2017年5月17日

敗因分析【議論】

この2週間…
 宍粟市の今日は、少し肌寒い感じの曇り空です。(宍粟市は、結構広いので私の住む波賀町では…の方が正確かもしれません。)今日から修学旅行に出かけている中学生も多いのではないでしょうか?

 前回、選挙の翌日に更新したブログですが、落選後にアクセス数が伸び、もう直ぐ70,000アクセスに達します。実際に、どんな感じでブログを開いていただいたのかはわかりませんが、もしかしたら「引越します」という言葉を聞きたかったのかもしれません…。残念ながら、まだ宍粟市におります。

 選挙が終わって、2週間以上が経過しました。就職活動も思うようにいかず、現在、“無職” です。いくつかオファーはもらっていますが、この際、新たな道を探るのも良いかなと思っています。家族もおりますので、そう悠長なことも言っていられないのですが…。そして今回の “敗因分析” が、どんな道に進もうが、糧になると思っています。また、次世代の参考になればとも思いますので、ここに公開します。

なぜ選ばれなかったのか?
 みなさんご存知かとは思いますが、今回の宍粟市長選で私は、19,020:4,928で、“大敗” しました。しかし、負けたことで、選挙期間中は見えていなかった「私を応援してくれていた人たち」も見えてきました。それは市長選挙に出なかったら、出会えなかった人たちばかりです。そして、確実に4,928人の人たちは、私を選んでいただいたのだと思います。

 私は、地盤(組織)、看板(知名度)、鞄(資金)という、“3バン” がなくても、理念と政策(公約)で、勝つことを目標にしていました。今回の結果から考えると、この “3バン” の内、地盤(組織)と鞄(資金)は、必要ないことが再確認できました。名簿が集まらなくても、選挙に手を貸してもらわなくても、大丈夫です。誰が誰に投票したなんて、本人以外はわかりませんから、投票してくれれば良いだけです。そもそも、既存の組織を使って動員をかけ(暗黙の強制も含めて)、道端に立たせたり、戸別訪問をさせたり、集会に参加させたりすることは、政治家がすることではないと思っています。(自ら進んでやっておられることを否定するものではありません。)

 そして、今回の選挙では、公選法で規定される選挙資金の上限は5,790,500円(@81円×選挙人名簿登録者33,216人+310万円)でしたが、私の場合はその10分の1程度で済みました。供託金の100万円は、有効得票総数23,948票の10%=2,394.8票以上の得票がありましたので、没収されませんでした。

 しかし、看板(知名度)は、やっぱり必要なのだと思いました。そして、この看板(知名度)は、他の2つとは少し性格が違い、やり方次第ではいくらでも広げられる、手に入れられるものだと思います。そこを怠っていた、または方法が間違っていたのだと思います。根拠のない噂話を広げられようが、自治会組織を選挙運動(落選運動)に使われようが、市民の選択肢になってさえいれば、状況は違っていたと思います。これだけ差が開いたのは、政策がどうだとか、人柄がどうだとか、出身地がどこだとか、宍粟市にきて何年だとか、そんなことは全く関係なく、“知名度” がなかったということだと思います。「知らない人には投票できない…」当然です。

 これは、周囲に立候補について相談を持ちかけた時に、散々言われたことです。もう1期、議員をして知名度をあげたほうが良いというアドバイスもいただきました。しかし、4年後では財政の面、人口減少の具合から、確実に手遅れになると判断していましたし、もし4年後を見据えて今回、市議選に出ていたとしたら、それは単に市長になりたいだけ(保身?)ということになってしまい、私の政治理念に反することだったのです。

 ということで、話を聞いてもらう、考えを知ってもらう、人間性にも触れてもらう…そういうことができていなかったということです。投票していただいた方々には、大変申し訳ないのですが、挑戦したことに後悔はしていません。「是非、次も挑戦して…」とたくさんの方に言っていただきましたが、今は、考えられません。

 ただ、理念だけはしっかり残していきたい(次世代につなげていきたい)と思います。これは、政治家としての勝手な判断です…。そこで “政治塾” のようなものを主宰できないかな?と考えています。どうでしょうか?それこそ大きなお世話でしょうか?まずは『宍粟・草の根運動の会』をベースに、“政治” を身近なものとして考える場を作っていきたいなと思います。そんな場があったら、参加してもらえますか?

最後にルールのこと
 公職選挙法では、家ごとに訪問して選挙の投票を依頼することや、演説会や候補者の氏名の宣伝をすること(戸別訪問)が禁止されています。選挙運動期間中だけでなく、すべての政治活動においてです。「前からみんなやっている」とか「挨拶に来ないのは、お高くとまっているからだ」とか、いろいろ言われましたが、私の場合は近所に「選挙事務所をここに構えるので、お騒がせします」という挨拶はしましたが、戸別訪問による選挙運動は一切していません。また、選挙区内での寄付行為も禁止されています。何が正しくて、何が間違っているのかを、多くの方に理解してもらいたいとも思いました。

2017年5月1日

これまでありがとうございました。

敗戦の弁
 4月23日から始まった、宍粟市長選挙ですが、30日に結果が出ました。
当日有権者数:32,780人、投票者数:24,226人、投票率:73.90%

 鈴木 浩之        4,928票
 福元 晶三      19,020票

 “大敗” です。4,926人(4,928票から、私とかみさんの分を引いています…)の皆さん、本当にありがとうございました。私のチカラ不足をお詫びします。

 また、選挙権を持たない子ども達にもお詫びしなければいけませんね。でも大丈夫、大人はみんなのことを第一に考えていてくれるはずです。

 今まで、子ども達や若者、女性、高齢者、障がい者、病気の方、そして過疎地域に暮らす人など弱い立場の方々の “声なき声” を届けるために活動してきました。

 その “声なき声” が届いていない(議員ではそれを届けられない)ことが、今回の挑戦のきっかけでした。

 そして、若者に帰ってきてほしい、宍粟市で頑張ってほしい、活躍してほしい、そんな場所を宍粟市に作りたいと訴えてきましたが…。

 私が選挙戦でこだわり続けた “街頭演説” の一節をここに紹介しておきます。
「政治というものは、常に弱い立場の人達に寄り添ってなければならない。しかし、今の政治は、強い者に媚びへつらい、強い者からの要求に屈し、そのツケを子どもや若者、弱い立場の人、小さな地域に押し付けている。そんなものは政治でもなんでもない。特に宍粟市の未来にとって必要ない。
 諦めかけてはいませんか?本当は、子どもさんやお孫さん、若者に宍粟に帰ってきてほしい、ここで一緒に暮らしたい、ここで一緒に子育てしたいと願っているはずです。しかし、そんなささやかな願いさえ、素直に口にできない、そんな町になりかけてはいませんか?本当にそれでいいのでしょうか?ぜひ、胸を張って “帰っておいで” と言える町を一緒に作っていきましょう!」

 まぁ、自分としてはよく頑張ったと思っています。そして、若い子達には、諦めないでほしいと思います。地域で子ども達を育て、弱い立場の人たちを一緒に支えていきましょう。

 未来への意思表示(選択)の機会だけは、提供できたように思います。家族には、挑戦する親父の背中を見せられたと思います。

 負けはしましたが、これが民主主義、市民があちらを選択したということです。そして、市民の意思が見え、政治家としてはスッキリしました。

最後に…
 しかし、選挙前に「あいつは、落ちたら宍粟市を出ていく…」というお話しを相当、広げていただいたみたいです。つまり、宍粟市に愛着がないとか、私利私欲のために宍粟市を引っ掻き回している、踏み台にしているだけだと言いたいのでしょう。
 
 この4年間は、議員を生業にしてきましたので、その仕事はなくなりました。私の両親は、静岡で暮らしていますので、両親からみれば、子ども、孫は静岡から遠く離れた宍粟市に暮らしていることになります。きっと「帰ってきてほしい、孫たちと一緒にいたい」と思っているのではないでしょうか?でも、そんな思いは口にしないで、私の生き方をずっと応援してくれています。

 「これを機に帰ってあげたら?」とか「両親を静岡に放っておいて、ひどいやつだ」と言われるならば、理解できます。こんな話を広げている一部の人たちって、仕事はないだろうけれど「宍粟市に住んで、黙って納税だけしていろ」とでも言いたいのでしょうか?私の両親が病気になったりしても、「そんなものは放っておけ」と言っているのでしょうか?

 これだけ若者が流出している宍粟市、仕事がないからだって、みなさん言われます。そして、宍粟市では、お子さんやお孫さんが、市外にいらっしゃる高齢者世帯もたくさんあります。「進学で、宍粟市を離れて帰ってこない子が多いから、宍粟の子は学力はそこそこで良い」って、言われてしまったら、親としてはとても心配になります。

 私がこの選挙戦で掲げた政策は、若者の仕事であったり、暮らしであったり、子育てであったり、教育であったり…。若者が宍粟市に帰ってこられるような状況と若者が活躍できる町を一緒に作って行きませんか?と訴えてきたわけです。

 私のチカラ不足でその訴えは届きませんでしたが、「あいつは、落ちたら宍粟市を出ていく…」というお話しは、その真意を理解できないままに、宍粟市民になって7回目の春を迎え、桜は散りました。

このブログについて
 2013年1月、市議会議員選に出ると決心し、「宍粟・草の根運動の会」を立ち上げた時から、これまで、記事の数343件、閲覧数67,555件(5月1日13時現在)でした。ブログをご覧いただいた方々、本当に長い間、ありがとうございました。
 私も食っていかなければならないですし、家族も養っていかなければなりません。仕事探しを始めますので、このブログはとりあえず “無期限休止” とさせていただきます。(個人的なSNSは、引き続きやっていきます。)

宍粟・草の根運動の会 代表 鈴木 浩之