況値(H26年度)8.0haをH32年度に10.4ha、H37年度に12.4haと書かれています。(明記はされていませんが、累積されていく数値なので、おそらく5年間で2haずつ針葉樹林を広葉樹に転換していくという意味だと思います…。)これに対して、委員会からは「市全体で広葉樹に転換可能な森林のうち、何%を広葉樹にするのか、どの程度広葉樹に転換したら自然環境の保全が進んだと言えるのかという視点で再検討する必要がある。」との意見を提出しました。回答としては、『指標としております「広葉樹転換面積」は、混交林整備事業(高齢人工林を部分伐採し、その跡地に風水害等の防災機能の高い広葉樹を植栽することが目的)の実施状況でありますが、この事業は民有地を対象に実施するものであります。実施にあたっては、山の形状や実施時期、所有者の意向など、総合的に判断しながら取り組む必要があり、一概に何%を広葉樹にするといった目標を打ち出すことは難しいと考えます。』とのことです。そもそも “環境にやさしいまちづくり” って項目にあげる指標ではないってことですか?分母は把握できないっておっしゃっていましたけど、第1次の総合計画では「民有林の人工造林は約73%、そのうち樹齢16〜45年までの間伐期に入っているものは約46%…適正な森林整備が急務」と書いてありますよね?伐採されずに放置されている樹齢46年以上の高齢人工林のおおよその面積は把握できるってことですよね?混交林整備事業って県の事業ですよね?市の総合計画に掲げるってことは、補助金が切れても市単独で続けるってことでいいですか?平成26年度の当初は6地区で行うって目標(この地区っていう目標も “?” ですが…)を掲げていて、決算の成果説明では目標値を削除している(隠している?)事業ですよね?「一概に何%を広葉樹にするといった目標を打ち出すことは難しい」だったら、そもそも5年間で2haずつ増やすって目標を立てることも難しいってことですよね。まぁ、議会なんてあってもなくても大勢に影響ない(結果的にそう取られても仕方のない状況)なので、力んでも虚しいだけ…。もう一つ言いたいことがありましたが、長くなるので次の機会に…。 

2015年10月13日

続々・法的安定性【議論】

 宍粟市では最近、雨が降らず乾燥注意報が出ています…。稲刈りが終わった田んぼでは籾殻や刈り取った草などを燃やしているようです。その煙の匂いって、秋の田園風景とリンクして心地よいものです。(あくまで個人的感想です。できれば、薪ボイラーなどで熱源として利用できる環境が整って欲しいのですが…)火の元には十分注意しましょう。野焼きから火事になってしまう事例も多く見られます。

とうとう夢にまで…
 今回を含め3回、ブログで扱ってきた “法的安定性” の問題…。とうとう夢で「法的根拠はどこにある?」とか「論理矛盾があるのでは?」とか、誰かと話していたり、PCに向かって文書を作っていたりという場面が夢の中に現れます。とうとう “うなされる” ところまできてしましました。自分の中では相当なストレス、納得感の得られない状況のようです。
今回、画像として「宍粟市3歳児教育実施要綱」を貼り付けました。27年4月1日より施行されていますが、ホームページ上の例規集にはまだ登場していません。
宍粟市3歳児教育実施要綱
例規集には主に〜条例、〜規則、〜要綱が登場します。まず、この違いについて…。条例は、地方公共団体がその事務について、議会の議決によって制定する法規であり、規則は地方公共団体の長等がその権限に属する事務について制定する法規を言い、要綱は行政機関内部における内規であって、法規としての性質をもたないものだそうです。確かに条例の制定、改正、廃止は議案として議会に上がってきますが、規則や要綱は市長はじめ行政内部で作られます。(ただし、条例が規則、要綱に委任するのが通常なので条例の審査の過程では議会に示されます。)

3歳児教育の法定安定性
  そこで問題になってくるのが、宍粟市における3歳児教育の法的安定性です。幼稚園に関わる条例、規則には幼稚園設置条例、幼稚園管理規則、幼稚園の通園区域に関する規則などがあります。幼稚園設置条例は、学校教育法第2条の規定に基づき…と法律をその根拠にしています。幼稚園管理規則は、宍粟市立幼稚園設置条例第6条の規定に基づき…と条例をその根拠にしています。(でも、そもそも設置条例に6条はないので、内容から見ると5条「この条例に定めるもののほか、幼稚園の管理運営について必要な事項は、教育委員会が定める。」でしょ?こんな不安定な状態も放置ですか?)条例、規則までは “法規” です。そして、それに基づいて行政機関内部における内規として “要綱” があります。
 宍粟市の場合、幼稚園設置条例の3条で保育年限を、「幼稚園の保育年限は、2年とする。ただし、野尻幼稚園は、3年とする。」と規定し、第4条で入園者を、「幼稚園に入園できる者は、市内に住所を有する者であって満4歳から小学校就学の始期に達するまでの幼児とする。ただし、野尻幼稚園は、満3歳からとする。」と規定しています。しかし、その野尻幼稚園は休園中です。(野尻幼稚園を廃止する条例が議決されていないので “休園” です。)そして、通園区の規則で「休園中の幼稚園の園児はどこの幼稚園に通う」という規則を設けなければいけませんが、それも例規集を見る限りでは放置されています。条例、規則など “法規” には、宍粟市の3歳児教育は、どこにも規定がなく非常に不安定な状態で行われています。

 差別要綱?  
  しかし、宍粟市の3歳児教育(幼稚園での3歳児教育)は、この“宍粟市3歳児教育実施要綱” で規定されています。要綱なので “法規” ではありません。また、その内容が酷い…。第1条なんて特に酷い…。いわゆる政争の具ってやつですね。「市が進める社会福祉法人による幼保一元化施設を認めなさい。認めたら3歳児教育もしてあげるのに〜」という交換条件をわざわざ明文化したものです。しかも、3歳児の心身の発達を助長することを目的とするものだそうです。この要綱の根拠(らしきもの)である “宍粟市こども指針” では、幼稚園、保育所、認定こども園で3歳児からの教育を行うって言ってるのですよ。…教育委員会って嘘つきですね。家庭、幼稚園で「嘘はついてはいけません。」って教わらなかったのでしょうか?「幼保一元化を認めないから、3歳児の教育の機会が奪われているのですよ。子どもたちが可哀想…」って言っていた方もいらっしゃいましたし…。これで、条例と同じ正式な教育過程だと言い切れる教育委員会や教育委員会事務局のレベル…。法律を根拠とする条例、条例を根拠とする規則にうたわれていない3歳児教育を規定した要綱が、条例と同等の効力を発揮するなんて意味がわかりません。もう一回、幼稚園教育からやり直したらいかがですか?
  上位の法規に何も規定がないことを “要綱” で済ませる慣習が地方自治体にはあるようですが、それは、議会の議決を経るプロセスが面倒である、議案にすることでその決まりが広く公開されることを嫌う、首長及び行政には議会の議決を経なくても物事を進められる権限があるという驕りの現れでしかありません。宍粟市の場合には、反対意見が根強い、「公立幼稚園をすべて廃止し、社会福祉法人による認定こども園を全中学校区に設置する」という政策を推進するために、条例で3歳児教育を規定することは阻害要因であるという認識がどこか(教育委員会?首長?民間事業者?)にあるのです。一体、誰のための行政?誰のための教育?大型公共工事を発注するため?人件費を抑制、幼稚園教諭の削減のため?本当にこんな “まち” でいいのですか?

 だから疑義あり!
  休園中=いまだ行政財産である園舎は、地域振興のために国の「過疎地域等自立活性化推進交付金」1,150万円を使って大規模改修され、過疎地域等集落ネットワーク圏形成支援事業という補助事業が行われます。この交付金は、市の一般会計に入り、交付に関する定め(補助金交付要綱など)がなく、そのまま地域の団体に交付されていきます。こっちは好きにしてもらって構いません。地域の合意なんて得られていない利活用であって、どこかの職員の点数稼ぎレベルの話であり、交付金の趣旨が体現されているとも思えませんし、幼稚園を廃止する前提で国に申請していたことは明白(行政財産のままでこのような利活用がなされることを総務省が認めるわけはありません…)ですし、行政内部のコミュニケーション不足くらいの低レベルな案件ですので…。
  私が言いたいことはとってもシンプルです。幼稚園を廃止して、園舎を普通財産にすれば良いだけです。しかし、なぜか3歳児教育の法的安定性、3歳児教育を受けられないこどもの不利益は放置され、不安定な差別要綱で貴重な3歳という時期の過ごし方が左右されるのです。本当にこんな “まち” でいいのですか?

2015年10月11日

続・法的安定性【議論】


 宍粟市では、秋晴れの清々しい日が続いています。運動会シーズンも終盤ですね。運動会といえば、組体操のピラミッド…高さを競う感じになり、ケガをする人が続出…様々な議論がなされています。私たちが子どもの頃は、正面から見て三角形、単純に下から5、4、3、2、1って感じでみんなが四つん這いだったのですが、今は本物のピラミッドみたいに奥行きがあるのですね。これにより高いピラミッドを作ることができるようになったのか、高くするために考えられた方法なのか良くわかりませんが…。何れにしてもなぜ組体操なのか?その教育目的を考えて、どこが頑張って達成できるギリギリのラインかを見極める必要があるのだと思います。運動会、体育祭にはいろいろ考えるところがあります。私自身は、見ている人に感動を与える…ってフレーズが、聞こえてくるたびに違和感を覚えます。誰のための運動会?体育祭?そもそも感動って与えられるもの?

9月議会の一般質問
 前回のブログの続きでもあるのですが、9月議会の一般質問で休園中の幼稚園の園舎改修、利活用について取り上げましたので、その件について…。
Q:現在、休園中の幼稚園で大規模な改修が行われているが、廃園ではなく休園ではなかったのか?廃園にしなくても利活用できる法的根拠は?
A:現在、利用計画がないので目的外使用を許可した。地方自治法238条の4の第3項と第7項、および宍粟市公有財産規則43条の規定がその法的根拠である。

 まず、今回の休園中の幼稚園の利活用は “目的外使用” であることを明言しているところがポイントです。そして法的根拠として地方自治法、公有財産規則が示されました。該当する部分は…

地方自治法第238条の4
 行政財産は、次項から第4項までに定めるものを除くほか、これを貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、出資の目的とし、若しくは信託し、又はこれに私権を設定することができない。となっています。次項から第4項までに定めるものは除く…次の3がその一つ、今回の法的根拠として引用された部分になります。
3 普通地方公共団体が国、他の地方公共団体又は政令で定める法人と行政財産である土地の上に一棟の建物を区分して所有するためその者に当該土地を貸し付ける場合において、当該行政財産である土地の貸付けを受けた者が当該土地の上に所有する一棟の建物の一部(以下この項及び次項において「特定施設」という。)を当該普通地方公共団体以外の者に譲渡しようとするときは、当該特定施設を譲り受けようとする者(当該行政財産を管理する普通地方公共団体が当該行政財産の適正な方法による管理を行う上で適当と認める者に限る。)に当該土地を貸し付けることができる。
7 行政財産は、その用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができる。
なぜ今回の法的根拠として上記、第3項が示されたのか?よくわかりません…。

宍粟市公有財産規則第43条
 行政財産は、その用途又は目的を妨げない限度において、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、市以外の者に使用許可をすることができる。
(1) 国又は他の地方公共団体その他公共団体において公用又は公共用に供するために使用するとき。
(2) 市の事務又は事業の遂行上必要な公益を目的とする団体においてその事務又は事業の用に供するために使用するとき。
(3) 公の学術調査研究、公の施策等の普及宣伝その他の公共目的のために行われる事業の用に供するために短期間使用するとき。
(4) 災害その他緊急事態の場合において応急施設の用に供するために短期間使用するとき。
(5) 市の職員その他市の施設を利用する者の福利厚生施設として、食堂、売店等の経営を行うために使用するとき。
(6) 電気事業、通信事業、水道事業、ガス事業その他の公益事業の用に供するために使用するとき。
(7) 前各号に掲げるもののほか、市長が特にやむを得ない理由があると認めるとき。

こんな説明が通用するの?
 休園中の幼稚園はあくまで行政財産であること。地方自治法でも公有財産規則でも「その用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができる。」と規定されていること。そして、今回の利活用が “目的外使用” であると認めているのですから、わけがわかりません…。
 そして、答弁の内容も二転三転しています。「今回の利活用は、行政財産である幼稚園の用途、目的を大きく逸脱するものではないと判断している。」という発言もありました。いやいや、そもそも “目的外使用” だって言ってたでしょ?なぜ、幼稚園を廃園して、園舎や土地を普通財産にしないのでしょうか?普通財産にすれば、地方自治法第238条の5「普通財産は、これを貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、若しくは出資の目的とし、又はこれに私権を設定することができる。」いくらでも利活用が可能なのですが…。廃園にできない理由があるのでしょうねきっと…。

 これは3歳児教育と幼保一元化に絡んでくる重要な問題みたいです。そちらはまた改めて報告します。どっこにも法令遵守という姿勢が見られないのは、とっても不健全な状態ですね。

2015年10月8日

法的安定性【議論】

 宍粟市では、11月2日から新・公共交通の試験運行が予定されています。それに伴う説明会が各地で開催されています。まずはその日程を…。(もう終わってしまっている会場もありました。スミマセン…。) 10月6日(火)宍粟防災センター、10月7日(水)センターちくさ、10月8日(木)市民センター波賀、10月9日(金)センターいちのみや いずれの会場も19:00〜です。本当に市民にとって使いやすい公共交通になっているかどうか?試験運行しながら “改善” していくそうなので、現状のダイヤを通勤、通学、また休日の自分自身また家族の動き、市外からの観光客が自分たちの家の近くの観光スポットに来る場合などなどと照らし合わせて考えていただき、いろいろとリクエストをしてもらえると運営主体である “宍粟市” としてはありがたいと思います。早速、全戸に配られた?A5版?の時刻表が見づらい、わかりづらいという声は私のところに届いています…。「便利になった!今まで自家用車で移動していたけどこれなら公共交通を使える!」とか「低料金にはなったけど相変わらず使いづらいなぁ…もう移動手段は確保しているし…これからも公共交通は使わないかなぁ〜」など率直な感想も含めて、どんどん生の声を届けて欲しいと思います。自治会長の声=地域住民の声っていう雰囲気(いろいろな事業について、自治会長会で説明=地域住民に説明した、また自治会長会で異論が出なかった=地域の合意がえられたってことになっていますので、逆説的にそう捉えています。)が蔓延していますし、声がない=了承している、不満はないって解釈されてしまいますので…。低料金にはなりましたが、その裏では国、県の補助金も含めて相当な “税金” が投入されていることをお忘れなく…。


本当にこんな勝手が許されるのか?
 9月議会での一般質問で、私が取り上げたのは、市の事業や計画の法的安定性、法的根拠についてです。特に3歳児教育、休園中の幼稚園園舎の改修工事とその利活用についてはなかなか納得ができる答えが返ってきませんでした。(もう、私の質問に対して市長はお答えにならなくなりました…。)まずは、3歳児教育について…。
Q:3歳児教育は努力義務であるとの説明がこれまでなされてきたが、その法的根拠は?
A:学校教育法第26条『幼稚園に入園することのできる者は、満3歳から、小学校就学の始期に達するまでの幼児とする。』から、3歳児教育は努力義務であると解釈している。また、他の市町村では1年(5歳児のみ)や宍粟市と同様に2年(4・5歳児)というところもあるのでご理解を…。
 
 しかし、子ども子育て支援法の中では “就学前子ども” として、子どものうち小学校就学の始期に達するまでの者を全て包括しています。宍粟市では、幼稚園に通いたい3歳児(1号認定)は、認定はされるけれど、幼稚園での教育を受けられないという状態が続いています。25年末のニーズ調査では、今年度、幼稚園に通いたい3歳児は65名、うち10名のニーズしか満たしていません。残る55名は放置?
 
別の角度から…
 内閣府が出している子ども子育て支援制度に関する自治体向けFAQでは、「現在、2年保育しか実施していない公立幼稚園は、新制度への移行に当たり、3年保育を実施する必要はありますか?」という質問に対し、その答えとして「公立幼稚園については、新制度に基づく確認対象施設としてみなされるため、特段の対応をしなくても新制度の対象施設となります。新制度への移行に伴い、3年保育を実施する義務が生じるものではありません。ただし、市町村事業計画の策定に当たり、見込んだ3歳児の教育・保育のニーズに対し、私立幼稚園や認定こども園を含めた供給量が不足している場合には、私立幼稚園などによる対応を含め、その “確保方策” を市町村として定めていただく必要があります。」とあります。宍粟市では、ニーズに対して供給量が不足しているので “確保方策” を定める必要があります。宍粟市では、3歳児教育は “認定こども園” で行うという方針を明確にしているので、確保方策=幼保一元化推進計画となります。また、子ども子育て支援事業計画では、平成29年度には、供給量の不足はなくなることになっています(この根拠も “幼保一元化推進計画” です。)ので、平成29年度までには地域性を考慮して、最低でも2つの認定こども園で、50名程度の3歳児を幼稚園部門で受け入れるということになります。もう27年度も中盤…2つの地域で認定こども園の設置に向けた下準備は終わっていないと間に合わないと思います。平成28年度の予算組みはすでに始まっているのでは?
 とう言うことで、「どことどこで認定こども園ができ、29年度に供給不足が解消されるのですか?」と質問しました。その答えは「現在、民間保育所と協議中で具体的にはお答えできません。」だそうです。(宍粟市の認定こども園は全て社会福祉法人が運営する予定のため、現在、市内で保育所をされている社会福祉法人が運営主体としては最有力…ということで民間保育所と協議中という答えになります。)現在協議中で、具体的な場所は決まっていなくても、平成29年度からは供給不足は解消されるんですって…。幼保一元化推進計画は、平成30年までの10年間で中学校区を基本に10園を設置するという計画ですが、27年度で1園…計画期間の無期限延期も検討されているような状況で、何を根拠にそう言い切れるのかが全く理解できません。そもそも27年度、28年度の3歳児が、幼稚園に通いたくても通えないって状態をどう解消するかが “確保方策” だと思うのですが、違いますか?

もう無理…
 根拠がとってもとっても不安定、どれもこれも拠りどころになり得ない事ばかり…それでも市政は進み、税金は支出され、キーマンである幹部職員は退職していくのです。法的根拠、法的安定性なんてなくったっていいんですよね?そうかぁ〜国会でも、「法的安定性は関係ない」とか「現在の憲法をいかにこの安保法案に適用させていけばいいのか…」とか立派な発言をされていた大臣がいましたね。特に国や県を上位団体って認識しているような市では、国を見習って自治体運営がなされても文句は言えませんか?行政マンとしての責任とか、職業倫理とか言っても、もう無理ですか?

休園中の幼稚園の園舎改修、利活用については改めて…

2015年10月7日

プロパガンダ【雑談】

 

 宍粟市での小中学校、幼稚園保育所の運動会はほぼ終わったでしょうか?市内にある県立高校の体育祭もほぼ終わり、今週、予定されている高校の体育祭が(おそらく…)今シーズン最後になるのではないでしょうか?いゃいゃ体育の日が来週ってことは地域の運動会や学校以外の運動会はまだまだ続きますね、きっと…。議員になるといろんなところから運動会、体育祭の案内をいただきます。全部に顔を出すべき、出たいとは思うのですが、なかなか叶いません…。行く、行かないについては何の意図はないのですが…。

9月議会閉会
 決算審査を含む9月議会が終わりました。議会の最終日、我が家ではオーストラリアから二人のお客様を迎え、それからこれまで何かとバタバタしておりました。バタバタしながらも素敵な時間を過ごすことができました。家族全員、英語が苦手なので “コミュニケーション” とまではいきませんでしたが、ちょっとした “国際交流” で我が家に新しい風が吹き込まれました。
 議会では、年度当初は全否定されていた、“総合計画への議会意見の反映” も議会構成が変わったからか、どなたかの実績づくり(次の選挙のためのプロパガンダ?)のためか急に復活し、委員会での協議、まとめのためのPC作業、その確認作業…どんだけ拘束するねんって感じです。別にそれはそれで良いのですが、議員によって差がありすぎることが不満なだけです。なーんにもしなくても、いろいろ抱え込んで積極的に関わってもそれが有権者には伝わらないし、もちろん報酬も変わりません。せっせせっせと次の選挙のためのプロパガンダ(まちを良くしようなんて気持ちはこれっぽっちも感じない、私利私欲に動機付けされた言動…)に勤しんでおられる方々が大きな顔をしていることにハッキリ言ってムカついているだけです。

プロパガンダ…
 議員になってこの “プロパガンダ” という言葉に敏感になりました。“プロパガンダ” を辞書で引くと『宣伝。特に、特定の主義・思想についての政治的な宣伝。』と書いてあります。議員なんて “このまちを良くしたい” なんてこれっぽっちも考えていません。どう振る舞ったら自分の利益(または不利益)になるかが全ての判断基準だと言っても言い過ぎではないでしょう。所属している委員会では何の役割も果たさず、本会議で自分たちの主義・思想を宣伝するだけの人たち、他の議員が提案した議案について、ケチをつけながら採決では平気な顔で賛成する人たち、自分たちの主張と行動が一致しない、自分たちはいつも正しい、周りが間違っていると本気で思っているであろうご都合主義で支離滅裂な思考の人たち、これまで全否定していたのに自分たちのプロパガンダに利用できると判断した途端、肯定にまわる強欲な人たち(これまで肯定していたのに、いつの間にか否定にまわる人たちがいないのもそれはそれで滑稽です。)、公金を使って、他の議員を貶めるような発言、行動を繰り返す相対評価でしか自分の立ち位置を確認できない人たち…。(言い忘れていました。そんな人がいるのかどうか?「あいつだ!」とか限定しているわけでもありませんし、そもそもそんな人たちがいるって断言しているわけではありませんので…過剰反応すると心当たりがあるって思われてしまいますよ〜)
 ある意味、このブログの記事をはじめ、私の会報や発言にも “プロパガンダ” の要素が含まれています。しかし、私には自分にとっての利益、不利益って感覚、判断基準はほとんどありません。もう少しうまく立ち回れば良いのかもしれませんが、自分の利益になろうがならなかろうがお構いなく、公の場で発言、行動しています。自分にとっての利益、不利益を判断基準にもっていたらこのブログもやっていませんし…。私の発言、行動はきっと次の選挙(もし仮に再度、立候補する場合…)では、票を逃すという “不利益” として作用することばかりだと自覚もしています。

これからの展開
 会報7号は、何の反応もなく(何件かお電話はいただきましたが…)不発に終わりました。また、そこで案内していた広聴カフェ!も同様に(何名かはご参加いただけましたが…)不発でした。前々から気づいてはいたのですが、ここまで受け入れられていないとは…。やはり、議員って地縁、血縁がモノを言うのですね。日本の選挙で必要とされる3つの要素 “三バン” …。どこかで聞いたことありませんか?ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)の3つの “バン” …『実際の当落は後援組織の充実度、知名度の有無、選挙資金の多寡や集金力の多少に依存している場合が多い。 』ですって?だから必死に “プロパガンダ” をするのですね。ご苦労様です…。
 これからの展開…議員任期も3年目に入ると、議員は次の選挙を意識した発言、行動が多くなりますね。引退をしようという人たちも影響力を誇示したいのか、地盤を引き継ぐ人を探しているようです。ご苦労様です。
 私はといえば、愚直に自分のやり方を貫くことしかできませんね。ジバン、カンバン、カバン…なにそれ?どこにあるの?そもそもそれってそんなに重要?って感じですから…。

2015年9月25日

きっと取るに足りないこと【雑談】

 宍粟市では、稲刈りもだいぶ進んだようです。品種の違いでしょうか?まだ田んぼを黄金色に彩っている稲もあります。米作り…古来から脈々と継承されてきた作業でしょうが、もう単なる農作業ではなく、“文化” にまで昇華している感があります。私は田畑を所有しておりませんので、この時期の風物詩として眺めているだけですが…。米作りをはじめ、農林漁業には表に見えない大変なご苦労があるかと思います。これからも日本人の食文化を支えていただきたいと思います。いやいや日本に限らず、和食(日本人の伝統的な食文化)は、ユネスコ無形文化遺産に登録されましたので、世界の食文化を支えていただきたいと思います。

決算委員会
 宍粟市議会では、平成26年度の決算審査がほぼ終了しました。宍粟市では、当初予算、補正予算、決算は議長を除く全議員が所属する “予算決算常任委員会” が一旦審査負託を受ける形を取っています。そして、当初予算と決算は、議員の半数が所属する小委員会で、補正予算は総務文教、民生生活、産業建設の各常任委員会が調査をすることとなります。このあたりの方法は、自治体によって様々です。その都度、予算決算特別委員会を作り、当初予算と決算を審査するところもあれば、常任委員会が当初予算、補正予算、決算の関係部分を分かれて調査するところもあります。どこの自治体議会(議員)にも税金の使い方、使われ方をチェックし、必要であれば修正するという機能が備わっています。(ただし、その機能を十分に発揮しているかどうかは別の問題ですが…。)
 今回の決算では、小委員会のメンバーではなかったので外から決算委員会を見てみました。例えばある事業が5回予定されていて、その予算が500万円だったとしましょう。その年度が終わったら実施されたのは3回、予算が200万円あまった…これをどう評価するか?ある人は、①「節約して200万円余ったのだからそれを何か別の事業に使えば良い。」と考え、またある人は、②「5回予定していたのに3回しかできていないのはダメだ。」と考え、またまたある人は、③「5回500万円で予定していた “成果” が、3回300万円で出せたなら価値がある。」と考える。一つの事業を “評価” するのにどれも間違っているとは思いません。ただ、私自身の考えとしては “評価” として③の視点が最重要だと考えます。今回の決算でこの③の視点で審査をしている様子は皆無とは言いませんが、なかなか見られませんでした。そもそも計画(予算)の段階で “成果” をどう測るか?が決められていないので、この事業の “成果” は?と問われても、「◯◯を何回実施しました。そこに△△人が参加しました。」という答えしか返ってきませんし…。地方自治法第2条の14『地方公共団体は、その事務を処理するにあたっては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。』ですって…。議会って本当に必要なのでしょうか?私も含め、みんなで収める “税金” の使われ方として、不公平がないか?一部に負担が偏っていないか?一部の利益になっていないか?真に援助を必要としているところに手が差し伸べられているのか?そこをチェック、改善できるのは “議会” なのですが…。また “政治” の役割でもあるはずなのですが…。

議員としての “成果”
 市議会議員になって3年目…このブログも同じだけの期間続けてきました。記事にして260回ほど更新しました。それに対してページビューが43,000程度 …。会報も7号まで発行しました。2号目以降は市内に13,000〜14,000部配布しています。個人の報告会を15回ほど行いました。もちろん、一般質問は毎回行っていますし、質疑や討論にもできる限り立つようにしています。公式の議会だより、議会報告会、政務活動(会派の視察、報告書、報告会)。インプットとしての読書、研修、視察、傍聴、来賓参加、ネット検索…言葉にしたり文章にしたりする前の思考などなど…結構な時間と費用を使ってきましたが、なかなか “成果” が出ていません。地方自治法第2条が胸に突き刺さります。また、毎月いただいている報酬の分の “成果” が出ているのか?、いただいた1139票の期待に応えられているのか?についても考えさせられます。いろいろな場面で発する言葉、書いたり読み上げたりする文章、主張などなどどこまで届いているのか?どこまで響いているのか?費用対効果を考えると、それはそれは悲惨な状況です。頭痛くなります…。きっと何もしていない、ただ議席に座っているだけ、せっせと口利きしているだけのように見える “議員” の方々のほうが費用対効果は高いのではないか?とさえ思ってしまいます。信念に基づいてやればやるだけ疲弊する、報われない議員という仕事…。

徒労感
 きっとこの感覚を “徒労感” というのでしょう。辞書には『行いなどが無駄になり馬鹿馬鹿しい気持ちのこと、または頑張った結果などが報われないで疲れだけが残ったような感覚のこと。』と書かれていました。まさにこれですね…。長年この報われない議員という仕事についていらっしゃる=崇高な使命感に基づいて行動されている大先輩から見たら、私の姿、行動、言説なんかはまだまだ努力が足りない、軽い、薄っぺらいと映っているでしょう。「議会のイロハもわからないで…」とか「議員とは、議会とはこういうものだ」とか「これまでの経緯も知らないで軽々しい」などなどいろいろな場面でダイレクトに指摘されていますので、もちろん自覚しています。長年この地に住んでおられる住民から見ても同等でしょうね。私は地方分権の流れで、地方議会の役割、権限は増大していると思っていました。市町村合併で広域になった “まち” では特に議会の役割、権限は増大しているはずだと思っていました。しかし、広域になり住民から行政が遠くなることによって、議員はこれまで以上に口利きをすることを求められてはいないでしょうか?住民もこれまで役場に直接持ち込んでいた相談事などを、議員を通じて行うようになっていませんか?議員も本当に “まち” を良くするために行動するのではなく、選挙の恩返し、次の選挙で票につながること、一部への利益誘導にしか目が行かなくなっているように思えます。もしかしたら議会を欠席してまでそちらに重心を置いている議員がいてもおかしくありません。本来は議員自身が処理しなければいけないこと、例えば一般質問、例えば報告書の作成…これを市の職員にやらせる何てことが起こってもおかしくない状況です。(実際にしてるかどうかは知りません…。)それでも選挙では議席を得ているので、有権者もそれを望んでいるのかもしれません。私の主張なんかは、市民の反応を見る限り “取るに足りないこと” なのでしょう。

 明日、9月26日(土)は、19:00〜 旧道谷小学校体育館で『出前広聴カフェ!』を行います。先週は参加者2名…13000部配布した会報7号、そこで今回の広聴カフェの告知をさせていただいているので、2÷13000=0.015%…目を覆う状況ですね。徒労感…。

2015年9月14日

よそ者でいることの意味【雑談】

 
宍粟市では今日、中学校の体育祭が行われました。今年は来賓ではなく、保護者として参加させていただきました。私の子どもの同級生、引っ越してきて5年でずいぶん成長しました。そんな姿を見るのもおっさんにとっては楽しいことです。(勝手に楽しませてください…)来週の日曜日は小学校の運動会…。今日みたいに良い天気に恵まれるといいですね。今年は、波賀町内の小学校が統合されて初めての運動会。何校も来賓としてはしごすることはなくなります。自分の子どもの出番をみられないってこともなくなります。今年も保護者として参加するつもりです。これくらいのわがままは許されますよね?

人がどこかに住むということ
 最近、消滅可能性自治体、人口減対策、地域おこし協力隊、移民・難民の受け入れ、3か月以上の居住実態がないことによる市議会議員の当選無効…などなど、人がどこに住むのか?ってことに関わる話題が多い気がします。(というか勝手に気になっているのかもしれませんね…)日本国憲法22条には、『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。』と書かれています。居住移転の自由とは、自己の欲する所に住所または居所を定め、移転し、自己の意思に反して居住地を移されることのない自由だそうです。でも自然災害や原子力災害で、ここに住みたいけど住めない…って人もたくさんいます。また、移住してきたけれど私生活への干渉、監視がきついって感じてまたどこかに移る…って人もたくさんいます。逆に他の場所に移りたくてもいろいろな理由で移れない人もたくさんいます。“権利” として認められていてもそれを行使できるかどうかは別の問題ですね。また移り住んできた人は “権利” を行使しているだけ、状況的に受け入れる側に立った人は拒否する “権利” は認められていないのです。
 私は生まれた時の住所からすると恐らく10回以上、住所を変えています。引っ越してきて3年迄を “移住”、5年たったら “定住”、10年たてば “永住” って言うみたいです。だから何って話ですが、10年経たないとその地域の住民としては認めないって明言している地域があります。私が学生の頃訪ねた沖縄の離島はその決まりは徹底していましたし、かつて住んでいた山あいの集落でも、10年経たないと土地は買えないし、水利権みたいなものも認められないと記憶しています。別にその考えを否定する気はありません。それによってコミュニティが維持されてきたことも事実だと思います。1年でも「いいところだ〜ずっとここにいたいなぁ…」となるところもあれば、何年住んでいても「いつかはここから引っ越したい!」となるところもあります。当然、相性ってものがあると思います。引っ越してくる側の “謙虚さ” も、受け入れる側の “おおらかさ” もどちらも必要なのだと思います。

移住者へのプレッシャー 
 よそ者である私には常に “謙虚さ” が求められます。それはそれは相当なプレッシャーです。議員としても移住者だし、新人だし…ちょっとしたことで 「そんなことも知らないの?」、「引っ越してきて間もないから仕方ないか?」、「これまでもずーっとそうだったのに…」、 「だからよそ者は…」って言われます。これは年齢、居住年数というどう頑張っても越えられない壁を盾にその者を排除する、慣例に対する服従を迫るくらいの勢いでやってきます。そして、 “周りが悪い” っていう論理は移住者としては否定せざるをえません。(言い換えれば、許されないのです。)きっと自分に責任があるはず…、言い方がまずかったかな…と考えるようにしています。
 “郷に入れば郷に従え” その土地やその環境に入ったならば、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方?でも、そこでの習慣ややり方が全て正しいのでしょうか?そして議会に目をやると…議員としての経験年数が多い人の論理、慣習が全て正しいのでしょうか?と思ってしまいます。

よそ者でいることの意味
 私はあえて意識としての “よそ者” を貫きます。たとえ10年以上住んでいたとしても、気持ちの面では常に “よそ者” でありたいということです。議員としてはその方が良いと考えています。自分には知らないことが多い=必然的に知る努力をする…議員として常に勉強を怠らないという決意です。もちろん、このスタンス自体が「上から目線で嫌な感じだよね〜」とか「自分で壁を作ってとっつきにくいよね〜」とか、受け入れらない人も多くいるでしょう。それでも良いのです。だってわたしは、“しがらみ” でがんじがらめの状況がこのまちにとって良い方向に作用していないと思っているのですから…。以前、ある人(高校生だったかな?)が「私は一旦、よそに行きたい。世間を知ってる人たちと交流したい。」って言っていました。それを聞いた時、とてもショックでした。そのひとにとって周りの人は世間知らずだと見えているのです。自分はそうはなりたくないという決意にも聞こえました。なかなか厳しい指摘…みなさんはどう考えますか?

2015年9月11日

9月議会途中経過【速報】

 
宍粟市の今日は、写真のように素晴らしい天候ですが、全国に目を向ければ記録的な大雨による影響が各地で出ています。特に関東・東北地方では洪水などによる被害も出ています。くれぐれも気をつけていただき、これ以上被害が大きくならないことを祈っています。被害に遭われた方々が1日も早く、日常を取り戻せることを祈っています。やはりこういう時には、日頃の備え、情報提供、避難、救助、復旧・復興…自衛隊や海保、消防、気象庁など行政機関などが頼りになります。(実態はどうであれ頼りにしますよね…)自助、共助はとても大切ですが、公的援助が来るまで一時的なもの…と考えていないと挫けてしまいます。そして、大きな意味での “共助” 市民の力…鬼怒川の堤防が決壊して氾濫し、濁流が住宅地に流れ込んだ茨城県常総市の社会福祉協議会が、復旧活動を支援するための災害ボランティアセンターを設置するとのことです。自分自身、何ができるか考えます。

9月議会途中経過
 9月議会、平成26年度決算以外の議案審議がほぼ終わりました。マイナンバー制度に伴う条例改正、第三セクターの統合に伴う指定管理者の変更、老人福祉センターのトイレ新設に伴う過疎自立計画の変更、平成27年度の補正予算などが昨日10日の本会議で可決されました。私の所属する会派は、平成27年度一般会計補正予算に対する修正案を提出しました。全体の補正予算から、老人福祉センターへのトイレ新設に伴う工事費等1,350万円と第三セクターへの貸付金制度創設に伴う3,000万円の執行を “一時停止” すべきと考えての修正でした。提案理由の説明というのがありましたので、その原稿をちょっと修正して、ここに掲載させていただきます。6 :11で思い切り否決されたので、修正の意図、考え方だけ知っていただければと思います。皆さんはどうお考えでしょうか?(第三セクターへの貸付金については、引き続き情報収集をしていきたいと考えています。) 

修正案の提案理由
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 第70号議案 平成27年度宍粟市一般会計補正予算(第2号)に対する修正動議について、地方自治法第115条の3及び会議規則第17条の規定により、別紙修正案を賛同者3名とともに提出します。

 今回の修正では、歳入で、老人福祉センターのトイレ新設に伴う新たな市債、過疎対策事業債1,350万円を削除し、歳出では、その過疎債を使う予定の老人福祉センター改修設計監理料150万円、同じく老人福祉センター便所新設工事費1,200万円を削除します。また、歳出の観光振興費から第三セクター運営資金貸付金の3,000万円を削除し、同額を財政調整基金に積み立てることとします。

 老人福祉センターについては、条例等に定められている設置目的とそれに伴う事業がほとんど行われていません。今回のトイレ新設工事は、現在、葬祭場としての利用が多い老人福祉センターの「葬祭場としての利便性を高めるための工事」であり、利用料金も含めた老人福祉センターのあり方を再検討してから計画的に整備をしたほうが良いのではないかと考えての減額です。また、財源として予定されている過疎債の目的、老人福祉計画などと照らし合わせても再考するべきものと考えます。

 次に第三セクターへの貸付金ですが、保証人不要、無担保で制度設計されています。つまり、宍粟市が2分の1以上出資する第三セクターの債務を間接的に保証する形になります。審査に関しても、内部で行うことになります。この制度では(あってはならないことですが…)もし貸付金が回収できない事態に陥ったとき、誰も責任を取れない、取らなくても良いことになります。また、融資要綱もできたばかりで、間接的にせよ自治体が債務を保証することが許されるという法的根拠が示されていません。これでは住民監査請求の対象になる可能性があるのか、ないのかの判断もつきません。

 予算決算常任委員会、また各分科会での審査の過程で、この老人福祉センターの改修と第三セクターへの貸付金の2件については、それらを肯定する意見がほとんどなく、行政側からの説明の中で適正な支出だと判断できる根拠がないため、再度、計画からやり直すべきだと判断しました。ただ、補正予算全体を否定するものではありませんので、この支出根拠が不明確、判断材料が乏しいものの補正は、市政への信頼が揺らいでいる現在の状況も合わせて考えると、慎重に行うべきだと考えます。この補正による便益を予定、期待していた市民の方々には申し訳ありませんが、修正案を提出させていただきました。
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最後に…
 現在、ちょっとした “自己嫌悪” …。目の前をうろつくハエが鬱陶しいので、叩き落とそうとしたら自分の顔を叩いてしまった程度のものです。次からはそのハエを叩き落とそうとせず、「ホント鬱陶しいんだよね〜どっかに行ってくれると嬉しいんだけど…これ以上、目の前をうろうろするんだったら叩き潰しちゃうよ〜」と心の中で念じようと思います。それが理性的な大人の対応ってやつでしょうか?こんなこと書いても皆さんには何のことかわかりませんよね?最近、身の回りで起こったチョットした出来事の報告でした。

2015年9月7日

9月議会【速報】

 宍粟市は9月に入り、季節が一気に変わり深秋…。昨日は「寒いっ」って感じでした。9月議会が先月の31日より始まりました。おおまかな日程(※で私の動きも…)を紹介しておきます。議会は(いろいろな意見、批判はあると思いますが…)重要なことが審議され、決定していく “場” であり、民主主義を支える “仕組み” です。特に市町村議会では、住民にとってより身近な問題が審議、決定されます。議員が住民の側に立って活動しているのか?にも関心を寄せていただきたいと思います。もし自分が住む “まち” を変えたい、もっと良くしたい、子や孫の世代にとって素敵な “まち” をバトンタッチしたい思うならばなおさら…。

これまでの流れ
8月31日(月)
 議案上程と議案質疑、委員会付託 ※一般会計補正予算に対する質疑をしました。

常任委員会(補正予算についての分科会も行われました。) 
 9月2日(水) 民生生活常任委員会 
※3年目からここに所属しています。委員長なので委員会での “採決” には加わりません。
 9月3日(木) 産業建設常任委員会 
 9月4日(金) 総務文教常任委員会 

いつも思うこと… 
 議案質疑、委員会(分科会)で議論が集中したのは、一般会計の補正予算 でしょう。公共交通再編に伴う合併特例債1,230万円の追加(駐輪場の用地買収700万円と整備工事390万円、壁の取り壊しなどへの補助 が含まれます。論点はどれも事業者が負担すべきものでは?ということでした)。第3セクターの合併に伴う資本金3,000万円と貸付制度の創設に伴う3,000万円で観光振興費6,000万円が追加。老人福祉センターへのトイレ新設に伴う、過疎債1,350万円の追加(老人福祉センターのそもそもの役割は果たせているのか?公共施設の再編計画がない段階で施設整備をするの?などが主な論点です)。道路橋梁費、国や県の補助のアテが外れ、一般財源と地方債にそれを振り分け、それでも足りなくなって2,937万円の追加。どれも厳しい財政状況の “まち” の税金の使われ方として適切かどうか?皆さんはどう思われますか?また議員は納税者、市民の側に立って議論をしているでしょうか?だって前年度からの繰越金が約7億9,200万円あるんですよ。これまでの借金の返済に4億1,400万円…これは節約(より安く、より良いものを買ったり、提供したり…)した結果でしょうか?市民へのサービス向上や負担軽減に使うべきではなかったのか?って 私が考え、主張し、議論を持ちかけても…最終的には “多数決” で決まります。10日の採決を前にこんなこと書いたらまた先輩議員、大先生に叱られるかな?皆さんが選挙で決めた議員で構成される議会、その多数決=皆さんの意思ということになりますが、いかがですか?

今後の予定
9月8日(火) 代表質問 6会派代表
      予算決算常任委員会 ※民生生活分科会の報告をします。
9月9日(水) 一般質問 6名 ※6番目なので14時半〜15時頃…質問します。

9月10日(木) 
 4常任委員長報告・委員長報告への質疑・討論・採決
 ※民生生活常任委員会の報告をします。
 決算質疑・委員会付託 ※決算に対する質疑をします。

決算委員会(予算決算常任委員会の決算に関する小委員会) ※所属していません。 
 9月14日(月) 企画総務部、市民生活部
 9月15日(火) 教育委員会、産業部・農業委員会
 9月16日(水) 建設部、まちづくり推進部
 9月17日(木) 健康福祉部、総合病院、会計課、議会事務局

9月24日(木) 追加議案がなければ開催されません。
 決算委員長報告・討論・採決
 追加議案上程・議案質疑・委員会付託 
※17日に開札予定の千種B&Gプールの工事請負契約が追加で上がってくるかも?議案質疑するかもしれません。(一般質問でも “千種B&Gプール” の件は取り上げていますが…)

9月30日(水)
 追加議案の委員長報告と質疑・討論・採決

 写真は、今読んでいる本です。左:『片山善博の自治体自立塾』片山善博 著(日本経済新聞出版社)。右:『ええ、政治ですが、それが何か?』岡田憲治著(明石書店)です。どちらの本も、そもそも “政治” とか “議員” とかは何のために存在するのか?存在意義や本来の使命を考えさせられます。そして、自分の周りを見渡すと…とんでもない実態が浮き彫りになります。
 最後に印象的な部分を紹介しておきます。『政治は弱い者、声の小さい者のためにある。強い者は自分の力で先に進んでいくから放っておいてもいいが、弱い者は後を押してやらなければならない。強い者と弱い者がいたら迷わず弱い者の味方をせよ…』これは片山氏が官僚時代に大臣秘書官として仕えた梶山静六氏の政治信条として、紹介されています。鳥取県知事時代に議員による “口利き” をどう退治したか、公正さをどう担保しようとしたか…の流れの中で登場します。政治家が良く使う “是々非々” という言葉…こんな虚しい言葉は他に見当たりません。ということで9日の一般質問の準備に取り掛かります。

2015年8月25日

説明責任【議論】

 宍粟市では、公共交通の再編、企業誘致、観光ステーション建設、幼保一元化、温水プール建設…と大きな政策が進んでいます。しかしどれも大きな課題を抱えています。どれも外部との交渉で不利な条件を飲まされているのでは?という感じです。納税者である市民、受益者である住民にとって不利な条件ではありますが、裏を返せば一部にはそれが有利な条件になる方々がいらっしゃるということなのですよね。いったい誰なのでしょう?
 なかなかその実害は表に現れませんので、議会が議論の中で明らかにする必要があります。それが “議会” に求められる監視機能、また説明責任であるはずです。(この頃、こう言ったことを主張するのも疲れる感じです。こうやって議員は軍門に下るというか、白旗を上げるというか、成り行きに任せるというか、慣例に縛られるというか…どんどんとその志が萎えていくのです。きっと…)

自分の感覚を疑う日々
 11月から試験運行が予定され、料金、経路とも良い方向に進んでいる(と思っていた)公共交通再編計画…平成26年度末までは、 “委託” という形で話が進んでいました。その大方針に従って再編計画が進行していたはずですが、今年度に入ってその方針は180度方向転換しています。少なくとも私はそう思っていますが、そうは思っていない議員が大半ですし、仮に思っていたとしても仕方がないとか、法的に問題がないならいいでしょって感じです。そもそも再編計画を理解していなかったのかもしれませんが…。
市が整バス停を整備する、今までのコミュニティバスを廃止する、間接的に車両を市が用意する…すべて “委託” を前提になされてきた議論ではないですか?委託料という総額(ここの妥当性は相当な議論がなされなければなりませんが…)が決まっていれば、受託した事業者は、運賃収入を増やし、経費を削減する必要性が発生します。しかし、現在の仕組みでは民間事業者が収入を増やす、経費を削減する必要はありません。現在予定されている仕組みとしては民間事業者が見積もる運営経費と運賃収入の差額は、税金で穴埋めするという仕組みです。例えば、運営経費が2億円かかったとします。そして運賃収入が4,000万円だったら、1億6,000万円は、国や県の補助金を含めて税金で穴埋めされるのです。この運営経費2億円は、固定されているものではなく、変動すると言うのです。民間事業者は、宍粟市内の公共交通だけをしているわけではないので間接経費など線引きが非常に難しいと思いますので、上がることはあっても下がることはないのでは…?もし、運賃収入が3,000万円だったとしても、1億7,000万円は補填されるので、民間事業者にとっては経費削減しなくても、運賃収入を上げなくても経営になんら影響を与えない仕組みになっていませんか?そう考えること自体が間違っているのでしょうか?この感覚自体が世間知らずの馬鹿げた感覚でしょうか?最近、この件に限らず、自分の感覚を疑う日々が続いています。

どう責任を取ろうか?
 私は公共交通の再編に関しては、住民の皆さんに嘘の説明をしていたことになります。“嘘” をついてしまったことに対し非難されても仕方がないと思っています。「説明しちゃったんだよね〜どうしよう…」みたいな面子にこだわっているわけでもありません。でもどうやって責任を取ったら良いでしょう?これからどれだけ議論しても、説明してもこの穴は埋めようがありません。(虚偽の説明をしたってことで懲罰?、政倫審?、辞職勧告?)

運行事業者の考え方
 11月19日に開催された総務文教と民生生活の連合審査会に提示された計画案(10月10日の地域公共交通会議資料)では、“運行事業者の考え方” として次のように書かれています。(それまでもずーっと “検討中” という報告でした。)

『市内に事業拠点を置くバス事業者及びタクシー事業者等が一体となって地域の公共交通を守る仕組みを今後関係事業者と協議を重ねていく中で考えていく予定です。本市としては関係事業者が一体となった組合や事業者等に市内のバス路線の運行委託を考えています。』

 また、10月10日の会議録を見るとある委員から「市が責任をもって運行するといった中には、現在運行しているバス事業者には撤退してもらうということか。」という質問がされている。それに対して事務局は「地域の住民の移動手段は市が責任をもって守っていくという思いで本計画を作っている。現在路線バスは、ウエスト神姫、神姫バスに運行していただいているが、本計画により市の考え方を示したうえで今後運行事業者と協議に入っていきたい。」との回答をしています。

となると…平成26年12月22日と27年2月23日に地域公共交通会議が開かれていますので、そこで議論(ではなくあくまで報告ですね。)がなされたはず。しかし、この2回の会議録を見ましたが、そのあたりは明確には報告がなされていません。

 公共交通再編計画は平成27年3月18日〜4月16日までパブリックコメントにかかっていましたが、その直前、3月4日の総務文教常任委員会に提示された計画案には、 

『運行事業者は、民間事業者の運行実績・ノウハウを最大限活用し効率的な路線運営を図りながらバス事業を安定的に運営し、サービスの維持・向上に取り組むことができる一般乗合旅客自動車運送事業の許可を受けている民間事業者とします。』

と書かれています。この11月19日〜3月4日の間にどこかで方針の転換、重要な決定がなされていたのです。「それを見逃したお前が悪い!」と言われれば…何も言えません。言い訳をするわけではありませんが、市はこの再編計画に対する “議会” の役割(立ち位置といったほうが正確かな?)として10月10日の会議の中でこう言い切っています。ある委員の質問「再編計画について最終的に議会の承認がいるのか?」、そしてある委員の回答「公共交通再編計画は、議会の議決項目ではない。ただ、議会でも公共交通調査特別委員会が設置されて検討された経緯もあるため、総務文教を窓口として密に報告し、理解を求めていきたいと考えている。計画自体の承認はこの公共交通会議が最高議決機関という位置づけでご理解願いたい。」おそらく委員の発言ではなく、会長(副市長)か事務局の発言だと思いますが…。まぁこの立ち位置の議会があーだ、こーだ言っても屁のツッパリにもなりません。話が違う!関連予算を認めない!なんてこともしないでしょうし…。
バスに乗るしーたん(公共交通再編計画の表紙より)

2015年8月21日

この夏、考えたこと【議論】

宍粟市はもう秋の装いです。お盆開けにはもの凄い雨が降りました。しかし、その後の宍粟市は朝夕は肌寒く感じる日があるほど…。田んぼには赤とんぼが舞い、稲がだいぶ成長し頭を垂れています。猛暑、雷雨の次は台風に注意が必要です。太平洋上にある2つの台風、今後の動きに注意しましょう。

この夏…
 いつもとそんなに変わらない “夏” …。いつもよりチョッと暑かったかな?「暑いなぁ〜川で泳ごう!」って感じで、今夏はよく泳いだなぁ〜とってもとっても気持ち良かった。70年前の夏はどうだっただろう?今年は、集団的自衛権、安保法制、原発再稼働…。いろいろ考えることが多かった。過去形ではなく、現在進行形ですね。甲子園での高校野球も終わり、9月議会に向けていろいろと準備で忙しくなります。9月議会も3回目…“議員” の仕事についてもいろいろ考えることが多い夏でした。考え、行動すればするほど虚しくなっていく “議員” って仕事は一体なんなのでしょう?やはり、ある一定地域、ある特定の人や団体の要望をコツコツと行政に伝え、叶えていくことが “議員” の仕事なのでしょうか?全体の奉仕者…日本国憲法15条2項「公務員はすべて国民全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない。」でしたよね。とか言いながら、この国で「憲法では…」って言うことも虚しくなってしまう…。そんな夏でした。

驚いたこと
 前回のブログで『この“まち”の危機』についての私見を書かせていただきました。少しずついろいろなことが見えてきました。公務執行妨害による職員の逮捕、学校給食への異物混入、入札での予定価格の入力ミス…今回の“負”の部分は氷山の一角です。
 学校給食への異物混入…散弾銃の弾の破片が鹿肉に入っていたという驚くべき事実も明らかになりました。駆除した有害鳥獣の利活用…子どもたちをそんな危険な状況においてまですることでしょうか?対応として弾(鉛)を発見するために給食センターへ鹿肉を卸している事業者がレントゲンのような装置を置くそうです。しかし、ある議員はそんな装置を置かなければならないとなるとある特定の業者のところかでしか鹿肉を扱えなくなるから、産業振興という面では問題がある…そのような趣旨の発言をされました。

勉強不足
 私は先輩議員から勉強不足を指摘されたり、いろいろと教えていただいたりと自分の “勉強不足” を実感する機会がたくさんあります。今日も大先輩から勉強不足を指摘されました。そして “事前審査の禁止” ということについて先輩に教えていただきました。議会では議案として上程されるであろう案件については、事前に議会内で協議してはいけないみたいなニュアンスでこの “事前審査” という言葉が登場します。宍粟市では、第二次総合計画が12月議会に上程される予定なのですが、その総合計画について各委員会で議論し、何らかの提案をすることを予定しているのですがある先輩議員は「事前審査に当たる可能性があるので、すべきではないのでは?」とおっしゃるのです。私はいわゆる与党会派(市議会には与党も野党もないはずですが…)やある特定の議員と首長の間で事前に、秘密裏にやりとりが行われるようなことを “事前審査” というふうに呼ぶのだと思っていましたがどうやら違うみたいなのです。

私が知りたいこと
 そもそもこの “事前審査” というのが何を指すのか?何を根拠にそれを禁止しているのか?がよくわかりません。地方自治法に “事前審査の禁止” が明文化され、記載されているわけではありませんし…。地方自治法第115条「普通地方公共団体の議会の会議は、これを公開する。但し、議長又は議員三人以上の発議により、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。」の会議公開・議事公開の原則から、議案を審議する前に非公開、全文議事録のない場所で議員が審議することを禁止するというものらしいのです。また平成20年に地方自治法が改正されたことでだいぶその解釈が変わってきているらしいのです。その点でご指導いただいた先輩は、もちろん平成20年以前より議員をされております。私たちが使っている「議員必携」という本(議員になると「勉強しなさい!」って感じで渡される本)は、平成24年に改訂がなされており、そのあたりの記述がゴロッと変っているらしいので、もしかしたら改訂以前の議員必携を元にご指導いただいるのかもしれません。
 ちょっと調べると…「これまで全員協議会(宍粟市の場合は議員協議会?)は正式な会議ではなく、公開が決まっているわけでもなく、また議事録も全文議事録ではなかったため、あくまで非公式な場であり、上程されるであろう議案に関係するような質疑は “事前審査の禁止” に該当するとされた。」という説明が出てきました。そして平成20年の地方自治法第100条に第12項「議会は、会議規則の定めるところにより、議案の審査又は議会の運営に関し協議又は調整を行うための場を設けることができる。」という規定が加わったことにより、会派代表者会議や全員協議会はその議会の会議規則により、正式に議案の審査又は議会の運営に関し協議又は調整を行うことができるようになったらしいのです。委員会は、どう考えても公式な場なのでそれほど気にすることもないのではないでしょうか?非公式な場で審査が行われることはあってはならないのは誰でも理解できます。非公開、全文議事録のない場所で議員が審議することを禁止…裏でコソコソと取り引きするな!公式の場で正々堂々と議論せよ!ということですね。ちょこっと調べただけなので、間違っているかもしれませんが…。

 最後に今回の写真は、宍粟市の北部にある音水湖(引原ダム)にある案内マップです。ここには、湖の底に村が沈んだこと、戦争で途中工事が中止になったこと、水入れの前夜には住民が涙しながらお酒を飲んだことなど、湖の歴史が書かれています。ある人たちの利益のために負担を強いられる人たちがいるのは、今も昔も変わりないのですね。この案内マップを作ったのは、市の最高規範である自治基本条例にうたわれていながら、条例改正の議論の前に(ある一部の利益のために…少なくとも私はそう思っています。)解散させられてしまった “まちづくり協議会” が作ったものだというのも皮肉なものです。

2015年8月12日

この “まち” の危機【議論】

 宍粟市でも、猛暑が続いています。最近は、夕立がありそれから比較的涼しくなりました。朝夕は肌寒いくらい…でもまだまだ暑い日が続いています。地元産の夏野菜を食べて乗り切りましょう!
地域包括ケア講演会のようす
前回のブログ更新からだいぶ時間が経ってしまいました。スケジュール帳を見返すとこれまでに…地域包括ケアの勉強会、常任委員会とそれに続く国保の勉強会、第二次総合計画の審議会、総合教育会議、地域創生戦略会議、タウンミーティングなどなど…そして、地域の行事ごともたくさんありました。いろいろな “まち” の将来に関する会合が続きましたので、“まち” づくりの方向性を確認するとともに市民の声を聴く機会にできれば…という思いでできる限り傍聴させていただきました。しかし、会議のメンバーの中には議員の傍聴を快く思わない方もいらっしゃるとのこと…。行かなければ行かないで「サボっている」と言われるし、行ったら行ったで「議論に制約がかかる…邪魔」みたいなことも言われます。別に何を言われてもあまり気にしないタイプ(実際はもっと言って!くらいに思っていますが…)の私としては聞き流せるのですが、気になるタイプの方にとっては、表立って何もしないという選択をしてしまいがち?議員にも市民にもいろいろな考え方があり、それが民主主義の良いところでもあると思うのですが…。

新聞報道などから
 臨時会(7月10日)から、これまでの間に宍粟市の “負” の部分が新聞などで数多く報道されました。公務執行妨害による職員の逮捕、学校給食への異物混入、入札での予定価格の入力ミス…。報道はされていませんが、6月末から約2週間、住基ネットが国や県から遮断されたということもありました。前述の入札での予定価格の入力ミスというのは、このネットワークが遮断されていた間に執行された入札で起こったことです。詳細な報告を求めている最中ですが、どうやらネットワークが遮断されていることで、市役所内では開札ができず、不慣れな別の場所で開札が行われ、そこでミスが起こっているようです。入札って何億円もかかる工事をどこに発注するかが決まるようなとってもデリケートなもの…予定価格は機密中の機密…ほんとに大丈夫?税金が無駄に支出されていない?ネットワークが遮断されたそもそもの原因は職員の操作ミスだそうです。なんか緩んでいる雰囲気が感じられ、原因は “職員の単純なミス” など職員個人の問題で片付けられない、組織として根深いものがあるように思います。徹底的な原因究明を “議会” がしなければならないのですが、“議会” は組織としては、こういうことに関してなかなか動かない変わった組織だということを身をもって体験しています。…と議会に対する不平、不満をぶちまけたところで何も解決しませんので、徹底的に追求していきます。言っておきますが、職員個人というより、組織や行政という仕組みに問題があると思っていますので、結局は議会(もしかしたら市長もかな?)の問題に還ってくるように思います。あっ、だからか “議会” がこういう問題に関してなかなか動かないのは…。自分達の無能ぶりを自分達で証明することになるのですから…。

議会なんていらない
 議員になって2年とちょっと…何度も何度も “議会なんていらない” と思いました。市民から定数や報酬の問題と絡めて批判的に言われることもありますし、議員の発言、行動からヒシヒシと感じることもあります。議会(議員)が提案しても執行部は何も動かないのに、ある一部の(力がある?しがらみガチガチの?)市民が同様の提案をしたらすぐに動く…。(そこに次の選挙が見え隠れするからまたタチが悪い。)そのことに対して議会は何も言わない…。確かにどんな状況であれ “まち” が良くなれば、市民の生活が充実すればそれで良い(誰の手柄か?なんて小さなことにこだわるのは私の美学に反するので特にそう思うのかもしれませんが…)とは思いますが、今回のように “負” の部分に関しては別です。今回の件に限らずこういった “負” の部分について、議会に報告が上がってこないなんてザラにあります。議員が新聞報道でこういった事実を知るなんてこともザラにあります。こんな状況だから、議会なんてあってもなくてもいいんだ… “まち” は動くんだって思うのです。先輩議員が「議会とは議決して市政を停滞させないことが役割だ」って言っていたのを思い出しました。そういう意味では役割を果たしていますね。

市民に注目して欲しいこと
 最近起こったいろいろな “負” の部分…。これから原因分析、再発防止策、処分などが明らかになってきます。ぜひ注目していただきたいと思います。給食への異物混入では、新聞に “建物の老朽化原因?” ってわざわざ “?” つきで報道されました。これは、異物混入という結果とその原因が結びついていないって言われているようなものです。虫、髪の毛、スポンジ、ゴム手袋の切れ端、長さ約1cmのアルミ片…現在のところ、異物混入の原因として、建物が老朽化しておりサッシに隙間がある、照明が暗い…だから給食センター建て替えましょう!とか設備を更新しましょう!って言いたいのでしょうか?こんな原因分析しかできない組織に対して、議会も教育委員会も原因究明と再発防止を求めるだけで良いのでしょうか?物事の本質に迫ろうとしないという意味での “隠蔽体質” …。これこそが、この “まち” の危機なのかもしれませんね。

2015年7月11日

請願は不採択…ってことは?【報告】

 
なんか “平和” だよね〜
宍粟市はここ2〜3日、とっても湿度が高く、ジメジメとした日が続きました。今日は比較的涼しくて過ごしやすい日になりそうです。もうすぐ梅雨明けかな?梅雨が明ければ本格的な “夏” 、宍粟市ではいろいろなイベントが開催されます。たくさんの人に宍粟市に来ていただきたいと思います。定住促進への第1段階、“交流” の機会です。“交流” ですので、あくまでギブ アンド テイク…外から受け取るものは物理的なものだけではなく、考え方や視点など目に見えないものまで含めて考えていきたいものです。そして、内からもお土産物など物理的なものだけではなく、スローな時間、気持ちの良い空気、目に優し風景、人情なども含めて提供していきたいものです。

臨時議会
 昨日10日に宍粟市議会は臨時会がありました。人数が少なくなってしまった(表現が難しい…)3つの小学校を統合し、新たな小学校を建設する「工事請負契約の締結について」っていう議案が上程されました。申し訳ないですがこの議案には “反対” しました。小学校の統合に反対しているわけではありません。合併以前からじわじわと進んできた過疎化、少子化が止められず子どもの人数が減ってしまった、今後もこの傾向は止めることができそうもない…教育環境、財政などいろいろな観点で “統合やむなし” という合意が地域内でとれている事案ですので… 。また本年度の当初予算に対して修正案をぶつけたのは、この予算についてではなかったですし…。
 今回、3つの小学校のうち、ある小学校を改修して統合するのではなく、その3小学校区から生徒が通う中学校の敷地内に新たな小学校を新築するという手法をとっています。当初はこの中学校に一番近い小学校を改修、増築しようという方向でした。しかし、現在の 細い進入路、児童一人当たりの床面積など総合して考えると “狭い” という印象は否めません。また、改修に相当の費用がかかることも予測できますし、新築となると財政的にその負担に耐えられるのか?という不安があるのも事実です。この “財政的な不安” は、住民の方にとってはあまりピンとこないかもしれませんし、“不安” という抽象的なことしか言えないのであれば議員としての存在価値はありません。この契約案件は可決し、4億1,580万円で新しい小学校の校舎が建設されます。この件は改めて…。

もう一つの本題…
 今回の臨時議会は、小学校の工事についての入札が6月30日に予定されていたので、落札されるだろう…という予測のもと以前から決まっていました。今回、そこに “請願” が提出されていました。『「安全保障関連法案」の成立断念を求める請願』です。宍粟市議会として「安全保障関連法案」の成立断念を求める意見書を提出してくださいという請願です。私自身は集団的自衛権、今回の安保法案には “反対” する意思を固めていますので、“採択” すべきという側です。賛成討論で長々と、なぜ “採択” すべきかを述べ、他の議員を説得しましたが、賛成6、反対9、欠席2…で “不採択” となりました。その後、反対9の中から『「安全保障関連法案」の慎重審議を求める意見書』の動議が提出されました。動議はいきなり本会議で提案されました。結果は賛成11、反対4、欠席2で “採択”  となりました。私は、反対4のうちの一人です。えっ?なんで?矛盾してない?って思うかもしれませんが、“慎重審議” ってすごく幅の広い意見を包括しています。法案には賛成…だけど国民が理解していない…だから時間をかけて説得すべき!とか、法案には反対…だけど成立してしまいそう…だからその反対意見が聞き入れられるまで粘る!とか、法案の中身はよくわかんない…だけど政府は必要だって言っているし、一方で反対意見も多い…だからとりあえずよく話し合えばなどなど、だから “慎重審議を求める意見” っていうのは、多くの人に支持される意見、最大公約数の意見、無難な意見ってことになります。

今回の結論
 “成立断念を求める意見” も、ある程度の幅をもっていますが、基本は今審議されている法案には反対…だから成立を断念せよです。私は、今回の法案について言えば、憲法改正が発議され、国民投票にかけ、その結果として国民の過半数が支持したのであれば、そしてその改正憲法の範囲内で同じような法案が成立するのであれば受け入れるという意見です。現状はいくら慎重に審議をしたところで政府は成立させるために法案を出しているわけだし、強行採決だろうが、衆議院さえ通過してしまえば(参議院で否決されようが…)成立する状況です。しかも審議時間が100時間を超えているような状況で慎重審議を求めるということは、結果として法案に賛成という意思表示になります。でもハッキリと “賛成” と言えない…それくらいのボヤーッとした結論です。安保法案賛成=違憲OK、戦争OKと捉えられても仕方のない状況です。あくまで状況としてですよ、状況として…。

思考停止
 この件に限らず、私は多くの人が “思考停止” に陥っていると思います。その人たちそれぞれが悪いというより、これも状況として “思考停止” に陥らざるを得ない状況だと思います。だけどですよ、議員は絶対にその状況に流されてはいけないと思います。今回、慎重審議を求める意見書に賛成した人も考えているとは思えません。国民的理解が得られていない?憲法学者が違憲だと言っているから国会が混乱している?…だから何?って話です。意見書の中身(案ですがそのまま提出するでしょう…)をここに掲載します。

「安全保障関連法案」の慎重審議を求める意見書

 政府は、集団的自衛権の行使を柱とした「閣議決定」を具体化するための安全保障関連11法案を5月15日、国会に提出し、今国会での成立をめざしている。
 しかし、提案された安全保障関連法案は、政府与党が推薦した参考人からも憲法違反が指摘され、国会の中でも混迷をきわめている。
 よって、安全保障関連法案の今国会での慎重審議を強く求める。

 大丈夫ですか?これに “賛成” した皆さん?(特に国政政党に所属されている皆さ〜ん、与野党関係なく…)きっと「バカにしているのかっ!」って反応されますよ。文章としての出来は最悪だと思いますし…。いくら慎重審議をしても与党が法案を引っ込めない限り成立しますよ。また他の方は、「憲法学者の意見はどうであれ、国は領土や国民を守る義務を負うっ!」ておっしゃっていましたよね。心配です…ってことで今回のブログは終わりです。

2015年7月9日

教科書って何だ?【雑談】

宍粟市の今日は雨…。天気図を見ると台風が3つも…。台風が梅雨前線を刺激すると大雨になることが多く、私も1995年7月11日に長野と新潟の県境で起こった豪雨災害の経験者です。その時は幸いにも別の場所におり直接の被害にはあいませんでしたが、何ヶ月もその当時の家に帰ることができず避難生活を送った経験があります。また翌年の冬には、その災害復旧工事の現場で土石流が発生し、多くの方が亡くなりました。この時期になると思い出します。皆さん気をつけましょう。

検定教科書 
 宍粟市では今日まで “教科書展” が開催されていました。10日に臨時議会があり、その議案を市役所に取りに行ったついでに、ちょっと覗いてみようと思い立ち寄りました。現在、市内の小中学校で使われている教科書と来年度の候補がズラーッと並んでいました。実は宍粟市の中学校でも期末テストが終わり、うちの息子のテストが返ってきました。(結果は皆さんの想像にお任せします…。)うちの息子がどこをどのように間違えたか?返ってきたテストを眺め、息子にいろいろ聞くと…今の教科書ってどんな風なのか?自分たちの頃とは違うだろうなぁ〜と興味がありました。ちょっと覗くだけのつもりが2時間くらい眺めておりました。自分が小中学生の時にはそんなこと思いもしませんでしたが、教科書ってなかなか面白いものなのですね。

先生は大変
 検定教科書といっても、出版社によっていろいろです。最近では歴史と公民の教科書がいろいろと話題になりましたが、それ以外の教科についてはどれも大差ないだろうなぁと思いながら、中学英語と中学数学の教科書を幾つか見比べてみました。宍粟市では中学英語が開隆堂のサンシャイン、数学が数研出版の中学数学というのを使っているようです。当然ですが自分が中学生の頃の教科書とは内容が全く違いますね。私がその内容や選定に口を挟めるわけないのですが、チョット感じたことがあります。それは使う教科書によって、先生の教え方(力量?経験値?)への依存度が違うということです。教科書に書いてあることをたどっていけばある程度まで子ども達に伝わりそうだなぁ〜という感覚と先生が内容を噛み砕いて伝え方を工夫しないとなかなか子ども達には伝わらないだろうなぁ〜という感覚の違いです。

専門家に聞いてみたい!
 英語…出版社によって単元のまとめの位置にだいぶ差があるなぁと思いました。教科書の頭から順に授業をしていっても、単元のまとめまでたどり着かないで学期末を迎えてしまうような教科書もあります。中1の最初の方はbe動詞、一般動詞を扱っているようですが、文法としてのまとめが60ページあたりに登場する教科書があります。もし見通しを持たずページ順に授業をしていれば1学期でそこまで到達しないと思います。テスト範囲ってやつにも反映されないのでは…と思います。(もちろん “60ページ参照” みたいに随所に書いてはありますが…)
 数学…中1の1学期で文字式を扱っているようですが、説明の仕方に違いがあるなぁと思いました。文字式の最初の例として、60円 のものをX個 買った時の代金としての60XX円 のものを60個 買った時の代金としての60X…という表現の違いがありました。例えば①2,000円 60円 のものをX個 買ったときのお釣り?、②あるものが60個 欲しい、予算は2,000円、一ついくらだったら60個 買えるか?みたいに随分意味合いが違ってきます。①は文字(変数)が数字の後ろに来るというルールみたいなものには気づきにくい(触れなくても済んでしまう)と思います。その点で②は、X60 と表してもおかしくはありません。そこでルールを教える必要が出てくるのでは?…また、変数Xという意味では、こちらの方が生活実態?に合っている気がします。まぁ(誰かさんが…)授業でbe動詞、一般動詞って言葉自体を聞いたことがないなんて言うし、Are you play succer? みたいな回答をしているみたいだし…。数学では、2000-X60 みたいな回答をしているみたいだし…。頭痛いわっ!ぜひ専門家(そもそも誰が専門家なのかはわかりませんが…)と言うか詳しい人に聞いてみたいです。学識経験者って方が適当でしょうか?「生徒さんの理解力の問題ですね〜心配なら塾に通わせたらいかがですか?」とか「家庭で勉強をみてあげてください。」って言われたらどうしましょう…残念ながらどちらもできません。ごめんなさいって謝ることはできるかな…。

2015年7月4日

手段の目的化 【議論】

写真は本文と一切関係がありません。
宍粟市はまだ梅雨が明けていません…。雨音で目が覚める朝もしばしばあります。私の中でいつしか、雨=雨漏りという図式が出来上がっております。最近は家の中には漏れてきませんが、屋根裏でポタポタと音がします。文章で表現するのは難しいですが、ポタと次のポタは連続しています。1秒間に8ポタくらい…雨漏りしていないということではありません。その証拠に天井のシミが広がった気がします…。今日のブログは、いろいろな場面で常に引っかかること…それは “手段の目的化” です。それについて書きたいと思います。いろいろな場面で「いやいや、それって手段ですよね〜。そもそも何のためにしているんでしたっけ?」と尋ねることがあるのですが、なかなか答えは返ってきません。またそれを “文句” って捉えられてしまうので、それが厄介…。もう何も言えなくなりますよね〜(私の聞き方がいけないのかもしれませんが…。)

癖、習慣になるまで…
 私が社会人になった時、上司には本当に恵まれたと思います。とにかく「何の為に?」「目的は?」「なぜ?」と繰り返し問われ続け、育てていただきました。それは厳しく、時には自分自身を否定したくなるようなこともありました…しかしこの経験によって「なぜ?」を繰り返して自分に問いかける癖、習慣がつきました。「これをやることで何が達成できるのか?」「そもそも何のためにこれをやっているのか?」「他に方法はないのか?」と考えるということは、批判的に物事を見る(もちろん自分自身を批判的に見ることも含みます。)ということでもあり、それは “目的を見失わない”、“手段を目的にしない” ということです。批判というのは、そもそも多角的に物事を見ること、また多角的に見るように促すことではないのでしょうか?これをしなくなった時が “思考停止” に陥った状態だと思います。“思考停止” は、自らの可能性の否定だと思います。自分自身、また周囲の人が太鼓持ちやイエスマンばっかりだったら不幸です。

引っかかったこと
 誰がどこでおっしゃったかは忘れましたが、「◯◯の実現の取り組みに向けて議論する…」という文章…引っかかりますね〜。なぜ「◯◯の実現に向けて議論する」ではないのでしょうか?「何が違うの?」「重箱の隅をつつくようなことを…」と思われますか?議論すること(手段)によって実現させたいのは、“◯◯” という部分でしょうか?それとも “◯◯の実現の取り組み” でしょうか?これは大きな違いがあると思います。なぜ、このような回りくどい感じになるのか?それは知らず知らずのうちに責任回避をしている(または失敗した時に言い訳ができる余地を残している)ことの表れだと思います。「◯◯の実現に向け、その具体的な取り組みについて議論している」ということなんだろうけれど…。
 “◯◯の実現”を目的とした場合、議論という手段を通じて、◯◯が実現しなければいけません。または実現に向かわなければなりません。しかし、“◯◯の実現の取り組み” を目的(これも手段でしかないのですが…)にしてしまうと、議論という手段を通じて、◯◯の実現に向けてとりあえず取り組みました…で良いことにもなりかねません。もちろん、行為(手段)自体が目的になること、やること自体に意義があるものもありますがその多くはプライベート、娯楽、趣味の範囲のことです。これも長い目で見れば「人間らしく豊かに生きること」という目的につながることかもしれませんが…。

完璧ではないからこその自己批判
 “手段の目的化” って、ちょっと油断するとすぐ目の前にやってきます。だから常に自分自身に言い聞かせるのです。「これをやることで何が達成できるのか?」「そもそも何のためにこれをやっているのか?」「他に方法はないのか?」と…。目の前の行為に没頭するあまり、それをすることに自己陶酔し、本来の目的を失わないために…。
 この “手段の目的化” という罠は、「補助金を使って事業をする」場面に潜んでいることが多いのです。こんなことがしたい、あんなことしたいということは何か目的があってのこと(今回の場合、目的とそれを実現する手段が公的、社会的に正当性が認められるという前提です。)でもそれをするお金がないから補助金があれば助かるな〜、その補助金を使ってある “目的” を達成できれば、税金が社会に還元されたことになります。補助金はある公的、社会的に正当性が認められる目的達成のための “手段” です。しかし、こんな補助金があるなら、何か使えないかな〜となると一瞬で “補助金” を使うことが目的になってしまいます。そこに私利私欲(実際にお金として自分に入ってこなくても、名誉欲や権力欲みたいなものを満たそうとする場合も同様です。)があれば、それは税の使い方として酷い状態です。そんな税金の使われ方が横行しているのも批判的な視点が世の中に欠如していること、思考停止していることの表れではないでしょうか? 
 公務員、議員など公的機関に勤める者、給料や報酬の原資が税金である者は、相当な自己批判力を持たなければなりません。もちろん、公的機関に勤める者が生活し、子育てをし、余暇や趣味を楽しむことを否定する気はありません。ただ、自分自身の仕事が税金を使って行われていること、それは自分の存在自体が公的、社会的に正当性が認められた目的を達成するための “手段” の一つであることを意味します…と自分に言い聞かせながら、また思いが先行して取り留めのない文章になったことを反省しながら寝ます。

2015年6月29日

堂々巡り【議論】

宍粟市では今日、終戦70周年戦没者追悼式が行われました。議員になって初めて参列させていただいたのですが、いろんなことを考えました。今回のブログは、その “考えたこと” をつらつらと書きたいと思います。

犠牲ってなんだ…
 私は1971年(昭和46年)生まれ…。両親は終戦の1945年(昭和20年)前後に生まれていますので、戦後の混乱期に幼少時代を過ごした世代(団塊の世代よりもチョット前)ということになります。祖父母が戦争の当事者でしょうが、私は祖父母と同居した経験がほとんどなく、直接 “戦争” について、聞いたり、感じたりすることなく育ちました。『戦争を知らない子供たち』って歌が流行ったのも私が生まれた頃らしいです…。 
 今の日本の平和やこれまでの発展が、戦没者の犠牲の上に成り立っている…。確かにそう思わないとやりきれないという気持ちは理解できます。また、戦没者のご家族など多くの方々が戦後の混乱から日本を立て直す時、苦労されたことも理解できます。私はすでに平和で経済的、文化的に発展した日本を生きてきたのでしょう。東京オリンピックが1964年、大阪万博が1970年、札幌オリンピックが1972年…その頃、生まれた団塊ジュニアですので、平和や経済発展の恩恵を思う存分に享受してきた世代ということになります。しかし、それらが戦没者の犠牲の上に成り立っているという言葉を聞いて…何か引っかかるものがありました。その犠牲がなかったら平和、経済発展などがなかったのでしょうか?逆に平和とか、経済発展とか人の命を犠牲にしなければ成り立たないものなのでしょうか?これからの平和や発展のために、人の命を犠牲にすることが繰り返されるのでしょうか?人の命を犠牲にした平和…そんなものがあるのでしょうか?犠牲はあくまで戦争の “結果” であって、平和や発展の “原因” ではないはず…と少し混乱しています。そもそも終戦70周年…そんなこと考えること自体が不謹慎でしょうか?

繰り返して言いますが…
 今、国会で審議されている安保法案…どう考えても賛成できるものではありません。政府はいろいろと説明してはいますが、辻褄が合いません。細かくは書きませんが、憲法96条、憲法解釈の変更、閣議決定、砂川事件判決、武力行使の新三要件、存立危機事態、国連憲章51条などなど…人は言葉、論理で物事を理解します。雰囲気とか、イメージとかですら、それを人に伝えようと思ったら言葉に置き換えて説明します。また政治は言葉、論理でいろいろな決め事とそれが決まった経緯を説明する必要(責任)があると思いますが、それが出来ていません。いろいろな決め事とそれが決まった経緯…時間をかけて説明すれば理解されるものと、時間をかけても理解されないものがありますが、今回の安保法案は後者だと思います。憲法96条(憲法改正の発議要件)を衆参両院の2/3から1/2に改正しようとした時点で、憲法改正をしなければ集団的自衛権は行使できない、つまり “違憲” であることを認識していたわけですから…。

言論を放棄しない…
 こんなこと考えていたら、議員(議会)って条例(規制)、公共施設の使用料や税金の額、税金の使い方、補助金などなどたくさんの決め事をしています。でも言葉、論理でいろいろな決め事( “決めない” ことを決めることも…)とそれが決まった経緯(決まらなかった経緯も…)を説明できているでしょうか?裏でこっそり決めるとか、一部の特別な人達だけで決めるとか、またそれを容認してしまう雰囲気(言っても無駄っていう感情)とか…言論を放棄している姿(特に政治家と呼ばれる人達の…)には、危機感を覚えます。そんなこと言っている私も努力はしていますが、十分できているとも思っていません。どれだけ言葉を尽くしても、論理を駆使しても言い尽くせないことはありますし、伝わらないところには伝わらないのも事実です。

“正解” なんてない…
 私は議員になって1期目3年目…議員って当選回数や在任期間で何となくポジション、発言力が決まる(決まると思いたい人達が集まった)変な世界なので、1期目は何もできない(そう思われているからそれに甘えて何もしない…)という独特の雰囲気が流れています。だからベテラン議員の方々の姿をお手本にしようと思いましたが、3年経ってもお手本としたい方がいない…。その中でも “言論” という意味では、お手本にしたいと思っていた方がいましたが、3年経ったら本気さ感じられなくなった、薄ぺらいことに気づいてしまった…。他の市町村、都道府県を見れば、尊敬できたり、勉強になったりというお手本としたい方はたくさんいますが、それはお手本であって “正解” ではありません。そもそも “正解” なんてない…いやいや、“正解” には一生辿り着けないと言ったほうが正確かもしれません。今日は1日そんなことを考えていました。そして、戦争の犠牲となった人たちは、どう思うのでしょうか?言葉を介して理解することができません…堂々巡りです。

2015年6月25日

考えすぎ?【雑談】

宍粟市は、24日の15:37に “大雨洪水警報” が発令され、17:38に解除…。しかし、自宅周辺では雨は全く降っていませんでした。雨雲レーダーの履歴を見たら、岡山、鳥取、兵庫の県境(三国境?)辺りに1時間雨量20〜30mmという強烈な雨雲がしばらく滞在していたようです。それに反応した警報だったのでしょうか?これからは、そういう季節です。雷、大雨、それに伴う洪水や土砂災害…注意しなければいけません。

定例会
 6月定例会は終わりましたが、議員の活動は定例会以外(閉会中)もズーッとあります。この年4回の “定例会” という仕組みが厄介で「年に数えるほどしか議会に出ていないのに報酬が高すぎる!」という批判は常に渦巻いています。(通年議会ということに取り組んでいる議会もありますが、賛否両論あり、課題も多く、現在は少数派でしょう…)確かにただ議員という肩書き、身分だけでなーんにもしていないのでは?と思われても仕方のない人たちは確実に存在(私もそのように映っているかもしれませんが…)しますし、仕事=拘束時間ではないので遠目からは優雅だ…と映るのかもしれません。何かをしても、しなくてもどちらにしても批判されることが多い仕事です。

学問と政治の関係
 今、国会では安保法案が審議されています。先日は、衆議院憲法審査会において、憲法学者が安保法案を “憲法違反” だと明言しました。多くの憲法学者が同じように安保法案が違憲であるとの考えを表明しています。私は集団的自衛権行使容認の閣議決定がされた頃から、日本国憲法の入門書を買い、本、ラジオ、インターネットなどで憲法とか立憲主義とかちょっとだけ調べています。(その頃から長谷部恭男氏、小林節氏のお名前は聞いたことがありました。)
 現時点では関心を寄せることくらいしかできませんが、自分には関係ないこととして目をそらし、思考停止に陥ったらそこで国の決定にYesを言ったことと同じになると思います。もちろん、集団的自衛権や今審議されている安保法案などに反対すると、売国奴?左翼?反日?なんて批判されます…。でもお互い様ですよね。
 今回の議論で、法案に反対の立場を取っている層には、憲法を変えるなという主張を軸に反対している層と、もし集団的自衛権を行使できる国にするべきだと主張するならば、憲法改正を発議して国民投票にかけるべきという、閣議決定、解釈改憲などそのプロセスに対して反対している層があるように思います。私はどちらかといえば後者ですね。今の憲法を無視して、重要な政策決定を行うことこそ、“国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険” だと思うのですが…。皆さん、難しい話とか、遠い将来の話として目をそらしていませんか?

引き寄せた?
 写真は現在、持ち歩いている本です。左:『多数決を疑う』−社会的選択理論とは何か−坂井豊貴著(岩波書店)と右:『始まっている未来』−新しい経済学は可能か−宇沢弘文・内橋克人著(岩波書店)です。左の本は社会的選択理論とかいう視点から、右の本は経済学の視点から、今の日本の危うさを憂いています。タイトルだけ見てパッと手に取ったり、大学院の課題として提供されたりという程度で読み始めましたが、やっぱり今の日本って、危うい状態みたいです。事の大小はあるかもしれませんが、身近なところでも同じような事は日常茶飯事として起こっています。大袈裟でしょうか?考えすぎでしょうか?

2015年6月22日

6月議会閉会【報告】

神戸新聞NEXTより
宍粟市はもう夏の装いです。6月も下旬ですので当たり前と言ったら当たり前なのですが…いろいろな所で “ホタル” が優雅に飛んでいます。“ツバメ” もヒナがかえり、親鳥は忙しくエサを運んでいます。(今年はうちに “ツバメ” が帰って来てくれず、寂しい夏を迎えています…。)
宍粟市議会6月定例会が19日に終わりました。 3度目の6月定例会…任期も3年目に入ったわけです。この2年間で “地方議会” を見る眼は確実に厳しくなりました。発端は兵庫県議の政務活動費問題でしょう…。議員報酬とは別に月額50万円が支給されていたこと、その使途についての決まり事が緩かったことなどなど…いろいろな事実もこの問題によって多くの人が知ることとなります。支給方法や報告の厳格化(しかも月額45万円に減額)をしたら、2014年度の返還金が過去最高の1億1,500万円って…これまで何に使われていたのか?このあたりは議会の自浄作用に期待するしかありません。ちなみに宍粟市議会は、報酬で県議の約1/3、政務活動費で1/30です…諸手当や政務活動費の使途を考えるとその差はぐーんと広がります。面積では、兵庫県8,396㎢、宍粟市658.54㎢で7.8%、人口では、兵庫県5,588,133人、宍粟市は40,938人で0.73%…兵庫県議の定数89、宍粟市議会は18です。だから何?って話です…。
 
6月議会で明らかになったこと
 これまでも議案になって初めて知らされること、一般質問の答弁によって明らかにされることがたくさんありました。今回は51号議案「教育長の任命」から62号議案「中学校校舎の耐震・改修工事の請負契約締結」まで12議案があがってきました。その中で…新たな補助金3,000万円が準備されたこと、学校で文部科学省の補助事業に取り組むこと、市長も教育長も3歳児教育は努力義務であるという認識(これは以前からわかっていたので再認識です)であることなどが明らかになりました。ちなみに今回、私が反対した議案は62号議案です。

無計画、ご都合主義
 新たな3,000万円の補助金は、産業連携促進事業等補助金といい、1件500万円で半分くらいの使途は既に決まっているらしいです。広く募集されるわけではなく、ある特定の団体(個人?)の要望に応えるために創設された補助金であることは明白です。また産業連携促進事業というところ(行政ではこの “等” を上手に使って使途をぼやかすことが良くあります…)での使い道もある程度決まっています。別に反対はしませんでしたけど、ちょっと都合良すぎやしませんか?当初予算に上げておくべきでしょ?
 文部科学省の補助事業150万円(ほとんどが報償費)は、正式には首長部局等協働新学校モデル構築っていう事業です。教育委員会制度が変わり、これまで教育行政(教育委員会)には形として口を挟むことができなかった市長が、堂々と口を挟めるようになりましたのでそれを実践するような事業です。ここで気になるのは、宍粟市への愛着や誇り みたいなことが前面に押し出されていることです。宍粟市を “知る” ってレベルならば、教育として成立するのでしょうが、宍粟市の良さを知る、住み続けたいと思うってレベルになると答えや一定の価値観に子どもを誘導することになり、教育というレベルを超え、洗脳に近くなります。宍粟市は良いところだ、住み続けたいって思わない、思えない子は排除されてしまいませんか?
 3歳児教育の件については、そもそもの宍粟市幼保一元化計画の計画期間を無期限に延長するって明言した時点で、市内全域に認定こども園が整備されるまでの間は、3歳児で幼稚園教育を希望する層(新制度での1号認定)は、認定はするが市内ではその機会は保証しないということを明言したことになります。子ども子育て支援法ってそんな都合の良い解釈が許される法律でしょうか?(法解釈については今後、法律の専門家に聞いてみたいと思います。一度、内閣府の担当者に聞いたことがあるのですが “努力義務” なんて解釈はあり得ないという回答でした…。)

安保法案…
 今、国会で審議されている安保法案について言いたいことが山ほどあります。集団的自衛権行使容認の閣議決定を機に憲法について考えるようになりました。護憲、改憲、保守、革新、右派、左派…そんな “レッテル貼り” はどうでも良く、自分の信念として、今回の集団的自衛権の行使容認、解釈改憲、安保法案については断固 “反対” します。
 私はポツダム宣言、日本国憲法、安保法案、自民党の憲法草案などなど “つまびらか” に読んでいませんが、感覚的に今の日本の政治がおかしい(可笑しい?)ことはわかります。それは地方でも同じこと…特に基礎自治体として確固たる信念がないところでは、同じようなことが起こります。それも “身近な政府” なだけに、うーんと凝縮した形で…この件については改めて…。

2015年6月7日

6月議会が始まっております。【報告】

宍粟市は最近ちょっと肌寒い日が続いています。北海道では雪が降ったみたいですね。また、近畿地方は梅雨入りしたようです。また、季節が変わります。皆さん、体調を崩さぬようお過ごし下さい。

議会構成が変わりました 
 前回のブログ更新から半月ほどが経過してしまいました。もう少し更新頻度をあげていきたいですね…。この半月で、宍粟市議会では議長の交代をはじめ、委員会構成の変更などがありました。5月22日の議長選挙では、18票が、8:8(無効投票2)に分かれ、公選法の規程に準じて “くじ引き” になりました。私は総務文教常任委員会から、民生生活常任委員会へ所属が変わりました。議会広報委員会、政治倫理審査会からは外れました。新しい議会構成はこちらをご覧下さい。→(宍粟市議会の構成)新しい議長には、市民との関係性改善(市民の参画、議会の情報公開、広聴機能の強化など)に向けた議会運営を期待しています。
 3日〜5日にかけて3つの常任委員会が開催されました。一般質問は11日と12日に行われます。私は、会派の代表質問として11日の午前に質問に立ちます。そして、12日〜14日にかけて、市内4会場で会派による “市民懇談会” を開催します。前回の “市民懇談会” では、4会場合計で70名以上の方々にご参加いただきました。しかし波賀、千種会場での参加が少なかったので、今回は波賀、千種会場にも多くの方に来ていただきたいと思っています。政治の話は堅苦しいとか…、あまり表立って話すものじゃないとか…っていう雰囲気がありますが、私は気軽に、普段着で、道ばたで、笑顔で話されても良い話題だと思いますが、皆さんはどう思われますか?直前になってしまいますが、開催まで波賀と千種をフラフラしながら、出会った方にチラシをお渡ししようと思っています。バッタリ会ってしまったら…運が悪かったと思って、チラシだけ受け取って下さい。

これから… 
 一般質問、市民懇談会、委員長報告…これから準備しなければならないことがたくさんあります。いつもギリギリにならないと手を付けられないのです。次は前もって、余裕を持って…と思うのですが、なかなか難しいですね。そう言えば、ずーっと先延ばしになっていた「宍粟・草の根運動の会」の会報、市政報告会も6月議会が終わったら手を付けます。会報は7号を作成中です。市政報告会もテーマと会場、方法について構想中です。こちらもよろしくお願いします。

2015年5月16日

どんな “まち” がお好みですか?【雑談】

文化創造センター図書室(波賀町)
宍粟市の今日は、暑すぎず、寒くもなく…いわゆる “過ごしやすい” 陽気です。しかし、あまり観光客の方は市内に流入されていないみたいです。GWのお出かけ疲れがまだ抜けませんかね?これからの季節の宍粟市も魅力たっぷりです。多くの方にお越し頂きたいと思います。多くの方の目に触れること、多くの方に感じてもらうことが今の宍粟市にとっては、とても重要です。そして、それをフィードバックして頂きたいと思います。良いところも、悪いところも中にいると気づかないことが多いのです。

前回の続き…
 前回のブログで総合計画策定に対するリクエスト…というところで終わっていたのでその続きを書きたいと思います。審議会を傍聴していて、また議会(総務文教常任委員会)で市の担当者からの報告を聞いて感じていることを率直に書きます。それは、今審議されている素案が行政主導で作成されていると言う前提に立ってのことです。(間違っていたらスミマセン…)私は審議会は素案を評価する会議ではなく、総合計画を “策定” するための会議だと思っていましたので、素案自体を審議会で作って欲しいと思っていました…。その素案をもとに行政が計画の体裁を整えるような感じでしょうか?
 条例には、『宍粟市総合計画の策定に関し総合的かつ専門的に審議するため、宍粟市総合計画審議会を置く。』とか、『審議会は、宍粟市総合計画の策定に関し必要な重要事項を調査審議する。』と書かれていますので、守備範囲が広範囲でかつ抽象的…審議会の場で何が話されているのか?何を言って良いのか?どんな意見が求められているのか?この場で何が決まっていくのか?など、審議に関わる市の職員も委員も “暗中模索” のような印象を受けるのです。これはとてもしんどい作業では?本来、何か新しいものを作る創造の過程は、ワクワクすると思うのですが(これも私の価値観と言えばそうですが…)それが感じられない(伝わってこない)のはとても残念なことです。市民がこういったプロセスに参加し、ワクワクしながら新しい価値を創造できる…こんな “まち” は、住んでみたい!住んで良かった!住み続けたい!っていう “まち” だと思うのですが…。別に私自身がこう言った計画の策定、行政の評価などに長けているなんて思っていませんので、“市民” としての意見だと思って聞いて頂ければと思います。(もちろん議員として、伝えるべきところには同じようなことを伝えます。)

ボタンの掛け違い
 先ほど、暗中模索という言葉を使いましたが、その原因は、ボタンの掛け違い…だと思います。まず、10年後の宍粟市がこんな “まち” だったら良いのになぁ〜というイメージが共有されないまま、基本目標、基本方針、基本施策、まちづくり指標を含めた素案が提示されてしまっていませんか?目の前にある程度形作られたものが現れた時点で、審議=評価になってしまうのではないでしょうか?10年後の “宍粟市” って…子ども達にとっては?農業や林業の従事者にとっては?観光産業に携わる人は?お年寄りにとっては?…性別、年齢、職業、居住地などなど多様な意見を審議委員の方が出し合うことから始めていないことが “ボタンの掛け違い” と思った理由です。ここがたくさん議論のテーブルにのれば、基本目標→基本方針→基本施策と具体的にして行きやすいと思いますし、ワクワクしませんか?そして、目指すまちに向っているかを測る指標、“まちづくり” 指標は、こんなふうに思う市民が増えたら良いよね〜とか、宍粟の特産品がどんどん売れてくれれば良いよね〜とか、図書館にたくさんの人がいるまちが良いよね〜とか…勝手に出てくると思います。審議委員の方々は、自分の立場で(または市民の思いを推し量って…)理想の “まち” を語って頂くと言う最大の役割をさせてもらえてないのではないでしょうか?そうすれば小委員会の枠組みももっと違ったものになった気がします。いつの間にか行政の枠組みにはめ込まれてしまっています。

10年後の宍粟市は?
 全部の審議資料が手元にあるわけではありませんので何とも言えませんが…今回の素案の体系は、10年後のまちの姿『…』ー基本目標ー基本方針…基本施策(ここにまちづくり指標が設定されています。)というツリー構造です。10年後のまちの姿(=大目標としておきます。)…第1次総合計画の10年では『人と自然が輝き みんなで創る 夢のまち』だったかと思いますが、これは今回の総合計画にも継承されているのでしょうか?それとも新たな旗印となるフレーズがあるのでしょうか?もし、最後にここを決めるのであれば、それはとてもナンセンスなことです。(市役所の庁舎に書いてあるからコレで行こう…なんて思っているとしたらもうおしまいです…)10年後のまちの姿っていうのは、チョット遠すぎるので5年で基本計画を区切っています。また、基本目標を束ねたものが大目標ではありません。別の言い方をすれば、大目標は山の頂上…登山口が基本目標って感じでしょうか?市民がそれぞれの立場でいろいろな登山口から10年間かけて一つの頂を目指すというイメージです。一体頂上はどこなのか?がボヤーッとしていて、どこに向って、どれだけ歩いたのかがわからないとその道のりは単なる “苦行” です。総合計画は、市民が共有する登山地図&行程表です。どんな山に登ろうとしているのでしょうか?これは、市長の公約とも直結する部分ですので、市長がそこをハッキリさせないといけないのかもしれません。(もちろん議会もなのですが…)

まちづくり指標について
 いろいろ言ってきましたが、もうここまで(夏にパブコメ、9月に議会に上程…)来てしまっているので、今さら感は否めません。そこで “まちづくり指標” ならば、これからどうにでもできるという可能性を信じて最後にいくつかリクエストを…。
 まず、○○に対する市民の満足度という指標について、私の考えを書きます。これはアンケートの時点でも感じたのですが、どう答えて良いか分からないとても抽象的な表現です。例えば農業の振興という基本施策のまちづくり指標、「農業の振興」に対する市民の満足度…平成25年のアンケートで6.8%、5年後の平成32年にこれより増加?これは市民の6.8%しか満足していないのではなく、どう答えていいのか分からないのだと思います。農業従事者、農業振興を担う団体、農産物の消費者、農産物を売る観光施設…それぞれで満足する視点が違いますよね。市民として考えた時には、「地元の農産物が美味しいと感じる市民の割合」とか「地元の農産物が手軽に手に入ると感じている市民の割合」など、“住民意識” に着目してみたらどうでしょうか?これならアンケートにも答えやすと思いますが…。
 また、人数を測る指標は、人口減が予測される状況、そして人口密度が地域によってバラツキがある宍粟市では、その対象エリアを細分化し、そこの人口に占める割合を測る方が良いと思います。現状維持を目指すような指標は、本当にそれで良いのか?から疑ってみてください。現状では、多くの人が豊かではない、充実していないと感じている分野で、もし現状維持という目標設定であったら、それで良いと言える根拠を探ってください。参加者数のような指標は、参加しようにも機会に恵まれないとか、地域によって回数や時間に差がある場合がありますので、ここも対象エリアを細分化し、単位時間や日数で測ってみたらどうでしょうか?そして、現在地がわからない指標…これは厄介です。5年間は目標を持たずにとりあえず進む?これは最悪です。分からなければ調べれば良いだけです。
 まだまだ “まちづくり指標” については、いろいろ言いたいことがあります。それは市民としても、議員としてもです。ここが明確かどうかが市役所職員を含め、市民のまちづくりに対する意欲に繋がると思います。目指す頂上さえ間違わなければ、登山口も登山道も違って良いのです。進み方もそれぞれのペースで良いのです。途中で道に迷っても分かるところまで戻って、また登り始めれば良いのです。途中でリタイアしそうなメンバーを周りがフォローすれば良いのです。しんどくなったら休憩すれば良いのです。
 何かとりとめもない話になってしまいました。伝わるのか伝わらないのかも分かりませんが、最終的に議決しなければならない立場から、市民の想いが詰まった計画であって欲しい…ただそれだけです。そして、「市民の参画で計画を作りました」という行政のアリバイに使われて欲しくない…。これも正直な気持ちです。

2015年5月15日

誰のもの?誰の為のもの?【雑談】

 
元多治見市長 西寺雅也先生の講義
宍粟市の今日(14日)は非常に暑く、「まだ5月だよね…?」と自分の季節感を疑ってしまうような陽気でした。全国的には、真夏日(最高気温が30℃以上)となった地点が48箇所…。最高気温は、前橋市の32.5℃だそうです。熱中症で病院に搬送という事もあったようです。屋外で活動することが多い季節です。皆さんもしっかり熱中症対策をして下さい。

総合計画?
 宍粟市では、第2次総合計画の策定作業中…。14日は、第7回の総合計画審議会があったので傍聴させて頂きました。前にこのブログで書きましたが、私は議会として、総合計画に関わる特別委員会を設置し、議会としての案をもった上で行政から出される案と照らし合わせて、審議(必要であれば修正)すべきと言う立場でした。しかし、特別委員会の設置は、反対多数(確か議長を除く17名のうち、13名が反対したと思います…。)で否決されましたので、行政の総合計画策定作業にどこまで関われるのか分かりません。議会としての対案を持てないので修正は出来ない…つまり賛成か反対かの判断を迫られることになります。
 ところで “総合計画” ときいてもピンと来ない方も多いと思いますので、チョットだけ私の考えを…。どこの自治体でも、だいたい10年間のまちづくりの方向性を定める計画が策定されます。(市長任期に合わせて8年という自治体もあるようです。)だいたい市役所など行政機関は○○計画というもの作って、それに基づいて事業をします。○○計画というものは、法律で「作りなさい」と決められているものも多く、それがないと国からの財政措置が受けられないなんてものもありますので、宍粟市○○計画というのはたくさんあります。宍粟市でちょうど今、パブリックコメントが募集されているのが、『第2期地域福祉計画』です。(27年度からの計画なのに今パブコメ?という疑問は持たないようにします…。)そう言った計画の最上位に位置するのが “総合計画” だと考えられています。しかし、“総合計画” は、他の多くの計画と違って、絶対作らなければならないという性質のものではないようです。これまでは、地方自治法で市町村に対し、総合計画の基本部分である「基本構想」について議会の議決を経て定めることが義務付けされていましたが、平成23年に基本構想の法的な策定義務がなくなり、策定及び議会の議決を経るかどうかは市の独自の判断に委ねられることとなったようです。(ここでは基本構想について言及されていますが、計画の構造から言って、基本構想≒総合計画と理解してもらっても大きな間違いではないと思います。)宍粟市の場合、自治基本条例で、市民、市議会及び市の執行機関は、総合的かつ計画的にまちづくりを進めるため、市の目指すべき将来像を定める基本構想及びこれを実現する政策を定める基本計画=総合計画」を策定すること、また市民参画のもと、その案が作成され、議会の議決を経て策定されなければならないことなどを謳っています。別の条項も含めて、自治基本条例を見れば、この “総合計画” の重要性は理解できます。

一体誰のもの?
 その重要性を理解した上で、“総合計画” は、誰のものか?という点について、一般論と私の見解をごちゃ混ぜで…。総合計画は “市民” のものです。自治基本条例とセットで地方版日本国憲法のような役割をします。そもそも憲法は、権力者(為政者)が暴走しないように(コントロールできず国民が望まない方向に行ってしまわないよう)歯止めをかけるものです。だから改正には発議要件、国民投票など高いハードルが設定され簡単に改正できないのです。“総合計画” について言えば、市長をはじめ執行機関(議会も?)が暴走(市民が望んでいない税金の使い方)をしないように縛る目的があります。だからその策定には市民の参画が規定され、また市全体の総意により策定されたものであることを裏付けるために議会の議決が規定されているのです。議会の責任は重いのです…。

審議会について…
 これまでも審議会を何度か傍聴させていただいていますが、審議会の皆さんは、私的な時間を割いて何度も会議に参加していただいており、本当に頭が下がります。しかし…総合計画は議会が議決する計画であるにも関わらず、その策定過程にほとんど関われない(関わろうとしない?)議会であることを前提にあえていくつかリクエストをしたいと思います。とここまで書いて…これって相当デリケートな問題だなぁ、書き方を注意しないと真意が伝わらないなぁと思い躊躇しています。こんな時は次回にした方が良いと判断しましたので、中途半端ですが、今回のブログはここで終わりにします。

2015年5月8日

折り返し地点【雑談】

 
現在の相棒…
現在の宍粟市議会議員、宍粟市長は平成25年5月に選挙があり、そこから4年の任期が始まりました。この5月で任期の半分、2年が経過しました。マラソンで言えば “折り返し地点” です。私がフルマラソンに出ていた頃は、折り返し地点(ハーフマラソンと同じ21.0975km…)までは、普段のハーフマラソンと同程度かチョット遅いタイムで走る事ができ、2時間チョットで折り返し地点を通過していました。しかし、そこからが苦難…30kmあたりで足がピッタリと止まります。練習不足で挑んだレースであれば、身体のあちこちに痛みが出てきます。そこから10kmチョットを何とか走りきり、結果的には5時間前後、酷い時には6時間でゴールする事になります。最後の10kmは苦痛です。(あくまで私の場合です…。)

議会内の改選
 宍粟市議会では、任期の半分(2年)で議長、副議長、監査および委員会構成が変わります。地方自治法では議長、副議長や委員の任期は、議員の任期と同じと定められていますが、半期で入れ替わるのが(一部、委員会規則で規定されていますが…)いわゆる “慣例” です。と言う事で、次の議長は?副議長は?監査は?と議会内の互選で選ばれる役職については、そのポジションを調整する作業が行われているようです。(行われているようです…と他人事のように書いたのは、私はその調整作業に加わっていないのでそのように書かせて頂きました。)とにかく定員18の宍粟市議会では、過半数の9を固めれば良いので、自称 “与党”  の皆さんの間で調整は進んでいきます。どなたが立候補され、どなたが当選されるのでしょうか?5月22日には、議会構成選挙が行われます。
 委員会構成についても、委員会で反対、否決が起こらないように自称 “与党”  の皆さんで、ある程度調整し、“野党” とラベリングしている議員が固まらないようにしているみたいです。思い起こすと任期が始まってすぐの6月議会で委員会で “否決” があり、その後、あの委員会には3名(常任委員会は3で過半数になります…。)を固めないようにしなければと“密談” していたのを聞いたものです。話しているご本人は “密談” だと思っていたようですが…もちろん盗聴したわけではありません。たくさんの人が集まる来賓席でそんなお話をされており、そこに私が遅れて行ったら聞こえただけです…。
 私は総務文教常任委員会、議会広報特別委員会、政治倫理審査会の任期を終えましたので、念のため報告しておきます。

折り返し地点
 マラソンと同じようにこれからの2年は “苦痛” になるのでしょうか?とは言ってもこれまでの2年が順調だったとは思えませんが…。とにかく “初志貫徹” でしょうか?いやいや、チョット減速してきた自覚がありますので、ペースをあげラストスパートって感じでしょうか?いずれにしても、数多くの批判(根拠がないので誹謗中傷かなぁ?)にも謙虚に向き合い、ぶれる事なく、自分の信じた道を走りきるだけです。マラソンの折り返し後と同じで失速している、息切れしている、いろいろなところに痛みが出ていることは否めませんが、2年後、ボロボロになっても完走したいと思います。(と言いながらストイックに自分を追い込める性格ではないので外から見れば “甘い” と映るかもしれませんが…)  

中心とは何か?【雑談】

 宍粟市も新緑に包まれ、田んぼに水が張られる時期になりました。GWも終わりましたが、皆さんはどのようにお過ごしですか?私は、GW前に “ぎっくり腰” というものを初めて味わい、憂鬱な時間を過ごしておりました。ようやく腰を落ち着けてPCに向う事が出来るようになりましたので、久しぶりのブログ更新です。

三大都市圏及び東京圏の人口が総人口に占める割合
(総務省のHPより引用)
“ぎっくり腰” をしてみて、物事の中心について考えました。身体の中心である腰が痛いと、いろいろなところに波及しますね。まず動けない…。最近は “体幹” の重要性もいろいろなところで言われています。人を上から見た時の中心が “体幹” 、正面から見た時の中心が “腰” ですね。(私の場合、腰はだいぶ中心より下に位置していますが…。)機能的に見れば頭(脳)が中心かもしれません。また、内蔵、血流などで考えれば心臓も中心でしょうか?体幹、腰は物理的な中心と考えられます。
 東京が日本の中心であるのは、地理的に見ても、人口分布から見ても、移動時間から見ても、都市機能から見ても…中心であるのは一目瞭然です。地図上で大阪、名古屋を含めた3大都市圏を線で結べば、腰みたいな感じに見えます。やはり、体幹が弱かったり、腰を痛めていたりすると全身にその影響が波及するように “中心” の活力と言うのは維持しなければなりません。人間で言う脳も心臓(機能としての中心)もやはり東京にあるようですので、あれだけインフラが整備され、企業の本社機能、官公庁、国会、金融機関などなどが東京に集まるのです。まだまだこれからも、オリンピック開催、3大都市圏を結ぶリニア新幹線建設などが続くのです。それは、日本の長い歴史の中でみんながそれを望み、注目し、それに引き寄せられ、せっせせっせと働きアリのように、巨大な蟻塚へいろんなものを運んでいった結果です。
 しかし、現在はそれら(人、もの、お金、情報などなど…)を日本全体に戻そうという動きがあります。(私は “かけ声” だけに感じます。)なぜ、そんな動き(かけ声)が活発化しているのか?私は、首都機能がパンク(破綻)している事、そんな首都が地震など大きな災害に耐えられない事、中央集権体制では日本が発展できない事(ここは潜在的な危機感で隠れている部分ではありますが…)などが影響していると思います。
 もう一つ大きな理由は、地方交付税です。国からの仕送り…と表現されるように実家のすねをかじる下宿生(地方自治体)の面倒なんて見られない、下宿先(地方)で自立してくれというメッセージです。一方で、実家(中央)の言う事を聞け、下宿先(地方)で稼いだお金は実家(中央)に納めろというメッセージも同時に送られてきているのです…ダブルバインドってやつでしょうか?
 そんな事を考えながら宍粟市の全体図を見ましたところ… 非常にいびつな形をしているなぁと感じました。“中心” ってどこ?面積が広く、道路整備が遅れていると言われている宍粟市は、旧4町の4点で支えるべきではないのか?車、机などなど4点で支持し、安定しているものに倣って都市をデザインする必要があると思います。今の宍粟市はどうでしょうか?南端の一点ででっかいまちを支える…中心だけに人、モノ、お金、情報、権限を集中投下しても支えきれるほどの規模ではありません。そもそも周辺を切り捨てる気があれば話は別ですが…。合併して10年、市制10周年を機にもう一度考えるべき時期に来ていると感じます。“中心” に位置していると言う自負のある方々はそんなこと感じないでしょうか?

2015年4月19日

自覚の問題?【雑談】

宍粟市は今日も雨模様です。15日には新年度が始まって最初の総務文教常任委員会がありました。統一地方選の前半戦、宍粟市では兵庫県議会議員選挙があったのですが、宍粟市選挙区では定数1に対して現職1…無投票で現職が再選されました。全国的に見ても無投票の多さ、投票率の低さ…地方自治、地方政治からその主役であるはずの市民の関心はどんどんと離れていってしまっているのでしょうか?

市制10周年
 平成17年に旧宍粟郡の安富町を除く4町(山崎町、一宮町、波賀町、千種町)が合併してできた “宍粟市” は、市制10周年…。私は、平成23年にこちらに引っ越してきましたので、合併の経緯は良く知りません。しかし、全国各地で起こっている市町村合併の弊害は、宍粟市に顕著に現れていると感じています。そして、私が住む波賀町は、いわゆる周辺地域…、合併の影響をもろに受けているって合併後Iターンで移住した私が感じるってことは、相当です…。市制10周年に水を差すな!と叱られそうですが、前々から私はこの10年は “失われた10年” として、しっかりと合併を総括(反省)するべきだと主張しています。もし、私の主張に対して「水を差すな!」というのであれば、10周年にふさわしい成果を説明して頂きたいと思います。もちろん、合併の弊害を自覚した上で、それでもそれを上回るこんな成果があったでしょ!と力強く主張して欲しいものです。

連携中枢都市圏
 3月議会でこの連携協定が承認されたのですが、市民にあまり知らされていない感がありますのでここで…。連携中枢都市圏とは、姫路市が、人口50万人〜100万人の政令指定都市・中核市の6市(新潟市、浜松市、熊本市、宇都宮市、東大阪市、松山市)に呼びかけ、その後、国策にまで昇華した制度です。中枢都市とは、三大都市圏(東京、大阪、名古屋)以外の都市で、人口20万以上、昼夜間人口比率おおむね1以上(通勤や通学でその都市に人が流入し、一時的に昼間の人口が増える。)等の要件を満たし、地方都市圏において相当規模の人口と中核性をもつ政令指定都市や中核市をさします。実際に姫路が中枢都市となり、播磨圏域6市8町(宍粟市、相生市、加古川市、高砂市、加西市、たつの市、稲美町、播磨町、市川町、福崎町、神河町、太子町、上郡町、佐用町)がそれぞれ姫路市と連携協定を結びました。赤穂市は別の自治体と定住自立圏という連携をすでにしていましたので協議中となっていますがどうなるのでしょうか?姫路市が成長エンジンの役割を果たし、圏域の経済を活性化し、住民がこれからも現在の居住地で生活できるように利便性を維持向上させ、圏域の人口流出抑制・人口維持を図るそうです。今、国がすすめようとしている「地方創生」を体現したような制度です。 
 私は、総合保養地域整備法(いわゆるリゾート法)による乱開発や市町村合併など国が旗を降り、財政支援を行うようなことは成功した試しがない…地方(特に “周辺” になった地域)は衰退していったと思っているので、とても警戒しています。

行財政改革 
 宍粟市は市制10周年を迎え、総合計画や行財政改革大綱、自治基本条例など重要な計画や条例の検証、見直し作業が行われています。そこに関わる委員会などはできる限り傍聴し、情報収集していますが、行政改革懇談会で私の “不安” を増長する行政職員の発言がありました。「歳出抑制のために連携中枢都市圏内で公共施設を共用する…」歳出抑制のための連携…という認識がこの言葉に現れたとしたら、それは間違っていると思います。中枢都市になる姫路市には国からの相当の財政支援が行われますし、公共施設の共用も協定に含まれているので、圏域を形成する市町においてはこれまで独自でまかなっていた住民サービスの一部を中枢都市に頼ることができるのは確かです。費用対効果を考えたとき、結果として歳出抑制になるかもしれません。
 しかし、圏域を形成する市町それぞれの経済の活性化、利便性の向上、人口流出抑制、人口維持を考えた時には歳出が増える(投資と言う意味でも…)可能性が高いと思います。この認識を共有しておかないと、市町村合併の弊害、周辺地域の衰退と同じことが圏域全体で起こってしまいます。中枢都市に求められているのは、東京への一極集中を緩和するための人口ダム機能です。“消滅可能性都市”は、消滅して中枢都市だけが残れば国は効率的に統治ができます。国のこれまでの地方分権、市町村合併、道州制、地方創生など議論を見ればそれは明白です。

“ふるさと” は消滅するのか?
 市町村合併の光と影をしっかりとみなければならないという思いは、「地方創生」の様々な動きを見てより強くなりました。自治体消滅論(増田レポート)では、若年女性が減り、人口1万人を切る “まち” を消滅自治体としています。しかし、現在でも1万人以下の自治体は、確実に存在し、そこには住民の生活があります。規模が小さいからこそ、行政と住民の距離が近く、自治が実現しているところも数多くあります。なぜか「地方創生」で注目されている “まち” の多くが、平成の大合併を結果的に拒否し(国策に反し)、人口1万人に満たない “まち” であるという皮肉(矛盾)をどうやって説明するのでしょうか?宍粟市は大丈夫でしょうか?今、自治体としての “自覚” が求められているのではないでしょうか?それがなければ、国策にのっかり、消滅していく未来しか描けません…。極端な考えでしょうか?

2015年4月14日

健康について【雑談】

宍粟市は最近、天気が悪い…。非常に主観的で申し訳ありませんが、外で何かしようとすると “雨” であることが多く、「晴れた日にしよう!」と言い訳ができてしまいます。私の場合、ランニング…。来週から私のマラソンシーズンが始まりますが、練習できず身体が重いのです。動きが鈍いという “重さ” と、体重が増えたという “重さ” ダブルパンチです。皆さんも毎日、少しずつでも身体を動かして “健康” でいて頂きたいと思います。

健康寿命
 今、健康寿命…というのが重要視されています。高齢化で医療や介護に関わる費用が財政を圧迫するので少しでもそこを抑えたい…というのがそもそもの発想であることがチョット解せない部分ですが、悪いことではありませんので良しとしましょう。
 まず、“健康” という言葉ですが、私は中学校の保健体育の授業でWHO(世界保健機関)の定義を習った記憶があります。WHO憲章(原文は英語なので日本WHO協会の訳)の中で『健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。 』と定義されています。そして、『人種、宗教、政治信条や経済的・社会的条件によって差別されることなく、最高水準の健康に恵まれることは、 あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです。 』とも謳われています。中学生の私にとってはこの “社会的” 健康という部分がとても印象的でした。
 “健康寿命”とは、日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間のことでWHOがこの言葉を公表したのはつい最近(2000年?)のことです。平均寿命から介護(自立した生活ができない)期間を引いた数が健康寿命になりますが、政府はその “健康寿命” を2020年までに1歳以上延ばすという目標を掲げています。(平均寿命と健康寿命の差を縮めることが必要です。だからと言って平均寿命が短くなってしまっては意味がありません…。)ちなみに宍粟市の健康増進計画「健康しそう21」で公表されている兵庫県と宍粟市の健康寿命は表の通りです。
 この健康寿命の出し方は、WHOと厚生労働省でも違うみたいですし、国と自治体でも違うみたいですので、なかなか健康寿命が長い、短いという比較はしづらいのですが、自然に恵まれ、健康的な食事を摂っているとか、畑仕事などもこまめに出かけて、普段から活動的でいる方が多いとか…だから健康寿命は長いはず…って勝手に思っていましたが意外でした。そして、“健康” の定義をもう一度見直すと“社会的” 健康という部分はこの健康寿命とは全く次元の違う部分ですね。私は、この “社会的” 健康を測る指標も必要だと思いますし、ここがとても重要な気がします。人間関係とそこに横たわる人権意識みたいな部分でしょうか?

責任、生きづらさ… 
  “健康” についてだけでなく、いろいろなことの表面(また一側面)しか見ないで、短絡的に考えてしまう風潮…特に “慣例” だからっていうことで何の検証もされないこと、国や県の方針だからって何の吟味しないでただただ従っていること、形式にこだわるだけで中味のない計画などが多すぎます。(健康しそう21という健康増進計画の名称も、国の「健康日本21」に倣っているだけ…、いろいろなところで出てくる “ふるさと宍粟” っていう言葉も兵庫県の「ふるさと兵庫」に倣っているだけ…)私は、同調圧力(職場などある特定の集団において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制すること)が強く、多様性を認められない社会が健康的であるとは思えず、今の社会がそちらに傾いていることに不安を覚えます。そして、そんな社会を次の世代に引き継がなければならないのであれば、それはそれは不健康なことです。WHO憲章には、『各国政府には自国民の健康に対する責任があり、その責任を果たすためには、十分な健康対策と社会的施策を行わなければなりません。』とも書かれています。これは自治体政府にも言えることではないのでしょうか?特に社会的健康を増進するためには、公の“教育” が果たす役割が大きいと思います。

2015年4月7日

自治体の規模【雑談】

宍粟市では、小中学校の入学式も終わり新年度がスタートしています。“桜” も南の方では散り始めました…。宍粟市は南北約42kmありますので、北部の “桜” は、これからが見頃でしょうか?皆さんもお花見など短い春を楽しんでいらっしゃるでしょうか?
 
人口規模
 今日は、自治体の規模について【雑談】モードでいきたいと思います。宍粟市は、平成27年3月31日現在で、人口40,473人(男性:19,358人、女性:21,115人)です。面積は、658.6㎢で兵庫県では豊岡市に次ぐ面積です。人口÷面積=61.5人/㎢…人口密度で言えば、兵庫県内の市区町村(兵庫県に村はありませんが…)で48位/50市区町村です。ちなみに1位は尼崎市の9,080.4人/㎢、50位は香美町の53.4人/㎢だそうです。こんなデータから “小規模自治体” と考えて良いでしょうか?
 宍粟市の行政や議会では「われわれのような小規模自治体では…」、「われわれのような面積だけが広くて地理的に不利な自治体では…」、「人口40,000人程度のちっぽけな町…」というニュアンスの言説が良く聞かれます。また、全国市長会に参加した市長の活動報告でも「…宍粟市のような小さな市も、県の市長会を通じて国に対する要望や制度の在り方についても提言も行っており…」と全国市長会を構成する813団体の首長が集まる会議では40,000人程度の人口の小さな市では発言ができない…と言っています。それらの言説をまとめると、どうも小さいことを “ネガティブ” に捉えている様子がうかがえます。 

議員の序列 
 議員の全国的な研修に行って感じたことですが、市議会議員の中では、政令市の議員と一般市の議員は完全に政令市>一般市という格付け、序列が存在します。自治体の人口と議員定数はある程度関係がありますし、私は自治体として人口の多少は、議員の序列に直結しないと思うのですが…議員にも、予算規模、人口、税収など大きいことは素晴らしい(極端に言えば大きい方が偉い…)という古い幻想が蔓延しているように感じます。市町村合併では、スケールメリット(規模が大きくなることによる利点)が盛んに宣伝され、大きいことは素晴らしいという幻想がどんどん膨らんでいったのだと思いますが、全国、また県内で市町村合併が進めば相対的なサイズで言えば “小さい” ことには変わりないので、合併して大きくなったのにも関わらず、 “小規模” だということで相変わらず卑屈になっているのでしょうか?この頃はスケールメリットなんて誰も口にしません…。
 地方分権、コンパクトシティ、小さな政府、スモールイズビューティフル…いろいろとある種の規模を含む言葉は世の中にたくさんあります。1967年に1億人を超え、2008年の1億2,808万人をピークに減少に転じた日本の人口…地方消滅論、人口ダム論、コンパクトシティなどなど、ある程度の規模の都市にみんなが集まり、人材もお金も権限もそこに集中させるような効率性重視の議論には同意できません。過疎化は、自然の流れではなく人為的に起こっている側面があると思うからです。

少子化による閉校、廃校
 文部科学省のレポートによると、平成14年度から12年間で5,801校の公立小中高等学校が廃校となっているとのこと…。やはり大きいことが素晴らしいのでしょうか?小さいことはダメなことなのでしょうか?目先の金勘定(あまり品の良い表現ではありませんが…)では、人口減の状況化で小さな公立学校(公共施設)が多いことは “非効率” にしか見えないでしょう。でも、その視点って曇っていませんか?周辺状況を勘案し、長期的な視点で見た時にも “非効率” と言い切れるでしょうか?と言うか、そもそもそこまで考えて “非効率” だと言っているのでしょうか?私は短絡的に思えてなりません。私は「国の地方創生の波に乗り遅れるな!」とか、「地域の生き残りをかけて今が正念場!」みたいな感じが個人的に好みではありません。これまでと同じように幻想を追っかけることになりはしないのでしょうか?もうチョットだけ理性的に、みんなで(一部の代表または代表もどきの人たちだけではなく、文字通り “みんな”で )議論してみる必要はないでしょうか?

追記:つい先日、このブログのページビューが40,000を越えました。ご覧頂いている方々に対し、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました!これからもよろしくお願いします。できればコメント頂ければ嬉しいです。(匿名で構いません。)